恋の余韻


「恋の余韻」                   
作/えっちゃん

    アイシテルとはいわない。
    キスもハグもない。
    それが消せない恋の余韻。

 
第一章 オレ、図書館で待ってるから 〜age18〜
  
 「おい、豪。おまえ模試の結果、Α判定だったんだって?
いいよな、優等生は。もう楽勝じゃん」。
浪人生活までくされ縁がつながった幼なじみの順太にそういわれても、豪は得意げな顔をすることはない。
「ば〜か、試験なんて一発勝負だろ。あてになんないのは経験ずみ」。
いつものように唇の端で笑って、首に巻きかけたえんじ色のマフラーをさっと端正にたたんだ。
十一月になるというのに、まだ外套を着る気になれない春めいた放課後である。
 
 えんじ色のマフラーをさっと端正にたたんだ。
その仕草が、乱暴な軽口には似合わないほど優雅だったことに、
わたしは感動をおぼえた。
豪くんと予備校で顔をあわせるようになって半年。
いつのまにか豪くんを目で追うようになって3ヶ月。
豪くんの男らしい顔が好き、クールな表情が好き、
タイミングよく面白いことを言って笑わせるキャラが好き。
粗野な浪人生を演じながら、マフラーを優雅にたたんだ仕草に
、豪くんの育ちのよさが見えてしまって心が揺れた。
 
「愛、一緒に帰ろうよ」。
しまった。未央に、豪くん見てたこと気づかれたかな。
「ふう〜ん、愛は豪くんかあ。豪くんのこと、教えてあげよっか」
と、ダンタ予備校イチの事情通の未央が、わたしの目をのぞきこむ。
 
  地元の秀才が集まるこのダンタ予備校では、青春っぽい友だちづきあいとか、まして恋愛とかは、暗黙のタブーだったから、他高からやってきた豪くんや順太とは、わたしは挨拶ぐらいの仲。
というより、友情を育む環境を望んでる受験生など誰もいなくて、みんな勉強をするだけして帰っていく。
そんなドライな浪人生活で未央とわたしは、唯一、桜のつぼみがふくらむような恋の感情も共有できる間柄になった。
未央はまじめだけが取り柄のダンタの女子のなかで、こっそり彼氏もみつけ、それでいて国立大Aランクを確保しているちゃっかり者。
いったん入学した大学を中退し再受験のためにダンタに入ったわたしに、みんなの妹分的な可愛い未央がくっついてきて、なにかと世話を焼いてくれるようになったのだ。
とはいえ、豪くんのことは、未央が勝手に気をきかせてきたというか・・・。  
 

 志望校や偏差値といった話題にうんざり気味だったこのところ、未央が愛くるしい目を輝かせて話しかけてくる。
「あのね、私、豪くんと同じ高校だったじゃない。知ってんの。豪くんち、あのへんで有名な陶芸家の息子なんだよ。お母さんはお茶のお作法の先生でさ。で、ここが肝心なんだけど、彼女はい・な・い」
と、わたしの反応を伺ってくる。
「ふうん」。
絵のようにうっすらしていた豪くん像に、肉や骨がついて現実のヒーローっぽくなったような妙な感じ。
ふうん、とだけ言ってわたしは未央とわかれ、いつものように予備校隣りの図書館へ寄って帰ることにした。
ふり返ると、窓ぎわに集まった男子たちは、隣の女子校の生徒たちの品定めをしてふざけあっている。
他愛のない気分転換だ。
豪くんも、か。
なんだ、気に入ってる子の名前まで知ってんだ。
   
  図書館で苦手な数学を解いていると、豪くんと順太がやってきた。
「未央がおまえに渡してくれって」と、豪くんから封筒を受けとる。
はあ? 膝の上でこっそり開くと鉛筆書きのハートマークにニコちゃんの笑顔が合体した絵、のみ。
未央のバカ、もう!
「おまえらって、いつもリラックスしてんのな。ま、いいけど・・・」
返す言葉なし。
「受験おわったらどうすんの?」と、豪くんが社交辞令で聞いてくる。「海だね。桐ヶ碕灯台のぼって。それから山も。城田山のぼって」と、とっさに思いついた言葉をならべる。
「わかる。意外と地元の名所って、部活や受験で行ってないもんだよナ」。
それだけ。
今週、豪くんと喋ったのは、輝かしくもこの一分だけ。
どうすんのこの気持ち、ってくらい盛り上がってる自分がばかみたい。  
  

 帰り道は、いつもさみしく切ない。
受験が終われば、わたしたちは、日本全国いろんな地図の上で、それぞれの青春をはじめるわけだから。
その前夜祭、この高校生でも大学生でもない時間は青春とは呼べないのだろうか。
予備校生たちにとって、今のことは、余分な、もしかしたらなかったことにしたいかのような人間関係の希薄な時間だ。
 
 
 今朝も春のように暖かい。
予備校の始業ベルが鳴っているけれど、今日は未央がやたら豪たち男子にちゃちゃを入れている。
「ねえ、愛。豪くん、カラオケで歌ったことないんだって」。
本来陽気なわたしは、未央ちゃんサンキューと話題をふくらます。
「豪くんさあ、意外とサザンとか熱唱しそう。
前の晩、ちゃんと予習してきそう」と、初めて豪くんとじっと目をあわせて笑いあえたと思ったら、すでに先生が教壇に立っていた。
 

 「愛、おまえ、たのむぞ。豪たちは真剣に勉強して、K大に入る人間なんだからな」。
数学教師のその一言に、青春という二文字がすぼんでいく。
この先生は、かつてわたしの高校の担任だったのだ。
勉強よりも人生に興味のある早熟なわたしのことを、よくわかっている。そして、豪に恋愛オーラを送りかねない私の感情も、すばやく察知していた。
先生は、(豪の邪魔をするな)という念を送ってきている。
そうです、わたしたちは受験生でした。
   

 数学の授業は、その日に限って難問が多かった。
将来何の役にたつかもわからない数式に、わたしは頭を抱えながら鉛筆を走らせた。
授業終了間際に答えあわせをするのだが、先生は豪くんを何度も指名して答えさせた。
豪くんはあてられるたびに、すっときれいな姿勢で立って、よどむことなくパーフェクトに解答していく。
どんな時も静かで自然で正しくいられる、この人が好きという気持ちが、わたしのなかでどんどん大きくなっていた。
 

 その日の帰り、やっぱりえんじ色のマフラーをたたんで学生鞄に入れている豪くんがいた。
わたしが声をかけるより早く、豪くんの方から
「オレ、図書館で待ってるから」、と鞄に視線を落としながら言った。
そしてそのまま出て行った。
教室には順太たち仲間数人、わたしと未央。待ってるからって・・。
さすがの未央も黙っている。
だって、その後に誰もなにも言わなかったから。
小さなドキドキを誰にも悟られないよう、足は素直に図書館に向かった。
 

 ここ数年で建ったばかりの図書館は、白く清潔で、地元の学生や予備校生が通っていた。
開放的な入口を入ると、らせんの階段があって、その登りきったところが、自習室の前のロビーだった。
まだ放課後というには早い時間で、ロビーには、豪くんと順太とその仲間の男子たちがいた。
豪くんが一番前に立っていて、男子たちはその後ろの椅子に座ってこちらを見ている。
未央が一歩下がって、わたしが前に出るような格好になってしまった。
これじゃあ、豪くんとわたしがボクシングでもしかねない雰囲気ではないか。
でも、試合のはじまるゴングは鳴らないし、なにかをはじめる合図は誰もできない。
試合の申し込みをしてきた、豪くんのファイティングポーズを待つしかないのだ。
 

 豪くんはなにか言おうとしているのだが、言わない、言えずにいる。
十八歳のわたしに、それをおぎなう言葉もない。
待ったけど・・。
順太が「豪、愛に言うんだろ」と、ついにうながす。
「あの」と豪くんは言ったきり、かすかに顔を赤らめて自分の足元を見ている。
十八歳の男子たちはそんなに我慢強くない。
そのうち「もうさ、豪が言えないんだったら、オレが言うよ。つきあってくれって」と、はやしたててきた。
そうなったらもうお笑い大会だ。
厳粛な表情をしているのは、豪くん本人だけである。
 

 なにか聞こえたような気がしたけれど、えんじ色のマフラーを巻いて豪くんは、図書館から出て行ってしまった。
その後わたしはどうやって家に帰ったか、覚えてない。
残念な気持ちもわかず、図書館のあの止まった時間がそのまま続いていた。
 

 夕方になって、とても寒くなって、この冬初めての雪が降った。
次の日も、その次の日も、わたしたち受験生は無口になって、淡淡と予備校の授業を受けた。
時々、男子たちが女子校の生徒に窓際から声をかけるのも、なんだか空々しかった。
それぞれの志望校を受けにいったり、合格したり、破れたりした。
豪くんはちゃんと本命のK大生になった。
予備校に卒業式はない。
豪くんともう一度目をあわすことはなく、わたしたちは全国の地図の上に桜の花びらのように散らばっていった。
豪くんが好きだった、というひとひらの気持ちは図書館のロビーのあの場所にある。

第二章 げたばこに花びら 〜age19〜

わたしがダンタ予備校に入った頃、豪くんと並ぶほど長身の男子が入ってきた。
豪くんと同じ山間部から通ってくる秀才。 他の男子みたいにツルまなくて、1人でいることが多く、
わたしの男版みたいだな と思った。
未央がダンタ予備校の「福山くん」と呼ぶのは、福山雅治似で長身長髪のカッコイイその男子だ。
ここダンタ予備校では、成績優秀なだけでは注目にあたいしない。
福山くんはどうやら恋愛経験がソートー豊富、というのが未央はもちろん、
男子たちからも一目置かれている理由だった。

 冬の寒さの厳しいこの地方にあって、
ストーブを囲める予備校の事務室は生徒たちが唯一くつろいで気楽に笑える場所だ。
友坂さんという学生たちと年齢がそんなに離れていない女事務員さんの、
社交的な明るい雰囲気がこの部屋に人を呼ぶことになる。
というのは表向きで、ストーブのめらめらとした火が、
まだ大学生にも社会人にもなりきれていない男子や女子の心のくすぶりを、ここに集めるのだ。

 福山くんは、田舎の男子たちのなかで群を抜いて都会っぽく、つまり大人びていた。
クールで、およそストーブのある事務室は似合わないのだが、
なぜかストーブ部屋の常連だった。
予備校が終わってから三十分、列車を待つ間やって来て、いる。

誰とでもうまく話しをあわせられる未央は、福山くんともさらっと話せる。
「東京と九州、どっちが楽しいかな、大学」 いつのまにか、福山くんの隣を陣どった未央がきく。
「京都。古いものも新しいものもあるからね」と福山くん。
「それ答えになんないでしょうが。私はK大ムリだしい」
と未央が可愛く笑う。 すかさず友坂さんが、
「近藤くんならK大行けるよ。遊びに行くからよろしく」、 なんて言ってる。
あ、近藤くんというのは、福山くんの本名だ。
ダンタ予備校に途中から入ったわたしには、福山似の福山くんの方がぴんとくる。
未央の隣にいるもんだから、福山くんはわたしに近い。
会話の中身にはたいして興味ないのだけれど、さらっとしたきれいな
福山くんの髪 には触れたくなる。
きれいだな。男なのに、福山くんきれい。

「・・・花、オレ好きだよ」。
え? 未央と福山くんの会話は、好きな花の話題に行っちゃったみたい。
「クチナ シの花 が好きって、この人ジジ臭い。ねえ、愛」
と未央がわたしにふってきた。
「でも、わたしもクチナシの花 の匂い大好きだよ。
おじいちゃんの家の庭に大きなクチナシの木があって、
子供の頃は、よくその木の なかに埋もれて匂いをかいでたなあ」と、わたし。
福山くんはクスッと笑い、「愛さんはクチナシの花 っぽい人だと思ってた」。
未央が「なにそれ。じゃあ、わたしのお花は?」 ときくと、
「ヒマワリ」とちゅうちょなく福山くん。
未央はまんざらでもない様子。
友坂さんが「わ・た・し・は?」と身をのりだしてくると、
「オレ、友坂さんのこ とよく知らないから。でも夜桜、かな」って、ちょっと意味深じゃん。
友坂さんは、はっきり言ってしまえば色っぽい。そして、言ってしまえば、
福山くんに惚れてるんだろう。半年前からそんな感じ、でもどうでもいい。
いや、違うな。
だって、福山くんはカッコイイし、ディープな世界に連れて行ってくれそうな危う
さもあって・・・。
ま、豪くん以外はアウトオブ眼中ってことで。

ところがその日、図書館に行こうと予備校を出た裏庭で、泣いている友坂さんを見た。
福山くんもいた。
「オレ、好きな人しか抱かないよ」。
「好きな子、いるわけ?」って、これ修羅場?
修羅場と呼ぶにはどっちも切なくて、空気が淡すぎる。
友坂さんも子供みたいだ。 っていうか、マズいでしょう、
予備校生と事務員の深い関係なんて。 見なかったことにしよう。

それより明日は最後の模試。
図書館へ、図書館で勉強して、さっきのことは忘れよう。
図書館のロビーでは、いつになく男子たちが、
福山くんの恋愛武勇伝と自分の武勇伝を勝手に競って盛り上がっていた。
わたしと同じ高校だった剣道三段角刈りの田所くんが、
エロ本の性描写のつぎはぎのような自分の武勇伝を語っているのに、
ボロがいろいろ出てくる。結局は、
「アイツは、ほんとうに年上とかさあ、いろいろ経験してんだよ。
いろんなこと知ってるもん。いいよなあ」ってことに落ち着いたようだ。
散らばって黙って勉強をはじめた。
それより・・・豪くん、今日来ないのかなあ。

そしてまた予備校の朝がやってくる。
「おい、豪。おまえ模試の結果、A判定だったんだって? いいよな、
優等生は。もう楽勝じゃん」。
浪人生活までくされ縁がつながった幼なじみの順太にそういわれても、
豪くんは 得意げな顔をすることはない。
「ば〜か、試験なんて一発勝負だろ。あてになんないのは経験ずみ」。
いつものように唇の端で笑って、首に巻きかけたえんじ色のマフラーをさっと 端正にたたんだ 。
豪くんのお母さんてどんな人だろう、
ああいう風にマフラー たためる男子を育てた家って・・・。
そんな推測も、わたしには関係のないことに 終わった。

 予備校に通い、図書館で問題を解き、志望校を絞って、受験した。
お正月を過ぎてしまえば、すべてが淡淡と過ぎていった。
予備校に卒業式はない。
受験して、先生に結果報告して、わたしたちの短かった予備校生活が終わった。

「さよなら」も言いあわずに、豪くんは東に、わたしはもっと遠い東の大学に行った。
でもわたし、もう一度、予備校に行ったんだよ、豪くん。
あなたが忘れ物をとりに来ないかと思って。
なのに豪くんは、きれいさっぱい、来なかった。
誰もいない予備校の事務室に、未央と未央の彼氏と、福山くんと、その他の男子と女子が
ストーブに手をかざしていたよ。
未央の笑顔が優しかったし、福山くんがわたしに「豪と会ってる?」ときいてくれた。
わたしは笑っただけだけどね。
未央が「愛、大学行ったらまた遊ぼう」と投げキッスをして、彼氏と帰って行った。
福山くんが「電車、くるから」と出て行った。
なんだか泣きたくなった。
「さよなら」を言う場所がない。
みんなこの中途半端な、それでもまちがいなくわたしたちが出会った予備校生活
から、自分の未来へ帰っていくんだ。

 最後の一人にならないうちに、わたしも歩きはじめた。
げたばこに行ってスニーカーに履き替えて・・・え? クチナシの花 。
なんでここに クチナシの花 ?
福山くん、誰のことが好きだったの ? なんでなにも言わなかったの ?
十九歳の春はわからないことだらけじゃないか。
心にささった問題に答えを出さないまま、
福山くんをのせた西へ向かう 列車が目の前を走りすぎて行った。
ブリザードのクチナシの花をにぎりつぶして、線路の先をずっと見送った。

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