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功徳〜叔父が自転車を担いできた日

僕が中学生だったある日、
おふくろは御本尊に向かって、
いつものように題目をあげていた。

真剣に祈る人の中には、お数珠を凄い勢いで揉む人がいるが、おふくろはお数珠をそんなに揉むことはなく、合わせた手を震わせながら、仏壇の中に入り込むような勢いでよく祈っていた。

その日もそんな感じでおふくろは祈っていたんだけど、そんな時、叔父が玄関をガラガラと開けてやってきた。

叔父は題目をあげているおふくろを気にする素振りもなく、僕に

「わりん、かあちゃんに用があって来たけん」

九州弁でそう言うか言い終るかの時に、おふくろの題目は終わった。

おふくろが「来たか?」
というと叔父が「来たばい」と言った。

そして、おふくろがリビングに来て座り、叔父と向き合った時、叔父はこう言った。

「姉ちゃん、そんな真剣に拝んで、仏壇から100万でも出てくるのか?」

おふくろは呆れて笑っていた。

叔父は若い頃やんちゃ過ぎて、ヤ◯ザになるかならないかというレベルだったが、叔母の熱烈な求婚がありヤ◯ザにならず正業に就いて結婚した。

しかし、子供が出来てからも酒好き、ギャンブル好きは変わらず、街で喧嘩をしてはたまに警察の世話になることもあった。

それでも仕事はちゃんとしていたが家計は常に火の車だったようで、叔母や自分の子供にも質素な生活をさせていたぐらいだから、僕にお年玉をやろうなんてことも思わなかったはずだ。

当然にそんな叔父だから、おふくろが創価学会の話をしても全然聞く耳を持たなかった。叔父は友達を大切にし、義理を欠くことなく、親戚つき合いも大事にしてたが、結局は現金こそ我が命のような人だった。

しかし、そんな叔父がたった1度、僕が小学1年生の時、自転車を担いで家に来たことがあった。

僕に自転車をプレゼントする為に。



僕は小学生になり、いつも公園で同じ年のような子が自転車に乗って楽しそうに走っている様子を見て、自分も自転車が欲しいなと思っていた。

そんなある日、学会活動から帰ってきたおふくろに初めて自転車が欲しいと言うと、おふくろは悲しそうな顔して”我慢しなさい“と言った。

それからしばらくして、僕はまたおふくろに自転車が欲しいと言うと、おふくろはまた悲しそうな顔して

「買ってもらえないお前も辛いだろうけど、買ってあげられないお母さんはもっと辛いんだよ」

と言い、そしておふくろは、お母さんと一緒に御本尊に祈ろう!祈りは必ず叶うから、自分の自転車が必ず欲しい!と祈りなさいと言った。

僕はそれまでたまに勤行する程度だったけど、次の日からおふくろの必ず叶うを信じて、学校から帰宅すると、遊びに行かず御本尊の前に座り題目をあげた。時にはもう晩御飯だよと言われるまであげていた。

おふくろも家事と学会活動がない時は一緒にずっと祈ってくれた。

公園へ遊びに行くと、そこで自転車に乗って遊んでいる子を見かけ、落ち込んで帰ってきて、自転車はいつやってくるのだろうと思いながら、また題目をあげる。そんな日もあった。

そうして1ヶ月ほど経った時

僕がおふくろに頼まれておつかいに行こうと家を出て道路に出ると、遠くから叔父が自転車を抱えてこっちに歩いてくる姿が見えた。

僕はその時に、叔父が僕に自転車を買ってくれたのかなんて全く思わず、家に戻っておふくろに叔父が来てることを伝えた。

僕がおつかいから帰ってくると、玄関の横に叔父が担いできた綺麗な青い小さな自転車が置いてあり、僕はその時に“もしかして!“と思い、家に入ると叔父が座ってタバコを吸っていて、僕を見るなり笑いながら

「お前に自転車買ってきたぞ」

と言った。

僕はおふくろを見て万歳をした。
おふくろは僕の手を握って、
「良かったね!自転車が来たね!」
と凄く喜んだ。

その喜びようを見ていた叔父は、
「やっぱりそんな自転車欲しかったのか!そりゃ買ってきた甲斐があったな。」
と言い、叔父はなぜ自転車を買えたのか話を始めた。

叔父はその日、仕事を休んで狙っていた競輪のレースの券を買いに行き、その券が大穴配当になり、がっつり儲けたとのことで、換金所でお金に替えた時に何故か僕のことが頭に浮かび、“◯◯も小学生になり、自転車が欲しいだろうな”とふと思い、競輪場からの帰りに自転車屋に行き、僕が乗れる大きさの自転車を買ってきたとのことだった。

叔父は思いを巡らし、即僕に届けたかったというよりも、ギャンブル好きの人によくある、宵越しの金は持たないという性格もあって、その日のうちに買って持ってきたんだろうと、後におふくろが言っていた。

とにかく僕の祈りは叶って、自転車が僕の元に届けられた。

後でおふくろに、事前におふくろが叔父に僕が自転車を欲しがってることを伝えていたのかと聞いたが、言ってないと言った。

僕が中学生になった時、叔父に自転車の話をして、僕が公園で他の子が乗ってる自転車を欲しそうに見てた姿を見たりしたのかと聞いたが、そんな僕を見たことはなかったらしく、叔父らしいことをたまにするかという気まぐれだったと言っていた。

ということで考えれば不思議な功徳だけど、僕やおふくろの祈りが因果として通じたことは歴然で、僕やおふくろが祈り始めて、1、2度叔父がおふくろを訪ねてきたことがあったが、その時に何かしら叔父の生命に感応するものがあったんだろうか、また一念が遍いたゆえの結果だろうかと思っている。

僕はあの時、おふくろが必ず叶うという言葉を信じて祈って叶い、おふくろの信じる御本尊を僕も信じようと子供ながらに思った。

叔父が僕にこのようにプレゼントしてくれたのは、最初で最後だった。
その後、叔父とおふくろは断絶するまでの諍いを起こし疎遠になっていき、僕も叔父に会いにいくこともなくなった。

僕も叔父には色々と思いはあるけど、あの日、自転車を届けてくれた叔父に感謝は忘れずにいようと思っている。

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