ひとの過去に触れながら空き家で生きる
私は今、曾祖父の家に住んでいます。曾祖父は10年前に他界して、この家はそれからずっと空き家になっていました。空き家になったといっても、私の祖父母が定期的に管理をしに来ていたそうです。
この曾祖父の空き家に住み始めた頃、生前使っていたものや、祖父母が家で使わなくなった家具家電を持ち込んでいて、家の中は物で溢れていました。移動するのにもやっとなくらい所狭しと置かれた物たち。私も持ってきた自分の家財道具があったので、曾祖父の物と私の物が喧嘩しているような引っ越しになりました。
知らない人の家ではなく、祖母の生家ということもあって、祖母と相談をしながら「捨てる」「捨てない」を決めていきます。
空き家を改装して住んでいる友人が多く、私も何度か友人たちの引っ越しや掃除の手伝いに参加したことがあります。空き家の持ち主とのやりとりで、荷物は全て処分してほしいとの契約が多く、その時は服や食器など、端から端まで手に取り、早い判断でゴミ袋や段ボールに詰め込んでいく作業でした。時々、ノートや手紙が出てくると、掃除の手が止まって読んでみたり、使えそうな食器や家具があると、その場にいる人たちで誰が持ち帰るか決めたり、あくまで「処分のための片付け」という感じです。
今回、曾祖父の家では祖母から曾祖父母の話を聞きながら、物はひとつずつ手に取って片付けていきました。
私も出来るだけ曾祖父が使っていた道具はそのままにしておきたくて、壊れているところは修繕しながら生活をしています。
カセットテープの棚を整理していて、「大正琴」と書いてあるテープが見つかりました。私は会ったことがないのですが、曾祖母は大正琴の先生をしていたそうで、その演奏の様子をテープに残していたようでした。テープには曾祖母の肉声も録音されていて、少しざらついた音の中に大正琴の素朴な響きがあり、テープに2人で耳を傾けている時間はとても「過去」を意識したひとときでした。
ふと祖母の方を向くと、厚いメガネの奥の小さな瞳から涙が溢れていました。
「とてもやさしい人だったんよ。あんたのお母さんもよく可愛がってもろうとったけぇ、ひ孫に会えたらもっと喜んどったじゃろうねぇ」
曾祖母のことを話す時、いつも聞く言葉でしたが、曾祖母の肉声と大正琴の音色を聴いた今はその言葉に奥行きを感じました。
空き家にすんでいると、たしかにここに暮らしていた人たちのことを感じずにはいられません。おじゃまします、と曾祖父の家に遊びに行っていた気持ちから、だんだん自分の家へとなっていく気持ち。
実の曾祖父が住んでいた頃のことを知っているからこそ、この家で暮らしている私が大切にしなくてはいけないことがそこらじゅうにあるようで、日々背筋が伸びる気持ちでいます。
奥の座敷にかかった曾祖父母の写真と、ひいひいおじいちゃん、おばあちゃんの写真、そして戦死した曾祖父の兄の写真。みんなに見てもらっていても、居心地の悪い感じがしません。今の私の暮らしのこと、ちょっぴり胸を張っても大丈夫なんじゃないかなって思えます。
♩ Last Ship to Shore
Tobias Wilden トビアス・ヴィルデン
2018年「Outer Limits」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?