夕暮れ時でもさびしくなかったら
夕暮れ時に外にいます。ここは知っているけれど、知らない場所。曾祖父が住んでいた島です。私が高校生の頃に亡くなった曾祖父ですが、それまでは小さい頃、よく祖父母に連れられて遊びに訪れていた場所でした。
私の母方の祖母の父の島。祖母は泳いで本土まで渡ったことがある話、みかんを積む船に乗せてもらった話、まだまだたくさんの面白い小さい頃の思い出をよく話して聞かせてくれます。
私はそんな曾祖父の住んでいた家に、訳あって住みついています。
今日はポストまで歩いてみよう。薄暗くなってきた頃に思い立って、黒くてシャカシャカと音の出る薄手のジャンパーをはおりました。
郵便局の前のポストとは反対の、ヤマザキショップの近くにあるポストへ。
外に出て少し歩くと、夕方5時の「夕焼け小焼け」のチャイムと、遠くから鐘の音も聞こえてきました。金曜日の夕方、車の往来が激しい車道を渡って、ひとつ奥の筋の見晴らしのよい路地裏へ。風呂を焚く薪の匂い、フライパンや鍋の影がぼんやりと映った窓。車一台ほどの広さの道は、島の坂道の上の方まで続いていて、山手にちらほらと見える家々にも明かりが灯りはじめていました。
島の反対側へ向かう鉄塔と、薄いピンク色から少しずつ、紫色、紺色になっていく空。夜に変わっていく空を見ていると、思い出したのは旅先での夕暮れのこと。知らない街で夜を迎えようとしている時、それがひとり旅でなく、家族や友人との旅であっても、どこか心細さを感じていたものです。
あの得体の知れない寂しさと不安感、それと同時に感じていた高揚感のようなもの。
立ち止まっていると、後ろからゴルフクラブを持った男性が私を追い越していきました。彼は数メートル前で何度かゴルフクラブをスウィングして、また歩いていく。そして、往来の激しい車道にサラリと手を挙げて、横断歩道を悠々と渡っていきました。
日々の常のこと。私が普通の日常を生きてやろうと、もがきながら試行錯誤しているのはなんだか不自然な気がしてきました。行き当たりばったり、偶然、成り行き、そんな風でいいのではないのか。
夕暮れでもさびしくない空を見上げながら、横断歩道の前で車が止まってくれるのを待ち、ぎこちなく手を挙げて、変に慌てながらひょこひょこと道路を渡りました。
島の曾祖父さんの空き家でのリハビリ暮らしをはじめます。
♩夕暮れ時のさびしさに/たま
1990年12月10日リリース
アルバム 「ひるね」
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