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#2 他己紹介

 長かったようであっという間だったゴールデンウイークが終わり、世間では「5月病」という3文字が出てくる時期になりました。みなさんはいかがお過ごしでしょうか?私自身は連休明け10日ぶりの授業を寝坊するという始末で、GWボケの真っ最中でおりました… 


 前回の投稿から早いもので2か月が経ってしまった。3月と4月を振り返ると、卒業していく先輩と思い出をなぞる時間、就職活動を進める同期と語りあう時間、これから始まる挑戦への決意を表してくれる後輩との時間。一日一日が非常に濃度のある時間を過ごしてきたと思う。ちょうど4月1日に、大学1年の頃から付き合いのあるオープンキャンパス実行委員の同期と飲む機会があった。大学から飲み屋に向かう道中「そういえば、来年の今日、俺たち入社式なのか」と友人が発した言葉から、学生生活があと365日しかないという実感が襲ってきた。(今日時点で、10か月半しかないのが恐ろしい!)

 近況報告はこの辺りにして、本題の「他己紹介」に移りたいと思う。この言葉は「他者による自己紹介」を意味する造語である。具体的に取り組む場面としては、チームワークのお題としてペアなどを組んでお互いを紹介しあうというものが多い。
 さて、私自身の身近な場面では、就職活動のなかで「友人から、あなたはどのような人間であると言われるか?」を問われるという、本質的には「他己紹介」の伝言を課される質問が頻出であった。面接官の意図することとしては、主観的な自己PRと客観的な知人の意見に相違がないか、または、自分を客観視できているのかを問うものであると思われる。(この質問の是非については、またの機会に触れたい。) しかし、この場で面接官向けに話すような、よそ行きの「他己紹介」をしてももったいない。

 3月末、大学の卒業式後に、サークルの先輩の送別会(いわゆる追いコン)を開いた。その晩の、先輩からの「今だからできる話」をここに書き残しておきたい。その話をした先輩も自分も、副リーダー的な役割で実務的な面からサークルの運営に関わる機会が多く、学年こそ違えど似たような立ち位置であった。2次会に移りでかなりお酒も入ってから、「今だから言えることだけどさ」という前置きで、話の口火を切られた。「お前って、責任をもつことに気持ちよくなっているところがあると思うんだよな……」

 「責任感が強い」という言葉は概ね、前向きな意味合いで捉えられることが多いと感じている。そして、サークルやオープンキャンパス実行委員、ゼミといったコミュニティの仲間から自分に向けて言われることが多い言葉である。その反面で、背負いこむことが多いこと、背負いきれずに周りからの助けを求めることもあった、過去3年間の大学生活であったと思う。そのような、責任の裏側にある危うさを指摘してもらえた場面であったと思う。自分を知ることの重要性と、背負い込むことが責任ではないんだよということを教えてくれた先輩の話であった。

 そして、自分自身がなぜ「責任」をもちたがる傾向があるのか、考えてみた。おそらく、コミュニティにおける自分の存在意義を見出したいからではないかと思う。ひいては、周囲から自分が必要とされる人でありたいという願望があるのだと思う。

 だが、組織の視点から見ると、替えの利かない人というポストは代替性のなさという弱点になりうる。また、個人的には心身の不調などで思うように動けないときには、周囲に迷惑をかけたという罪悪感に苛まれることになった経験もある。「責任」を持つことで得られるものも、失うものもあるという二つの側面が見えてきた。また、リスク分散という観点だけでなく、コミュニティに対する参画の程度という観点で捉えると、全員が成果に対して等しく利益を得て、損失を負担することの方が健全である。そして何より、一人の人間でできることはごくわずかである。人が集まることで得られる集合知、多角的な視点、規模の経済、役割分担による効率化など、ありとあらゆる効果によって、成果は格段に向上する。そのような組織においては、大なり小なり程度の違いこそあるが、全員に等しく「責任」があると思う、今日この頃である。


 2か月ぶりのあとがきになります。私自身、数少ないエピソードをもって人間という多面性を持った生きものを判断することは難しいと考えています。だからこそ、より多くの話を伝えられるように、鮮度を保ったままの言葉として表現してみたいと思いました。ちょっと長い独り言のような投稿であったとしても、その瞬間の言葉を残すことに大きな意味があると感じた次第です。これから、もう少し気楽に自分の思ったままを伝えてみたいと思います。

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