甘ったれで無防備で泣きそうな、脈打つ私の『心臓(バッグ)』
ごあいさつ
どうもこんばんは! 邪念(37)です✌
ファッションに思い悩む、そのへんの中年女性です。noteのファッション記事を読むのが日課。
昨年から、noteでも人気の『自問自答ファッション(©あきやあさみ氏)』に取り組んでおりまして、本日は満を持して、バッグ購入記というか選んだバッグについてのお気持ちなどをお届けいたします。
『#演歌バッグ』とはちょっと違うかもしれないけど、人がバッグ買う話って面白いよね〜と思うから、一応タグ付けしている。買ったのは、どちらも昨年末くらいです。
やっとバッグを買ったから見せるよ(1個目)
beautiful people 【ONLY ARK】別注 kilt clasp shoulder pouch
こちらは、栃木のセレクトショップ、AND ARKさんがbeautiful peopleさんに発注して数年前から販売しているらしい、キルトがま口ショルダーポーチです。ポーチと名がついていますが、ある程度入るので私の普段のおでかけはだいたいこれでイケます。
気に入っているのは、なんといってもこのゆるさ。
ふんわり華やかスカートを履いていても、レースのハンカチは持っていないし、Tシャツデニムだとしても、がま口をぽいんぽいんさせながら全力で走ったりしない。あのときのレシートも捨てたか失くしているし、白くて繊細な服を着てインドカレーやラーメンやモスバーガーを食べ、案の定こぼす。
私にとっては、機能面は申し分ない。ガバァ…と片手でも簡単に開く。必要最低限のサイズ。首から下げれて両手が空く。めちゃ軽でやわらかい。紐がしなやかなのも、良いのだ。浴衣にも合う。
私はめったにサブバッグを持たないので、ひとめで『あいつあの中にすべての貴重品入ってそう』とわかる。紐も細くてたよりない。可愛い。急所すぎる。beautiful peopleは好きなブランドだし、使いやすいので、嬉しい。すぐ手に取れる位置に飾っている。
見せるよ(2個目)
GIANNI CHIARINIのLUPITA S。
色名は『blush』。
肌と粘膜の間みたいな色。ピカピカでもなく、すべすべもしていなく、白猫の鼻か肉球くらいのツルっとした光沢感だ。形はほんの少し縦長のバケツ型で、マグホックはありつつ中身はチラ見えしている。
そのものは特に主張のない色だけど、冬場、白か黒ばかり着ているなかで、このカバンを持つと首から下がカラー写真になった。ピンクというか血色。blushの名の通り。最後にチークをひとはけしたように、表情と立体感が出る。
本革だけど、表面の謎のつる…としたテクスチャのために何らかの加工がされていて、革製品のケア用のリムーバーなどは使えないだろう。ある日、帰り際雨が降った。傘をさして、胸にかかえた。楕円底で縦横20センチくらいずつ。このときはじめて、かばんに愛着をもちはじめた。どうしようもないやつ。
あのときやっと、このかばんに惹かれた意味がわかったのだ。確かにある私の心臓。この血色とこの脈動を、肌からほんのり透けさせた色。このバッグも確かに、私の急所だった。
『妄想クローゼット』と、『なりたい似合う好き』ワークが、助けになった
自分のかばんは、ベーシックカラーになるもんだと思っていたし、がま口もピンクも、頭になかった。
でも最終的に、この2つになった。
女性らしいデザインや、クラシックできちんと感のあるもの、シーンを問わず使える機能性が高いものなどには、惹かれなかった。まぁ、持っているし。
去年ボナベンチュラのバッグの試着をしたり、ハーフムーンバックを検討したりしていたんだけど、それらはおそらく、まだバッグに対してのイメージが狭くて、その狭い中から選ぼうとしてたと思う。
いつからか『バッグ』に対してイメージする全体像が広がっていて、妄想クローゼットやなりたい似合う好きワークなどを通じて、気になってきたのがこのバッグだった。それがこの2つになった感じかな。
「お前の話し方はなんとかならんのか」
立派な大人になりたかったけど、まぁ、なれてるところもあるけど、私は不完全だ。生活が不得意で、金勘定がものすごく苦手だし、家事も不得意だし、ライフプランもぼんやりフワフワしている。気分屋で、めちゃくちゃ仕事がやる気なときと、何にもできないときがある。鼻声で語尾伸ばし癖があり、父に『大人の女の話し方じゃない』と言われた。
その父は唯一、どんなときも、いつも幸せを願っていると言ってくれたけど、いまいち理解しあえないまま死別してしまった。若いときの私は、フワフワしては人生に絶望して泣き、またフワフワしては怒り狂い、またフワフワして失職したり、比較的心配な娘だった。いまも、フワフワはしている。
私がしっかりしていたら、孫の顔を見せていたら、母と仲良く出来ていたら、もっとゆとりのある生活をして、頻繁に顔を見せられていたら、父に一人前の大人になったと思ってもらえたかもしれない。父が私に最後にかけた言葉は『姉もおまえも帰ってきてるの? おまえたち寝る場所ある?』だった(実家は部屋数が少ない)。父にとって、衣食住の世話のいる子どものままだった。
これを申し訳なく思ってるわけじゃない。もっと話す機会が作れたら、私が私なりに、意義ある人生を毎日真剣に楽しんでいて幸せにすごしていることを、きっとわかってもらえたと思うのだ。
きちんとして見える姿や所作以外に、目に見えない思想と経験を、私はこれまで身につけてきた。別に多少鼻声で話し方がプライベートではチャラついてたとしても、問題だとは思わない。日常では、私のままで居たほうが楽だと思うだけ。
そんなことを思いつつも、私のために『コイツ大丈夫か』と心配してくれた父のことも、残された母のことも、もっと向き合えたのにと思うばかりでつらい。ふたりとも、私が私のままでいると、否定的なことを言ったり、変わったほうが良いと言う事が、有って嫌だったのだ。私が。
いまは、父や母が『それそんな値段するの?』と言いそうなかばんを、ふたつ抱きしめている。
これから、3ヶ月に一回くらいは、どっちか持って母に会いに行こうと思っています。
おまけ
最後に、いまいちばん気になってるファッションアイテムを貼るよ。
beautiful peopleの、動詞と目的語くつした。
「call」「mom」の組み合わせで買いたい。
この靴下の名前は、リマインダーソックスで、大事なことを思い出すために履くものなんです。
やっぱり好きだなあ。beautiful people。
(邪念 2740文字)