過去の傷があるからこそ
神学校での生活は残すところ、5ヶ月を切った。
神学校での日々は、訓練の時である。
たくさんの学び・実践の訓練があり、自分の内側と神様と向き合う時である。
共同生活を通し自我に気付かされ、砕かれ、十字架のみもとに行き、ただ主の安息の中に入っていくのである。
神学校に入る前、神学校を卒業した人から言われたのは、『不要なものが取り除かれていく場所』という言葉であった。
本当にその通りだと思う。
何か頑張らないといけないとか、もっと素晴らしくなろうとか、世俗的な考えなど、いらないものがどんどん、なくなっていく。
時には、過去の傷が癒やされ、握っていた苦い思いから解き放たれる時がある。
過去の傷の癒しは、終わったと思えば、また別の傷と向き合わされ、どんどん解放されていく。
時には、自分自身が傷だと思っていなかったことが、傷としてあらわになる時もある。
今、私は、"無牧"という傷に向き合わされている。
無牧というのは、牧師がいない教会のことを指す。
日本は働き人が少なく、無牧化が進んでいる。
無牧の中育った私は、クリスチャンや聖書に関する相談をする人がいなかった。
親は教会の要の役割を果たしており、牧師でもなく1信徒であるが、牧会的役割も担っていたように思う。
信徒から電話があり、相談に乗ったり、時には信徒同士のいざこざの真ん中に立っていた。
そして、病の人のところには食べ物を持って祈りに行ったり、教会への足がない人のところには迎えにいつも行っていた。
その影響で、信徒との電話口や、親教会の先生との電話を通し、教会内の汚い部分も多く見聞きしていた。
知らなければ幸せだと思う事もたくさんあった。
そんな経緯から、絶対に教会の中心的なことはしたくない!そう思っていたのに、今、神学校へと導かれているのである。
神様の導きは不思議である、、
親が一生懸命、教会の中心的役割を担っていたからこそ、親には相談できないことがたくさんあった。
反抗期の私は、親に聖書を読んだり、祈りをするよう言われても、反抗して聞く耳を持たなかった。
誰も私の心の奥底まで牧会をしてくれる人はおらず、"世の中的な考え"というものを知らず、気づいたら染まってしまっていたが、それが悪いことだという事も知らなかった。
誰にもクリスチャンに悩みを聞いてもらう事もなく、礼拝を受け身で聞くだけの日々であった。
毎週、いろんな教会から来てくださるゲストの先生の接待をするのは小学生の時から、私の役目であった。
親が頑張っている姿を見て、何か助けないといけない、、教会では良い子でいなければならない。
無意識にそう思って行動していた。
しかし、心は神様と離れ、世の中的な思考を持っており、日曜日の私と日曜日以外の私という、二重の自分がいた。
そうして、日曜日は教会に行くが、根本的には放蕩娘という日々が始まっていった。
放蕩娘という道を選んだのは私であるが、辛い思いをするのであれば、放蕩娘なんて選ばなかったし、誰も止めてくれる人、教えてくれる人がいなかったという無牧に対する傷が残っている。
誰もこの教会を、そして、私を牧会しようとしてくれなかった。
見放された教会で私は育った。
だから、放蕩してしまった。そう思っていた。
牧師がいたとしても、放蕩していたかもしれない。
それなのに、そうずっと被害者のように思っていた。
先週、神様からこのことを思っている時に
『ごめんね、辛い思いをさせて』と語られ、涙が止まらなかった。
少しずつ、傷が癒やされていっている。
傷というのは、神様によってでしか、癒やされないのである。
私は今、この傷があるからこそ、クリスチャンホームの子どもたちが、神様から離れず、神様と共に生きることがどれほど素晴らしいかを伝えるものになりたいと思わされている。
放蕩しても帰って来たらいいじゃん!という人もいるが、どれほど、放蕩ということが痛みを伴うことなのか、、知っている私からすれば、憤りさえ覚えてしまう。
神様から離れるという、この代償の大きさを私は誰も体験して欲しいとは思わない。
この経験、傷があるからこそ、私は本気で神様と共に過ごす素晴らしさを伝えていきたい、そう思えるのである。
牧会の役割は決して安易ではなく、生半可ではできない、大変な役割である。
しかし、主がこの私を選んでくださった、その召しにただ応答して歩んで行きたい。
主が共におられ、助けてくださる。
ただそれだけを信じて。
【10.26 追記】
私には牧者がいない、そう思っていたけど、間違っていた。
イエス様が牧者である。
囲いに属しなかったわたしが、囲いの中に入れられ、神様の声に聞き従うよう導いてくださっている。
そして、牧者として立たせてくださるのだと気づいた。
こんなものでも、立たせてくださる。
この恵みにいつもかえりたい。
また、親には素直に、牧会的役割をしてくれていたことを心から感謝している。
【10.28 追記】
母とランチに行き、今までの苦い思いを素直に告白し、牧会的役割をしてくれていたことの感謝を伝えた。
母は、はじめ、ランチに誘った時、何か怒られるんかと思った、と笑って話していた。
そして、牧会ってほどのことはしてないよ、神様に任せられたこと・賜物として与えられたことをただしているだけ、と語った。
神様から与えられている召しに立って生きている、そんな母を心から尊敬した。
そして、その娘でいられること、クリスチャンホームに生まれ愛を持って育ててくれたこと、、
感謝で涙が溢れた。
また母は、ひいおばあちゃん(我が家のクリスチャン第一号)が、私の存在を、こうして神学校に行っていることを、天国で喜んでいると思う、、と涙しながら話してくれた。
私は、ただ神様に、そして、家族に感謝でいっぱいである。
急な誘いにも関わらず、ランチを予約してくれ、一足早い誕生日までお祝いしてくれた、そんなお母さんの子どもで、本当に幸せだと心から思った。
帰りの車では涙が溢れた。
教会を愛することができなかった傷からの解放と、母との関係の回復の時であった。
今は、過去の傷があるからこそ、私の召し・ビジョンがそこにはあって、(放蕩娘・無牧・田舎でクリスチャンとして生きることなど)つらい経験でもあるが、その只中にも、神様は共におられ、神様の愛がいつも注がれていたことを感じさせられる。
ただ感謝。これ以上の言葉が見つからない。
私も母のように、私に与えられた使命に立って、いつも共にいてくださる(インマヌエルの)主とともに歩んでいきたい。