母の入信
(名前は全て仮名)
19歳で結婚したおふくろは、すぐに僕をお腹に身ごもり、お腹が少し膨らんできた頃、実家によく行き縁側で海を眺めていたようだ。
おふくろが仏法の話を聞いたのは、ある日、その縁側に座ってた時だった。
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おふくろが生まれた故郷は、九州の佐賀県唐津市にある某港町。
半農半漁の小さな田舎町で、おふくろの実家は海士を営んでいたが、かなり貧困の家庭だった。
家族構成はおふくろの両親、4男3女で、おふくろの実母、ヒサは、おふくろが7歳の時に病で亡くなった。
病に伏したヒサは貧困だった為、都度に病院に掛かる金がなかったようで、ただ気息奄々の日々を過ごす中、本格的な治療も受けられずに亡くなったらしい。
後に2人の継母が来たが、1人目はいつの間にか居なくなり、2人目の継母は、霧雨が降る寒い日に、叔母(おふくろの実父、武の姉)が差した蛇の目傘に入りながらやってきたという。
この2人目の継母は非情な女性だったらしく、あまりの陰険さに次兄だった浩と姉だった富子は家を出ていってしまった。
その頃から、長兄だった光男と実父の武は家の中で争いが多くなり、3日に1度は包丁や棒などを振り回す大喧嘩が起きていた。
小学生だったおふくろは毎日のようにされる虐待にも似た継母からの仕打ち、さらに長兄と実父の大喧嘩、と家にいるのが嫌で怖くて仕方なかったようで、気を紛らわす為に部屋の隅で学校で借りた本をよく読んでいたらしい。
小学4年になると、春と夏の休みの時には強制的に奉公(アルバイト)に行かされ、手間賃は全て継母に取り上げられ、文房具やお菓子1つ買うお金も貰えなかったという。
中学生時代のおふくろは活動的で、当時もまだまだ険悪な家庭だったこともあり、家に帰りたくない気持ちもあってか、学校ではソフトボール部に入り閉門時間の間際まで練習をしていたという。
そして、貧困ゆえに高校に進学することができなかったおふくろは次兄の浩から、「お前は親から飼い殺しさせられる」と言われ、浩の口利きで下関の加工食品の会社に就職したが、やはり2年後に武に執拗に連れ戻され、地元の巾着網漁業を営む網元に女中として就職することになった。
その後に、遠洋漁業に従事する浩は、東シナ海で遭難し帰らぬ人となったらしい。
女中として働いていた時は、今で言うパワハラなど日常茶飯事で、女将に「貧乏人の娘のくせに!飯をのんびり食う暇があったら人一倍働け!」と言われたこともあったという。
それから、その網元で機関士として働いていた僕の親父がおふくろと結婚したいと言い出し、武と網元の主との間で勝手に話は進み、おふくろと親父は結婚することになった。
おふくろは別に好きな男性がいたらしいが、武と網元の主の命令にも似た結婚に逆らうことも出来ず、好きでもない親父と結婚し、結婚後も女中として働く中で相変わらずパワハラを受けながらの日々で、日を追うごとに女として疎外感を感じ、何度も実母だったヒサの墓前に行き“墓を掘り起こしてでも母ちゃんに会いたい、なんで死んだの”と言いながら泣きしきったという。
そんな累日の中、おふくろは僕を身ごもった事で仕事を辞めて、子供を授かった喜びに、ほんの少しの幸福感を感じながら実家に出入りしていた。
その頃、実家には武と継母が住んでるだけで、大人になり結婚し金のかからなくなったおふくろに、特に継母は構うこともなかったという。
妊娠後、女中の仕事も網元の主が絡んだ結婚だったので、女将や女中仲間から多少の嫌味を言われたが、円満に暇をもらい主婦の生活に入った。
おふくろは好きでもない親父と結婚しながらも、親父に対して多少の情も移っていたが、親父が漁に出て留守の時はなるべく家に居たくなかったらしく、家事を済ませるとよく、嫁いだ友達を訪ねたり、実家に来ては縁側に座り、足をぶらぶらさせながら海を眺める、そんな日々の中での妊娠だった。
先述したように、おふくろの生まれた港町は坂の多い半農半漁の町で、おふくろの実家は港に近いところにあり、坂の途中にある木造の小さな家だった。
実家にある縁側の前には、土がでこぼことした4畳ほどの庭があり、その遠く向こうを見ると島が浮かび、海風がその島を囲むように流れるような風景の中で、藍色の海原が大きく広がっていた。
おふくろはいつも、白波が揺れる海を勇ましく走る漁船を眺めながら、子供が生まれたら母ちゃんに見せたかったなと思い、お腹の子には、母親の顔を覚えていない人生は送らせられない、こんな思いは私だけで充分だから、早死にすることなく長く生きなくてはとも深思していたという。
そしてある日、いつものように実家に来て海を眺めていると、近所に住む顔馴染みのおばちゃんが庭にやってきて、微笑みながら、子供が出来たんだね、おめでとうと言ってきたらしい。
おふくろにとって旧知のおばちゃんだが、最近はニコニコしながら元気よく歩いてることが多いので、おふくろは何かとても良い事があったんじゃないかと思っていたらしい。
おふくろはおばちゃんに、
「最近、おばちゃんニコニコしながら歩いてること多いけど、何か良い事があったの?」
と尋ねると
「ニコニコかぁ、私はニコニコしてるのか。そうなのか」
と返答にならないようなことを言っておふくろの隣に座り、おばちゃんは海を眺めながらおふくろに仏法の話をし始めたらしい。
(以下、おふくろとおばちゃんの当時の会話を、おふくろから聞いたので標準語で書く)
(おふくろの名前は仮名)
「恵ちゃんの為になる話をするから、聞いてくれるか?」
「何?私の為って」
「おばちゃんは創価学会ってとこで宗教をやってるんだよ。それは仏法って言って素晴らしい教えなんだよ。その教えはな、南無妙法蓮華経という題目を唱えると幸福になって、宿命転換もできるんだよ。」
「その宿命転換って何なの?」
「宿命転換というのはな、人には誰でも避けられない宿る運命というのがある。それは、恵ちゃんあんた、早くに母ちゃん亡くしてるだろ?それは恵ちゃんの宿命、つまり避けられない悲しい運命だったんだよ。あんたが母ちゃんからオギャと生まれてから背負った運命だったんだ。そんな悲しい運命は誰にでもあるけど、それを無くしてくれるのが南無妙法蓮華経で、それが宿命転換って言うんだよ」
「なるほど、おばちゃんもその宿命転換の為に、その創価学会というとこに入ったの?」
「それもあるけど、創価学会で唱える南無妙法蓮華経は、それだけじゃなくて、宿命転換した後に心を幸せにしてくれるんだよ。そして唱えて幸福になって、祈りはなんでも叶うんだよ」
「だからおばちゃんは最近いつもニコニコしてるんだね。」
「そうだろうな。恵ちゃんの親を早く亡くす宿命は、業になって自分の子供にもそれが移ることもある。あんたが早死にするなんて言うつもりないけど、とにかく自分の子供にそんな親を知らないなんて思いをさせたくないだろ?悪いことはおばちゃんは言わん!恵ちゃんも創価学会に入って仏法やって宿命転換した方がいい。悲しい運命を無くして、小さい頃から知ってる恵ちゃんにこれから生まれる子供と一緒に幸せになって欲しいんだ。」
「おばちゃん、私も最近この子を授かってから、私みたいに親の顔を知らない子にはさせたくないから、長生きしなければと思ってた。そしておばちゃんからそんな話を聞いたから、これは何かあると今思ってたんだよ。だからその創価学会に入って南無妙法蓮華経を唱えてみたいけど、これからの自分の人生に関わることだから少し考えさせて」
「そうか!話をして良かった。じゃまた話しにくるから、じゃあね」
おふくろは宿命転換という言葉がとても心に刺さったらしく、暫く考えて、やってみようと素直に思い、後日おばちゃんに入信することを伝えにいったという。
その後のおふくろの人生は、宿業の嵐が吹いて波乱の人生になっていく。
親父の散財癖、親父との離婚、800万の借金を背負う、飲食店経営をしながらヤ○ザとの戦い
そしてこれらの宿命から逃げることなく、全て信心で向き合い乗り越えてきたおふくろだった。
おふくろ曰く、あの時に創価学会に入り南無妙法蓮華経を唱えて生きていこうと思えなかったら、私は宿命に負けて自殺していただろうな、と。