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vol.7_20「障害者が自ら社会に飛び込んでいく」

「障害者」を「障がい者」と表記するべきか。はたまた「障害のある方」というべきか。そんな論争がいつもどこかで繰り広げられています。
ここでは「障害者」と呼ばせていただきます。「障がい者」と表記したがる人は「害」という字に嫌悪感を抱くようです。しかしどこにも、その人に害がある、その人が他の人に害を与えている、害を与える人だという意味は含まれていないのです。
例えば、50mの平坦なコースを走る人と、障害物がいくつも置かれたコースを走る人がいるとします。普通に競争したら競技として成り立ちません。でも、コース上の障害物を周りの人がどかしてあげたら、取り除いてあげたら、一緒に競技を行えます。
それと同じで、「障害」は「人」にあるのではなく、コース、つまり環境にあるのです。そして「害」を受けるのは、観客でも一緒に競争する人でもなく、走る本人なのです。
だから結論、「障害者」「障がい者」「障害のある方」どれを使っても何でもよいのです。そんな論争をすることで「理解のある人」「配慮できる人」であるように一見見えますが、呼び方が変わっても本質的なことは何も変わらない、そんなことは当事者にとってはどうでも良いことなのではないでしょうか。それよりももっと先に考えるべきことがあると思います。
そんな思いもあり、ここからは一番ベーシックな「障害者」という表記の仕方をさせていただきます。

さて、障害者の住みやすい社会をつくるには、周りの人の理解を促進したり、地域交流の場を増やしたり、支援する事業所を増やしたり、ユニバーサルデザインを進めたりと環境を変えることが必須です。 
しかし、周囲が変わることを待ってるだけで良いのでしょうか。 
少しずつ社会の流れや考え方は変わりつつあります。
でもそれは、待ってたら勝手に変わってきたわけではなく、目的を持ってエネルギーをかけて変えようとした人がいたから少しずつでも進んでいるのです。 
周りが変わるのをただ待っていては日が暮れてしまいます。子どもはすぐ大人になり、同じように親もすぐ歳をとります。 
周りが歩み寄ってくるのを待っているのではなく、自ら飛び込んでいくこと、求めていくこと、理解されるために表に出て行くことが必要なのです。 
例えば道に迷ってても、ただキョロキョロ地図と格闘してるだけでは助けようと声を掛けて来てくれる人はほとんどいません。
それが現実です。 でも、道を自ら尋ねれば、教えてくれる人は格段に増えます。 
それと同じで、困ったまま時間を過ごすのではなく、自ら発信することが、自分のことを知らない人にも自分から声を掛けていくことが必要なのです。

私は高校生の時に初めて、ひょんなことから生活介護事業所と就労支援B型事業所に行って、そこで初めて知的障害者の方と接しました。
合奏の発表で、CDの音楽を流して、楽器を思い思いに演奏している楽しそうな姿を見て、思っていた「合奏」じゃないじゃんと思いましたが、この自由さや楽しそうな雰囲気に、すぐそんなつっこみも忘れ、自分が幸せな気持ち、あたたかい気持ちになっていることを感じました。
そのとき、こんなにたくさんの人がいるのになぜ私は今までの人生で全然出会ったり目にしたりしたことがなかったんだろうと疑問に思いました。
もっと早く出会っていれば、街中で姿を見ていれば、この幸せな感覚に気付けたかもしれなかった。ここに来たことがない人たちは、このあたたかく幸せな雰囲気を知らない。なんてもったいないんだろうと思いました。
その時から、私は将来障害者と関わる仕事をしたいと思い、自分が感じたこの幸せな気持ちをもっとたくさんの人にも味わってもらいたいと思い、またそれが自分の使命だと思って生きてきました。
そして大学・大学院と知識や経験を少しずつ身につけていく中で、障害のない人の日常生活に、障害者があたりまえにいてほしい、あたりまえにしたい、と思いを強めました。

その中で、現在なぜ障害者が地域社会に当たり前にいないのかを考え、自分の中では「問題行動」が阻害要因だと考えるようになりました。生活スキルがいくら向上しても、問題行動が現れるとスムーズに生活はできないし、周りから白い眼を向けられることになり、そうすると余計にそんな社会には出て行きたくなくなります。
優しい世界が理想ですが、障害児の保護者さんは子どもがしたことに頭を下げ続ける社会、電車の中で突然叫びだした人がいたら遠ざかったり煙たい顔をしたりする人に囲まれている社会が現状です。
大衆の常識や偏見、固定観念や気持ちを変えることは簡単ではありません。障害者と関わらない社会で生まれ育った人ならなおさらです。
それを少しでも変えるには、とにかく行動をしないといけないと思いました。
できることは、障害者の問題行動を減らすことと、社会の目を変えることです。
人は未知のものを怖がり、避けようとします。今の日本社会は障害者に日常の中で出会う機会がなさ過ぎて、「未知の存在」だから理解できない、むしろ理解しようとしない人が多いと思うのです。
生き辛い社会だから出て行けない、出て行かないのではなく、生き辛い社会を変えるためにどんどん出て行って、生きやすい社会を作っていく必要があるのです。

そのために、コプラスステップでは、事業所に閉じこもって作業をするのではなく、事業所の外と距離の近い仕事をしてもらおうと思っています。
働けるところで働くのではなく、たくさんの選択肢の中から働きたいところで働いてほしいし、その働きたい先にコプラスステップがあってほしいと思います。
障害のあるなしに関わらず働きたいと思えるおしゃれな事業所で、やりがいのある仕事をして、作ったものを社会に届けてもらいます。
障害者自身が人の役に立っていると目で見て耳で聞いて実感できるもの、人々が選択肢の中から選んでくれるものをつくることで、社会の一員だという意識や選ばれている喜びが感じられます。
そんな生産活動をコプラスステップでは提供し、ともに同じ会社の従業員として日々仕事をしていきます。日常生活の中で自然と社会に出ていけるようにサポートします。それが社会を変えること、住みやすい社会に変えることにつながるのです。
もちろん無理に社会に適合しようとする必要はありません。ありのままの姿で大丈夫です。一気に飛び込むもよし、それぞれのペースでじわじわと進んでいくもよし。進もうとするとき、必ず私たちが一緒にそばにいます。もちろん後戻りもできます。社会に出て行って怖かったら、何か嫌なことがあったら一旦戻ってゆっくりすれば大丈夫です。
自分たちのために、一緒に社会に飛び込んでいきましょう。

株式会社ライトサイン
COPLUS STEP
管理者兼サービス管理責任者
河内山 冴


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川口 博史 /  小学校創立する人
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