はじめましての"自己紹介"
はじめまして、セラピスト•ヨガインストラクターのeriko です。
わたしは大阪の谷町六丁目で古民家サロンを営んでいます。
頑張り過ぎてしまう人が羽を休めて
また元気に羽ばたけるエネルギーチャージをする場所になりますように
との、願いを込めてサロンを tomarigi と名付けました。
今回は、わたしが、この古民家サロンをオープンするまでのお話と、どんな思いで運営しているのかをお話していきます。
サロンのある町
サロンのある谷町六丁目という町は、
大阪城に長めのお散歩ができる、
心斎橋に程近い場所にあります。
戦火を逃れた長屋が並ぶ、都会なのにどこか懐かしい町です。
サロンのある長屋は、人生の先輩のおばぁちゃまたちがとても楽しそうに色んな話をしてくれます。
おばぁちゃまたちによると
この長屋は100年〜150年ほどずっとこの場所にあるのだとか。
確かに区役所で明治頃の長屋一帯の手書きの地図を見せてもらったので、
きっとそのくらい歴史のある長屋なのでしょう。
歴史あるこの長屋。
新しいお家やお洒落なマンションのような
洗練さはないけれど、
深みのある趣やどこか懐かしさを覚え、
癒されるこの古民家で
サロンを営むことができることが本当に幸せなのです。
地元を出て関西へ
わたしの出身は
阿波踊りで有名な徳島県。
米津玄師さんが通っていた高校のすぐそばの地域が地元です。
(ちなみにわたし以外の家族は皆その高校の卒業生)
徳島県内を数回転校してますが、1番長く住んだ場所がその辺り。
県内では県庁所在地ということもあり、
大都市に比べると田舎ですが
徳島県という範囲で見ると割と都会な場所です。
数回転校して、住んだ場所で1番好きな場所は
四国のおへそと言われる池田町でした。
自然豊かで、何より時間の流れがゆっくり。
山に囲まれていて、夜7時には真っ暗。
そんな場所。
古い家屋がまだ残っていて、自然と調和しているように感じ、何を見ても彩り豊かに見えました。
そんなわたしが、徳島を離れたのは
社会人5年目を迎えようとしていた春。
産婦人科で管理栄養士として働いていたわたしは
入院患者である切迫早産のママ達を笑顔にできる方法はないかと、模索するようになりました。
ママ達は、入院初日は食事を運ぶと笑顔ですが、
3日もすると笑顔が消え、
中には泣いているママも、
食事を残すことも増えていき、顔色が悪くなる…
そんな方がほとんどでした。
献立表を可愛くしてみたり
手作りのおやつに凝ってみたり
お食事を運んだ時に話しかけてみたり
色々と工夫をしてみましたが、うまくいきませんでした。
そんな折、趣味だったヨガの特集雑誌を見ていたら
などの言葉が飛び込んできて、これだ!
と思い、ヨガ教室やスクールを探すようになりました。
当時の徳島にはヨガスタジオはなく
フリーランスのインストラクターが
自宅や公民館、岩盤浴でレッスンをしている、そんな状況でした。
近くのレッスンに行ってみるも
イメージはラジオ体操。
たくさんの人が集まり、インストラクターが前でポーズをとって真似をする…
あまり満足できなかったわたしは、
もっと詳しく学びたいと
インターネットで関西のヨガスタジオを探すことにしました。
そして、見つけた大阪のとあるヨガスタジオでレッスンを受け、その指導の丁寧さに感銘を受けました。
たまたまその日、
インストラクター養成講座の説明会が開催されることになっていて、
帰りの高速バスの時間までも余裕があったこともあり、参加して帰ることにしました。
説明会を終えた頃には、
養成講座を受けることを決めて、帰りに申し込み用紙をもらいました。
そこからは、約75時間の基礎講座を受けるために
2ヶ月間毎週大阪に出向く日々。
週に2回ある休みは1日講座、もう1日はレッスンを受ける、そんなふうにして過ごしました。
レポートを書きながら寝てしまったり
ヨガマットの上で寝てしまったり(しかもチャイルドポーズで朝を迎えました)
そんな日々を過ごして、卒業することができました。
同期の子達は、そのあと、アドバンスクラスに進みましたが、わたしは一旦そこで終了しました。
産婦人科で仕事をしながら、ママ達と簡単なヨガをしたい!
その思いを院長先生にプレゼンする日々…
話し合いを何度かしましたが、院長先生が首を縦に振ることはありませんでした。
今考えれば、絶対安静のママ達とヨガなんて
リスクを考えると
お医者さんとして、許可できるわけないと理解できるのですが、
その頃は
若かったこともあって
ヨガがこんなにいいものなのに!
なんで!?
という気持ちが先行して、
リスクに目を向けられず、
とうとう仕事を辞めることを決意してしまいました。
院長先生は
仕事を続けながら
外来のママとヨガしてほしい🧘♀️
と仰ってくれましたが
わたしの気持ちは変わらず
仕事にするには、どこかに所属して2年はしっかり修行しなきゃ!という気持ちがあり、ヨガスタジオのない地元徳島を出て、関西に移住することを決めたのでした。
田舎ゆえなのか
『27歳を迎える年にそんなことをして
結婚を諦めたのか』と同級生に言われた時は驚愕しました。
目標だったヨガインストラクターになったのに…
移住をしてからというもの、新たなヨガスクールで200時間のトレーニングを受けながら、
がむしゃらに働きました。
スタジオに正社員として所属する道ではなく、フリーランスとして活動することを決めたこともあり、契約施設を増やしていくことが収入を左右するため、どんな仕事も受けていました。
今はその風潮はなさそうですが、
わたしがインストラクターデビューをした頃は
2年の経験がないとヨガスタジオではレッスンができないという条件がありました。
デビューしたてのインストラクターを雇ってくれるのは、ホットヨガで、それも低価格の報酬だったため、体力と時間との戦い。
(1番安い報酬は850円!当時の最低賃金です)
移動も多いし、荷物は多いし、交通費は出ないし。
ヨガウエアは何枚あっても足りないし。
勉強は続けないといけない。
毎年30万円以上の単位で勉強代に消えていく。
時間はないし、お金もない。
到底、インストラクター業だけでは食べていけなかったので、ヨガスタジオの受付のアルバイトもしていました。
そんな生活が2年ほど続きました。
経験を積んだことで、報酬は上がり、ようやく少し余裕が見えてきました。
ある日、襲った激しい腹痛から学んだこと
四天王寺が見渡せる素敵なマンションに住んでいましたが、コロナ禍になるまで一度もゆっくり眺めることはなかった、そのくらい働いていました。
当時の悩みは
•ホットヨガのレッスン中に、目を開けているのに目の前が真っ暗になる
•イライラが止まらない
•レッスンが大好きで、たくさんやっているのに満たされない
•息苦しい
などなど。
体のSOSを無視し続けた結果
とある夏の日、救急車を呼ぼうかと悩むくらいの
生理痛に見回れました。
のたうちまわり、太ももにはいろんな場所に打ち付けてできた、打ち身がたくさんできました。
お風呂に入って温めて、なんとか事なきを得ましたが、その日、本当に久しぶりにお風呂に入ったことに気付きました。
安心したのと、虚しさで涙が溢れました。
大阪に出てきて、3年以上経っていたのに、わたしは施設と家の往復しかしたことがなかった。
湯船に浸かりたいからと、家賃が高くなるのに、わざわざお風呂とトイレは別の部屋にしたのに浸かったのはほんの数回。
その事実に虚しくなったのでした。
この経験から
自分の好きな仕事をするためにも自分自身に余裕がないといけないことを学び、この経験をレッスンでもお話するようになりました。
タイ古式マッサージを学ぶキッカケと古民家でサロンをすることを決めた経緯
ヨガだけでは、ほぐしきれない体
思うように体を動かせないとき、体の使い方が間違っていたり、筋肉量が不足していること以外に、体の緊張や強張りが動きを制限することが多々あります。
ヨガのレッスンで度々その事実に出会い、ストレッチやヨガのポーズでほぐそうと試みるもなかなか難しいことに気付きました。
そんな折、たまたまレッスン前に、訪れたタイ古式マッサージ。
いつもはそのまま寝たいから仕事終わりに行くのがお約束でしたが、
ちょうどアルバイトで事務作業が続き、あまりにも辛かったので、仕事の合間に行きました。
ゆらゆらと揺らしてくれたり、ただほぐすだけではなく、ストレッチをかけて自分の可動域を体が思い出す…
そんな感覚がするタイ古式マッサージに魅了されていたわたし。
体が解けて、そのままレッスンに行くと
いつもより開脚が気持ち良く開く!
手が上がりやすい!
お腹に力が入る!
とその変化に驚きました。
そして心なしか、出てくる言葉にも優しさと愛を感じていました。
わたしがやりたいことが叶うかもしれない!
そう思って、すぐにタイでタイ古式マッサージを、勉強することを決めました。
アルバイトは長期で休めない、そんなこともあり、アルバイトを辞める準備を始めました。
ヨガとタイ古式マッサージを提供する自分の場所を持ちたい。
体と心に余裕を持つことの大切さを伝えるだけでなく、そんな場所を持ちたい。
その気持ちがどんどん強くなり始めました。
どんな場所がいいかと考えた時に
出てきたのは、あの懐かしい池田町のこと。
懐かしく感じる場所がいい。
あぁ、帰ってきた〜
落ち着く〜
と、訪れた人が、ついつい言いたくなるような
そんな場所がいいと、
【古民家】でサロンをすることにして準備を始めました。
2019年の夏でした。
2020年の春にはタイに行って勉強して
2020年の秋にオープンするぞ!
目標が決まれば、後はやることをやるだけだと様々なことをワクワクしながら進めていた、
2020年2月末、わたしの計画に
暗雲が立ち込め始めました。
緊急事態宣言下で出会った古民家
コロナで施設臨時休館が相次ぎ、ついには緊急事態宣言。
レッスンの仕事が一気に3ヶ月間無くなりました。
海外どころか国内も自由に行き来ができなくなってしまいました。
時間だけはあったその頃。
突然、舞い込んできた、長屋の入居者募集の知らせ。
後先考えず、大家さんにコンタクトをとり、
内見し、ひと目見て気に入ってしまいました。
ガラガラと少し重い木と磨り硝子の玄関扉、
大きくて立派な梁、
土間と和室を仕切る硝子扉、
襖の奥に隠された階段、
ロッジのような可愛らしい2階のお部屋…
こじんまりとしたサイズで、温かみがあって、
愛着が湧く、そんなお家でした。
すぐに入居を決めて契約。
(話せば長くなるエピソードは満載ですが今回は割愛)
タイに行くために貯めていたお金は生活費と長屋に引っ越すための資金で使い果たしましたが、
それでも、なんとかお気に入りのお家にサロンをオープンしたのが2020年5月。
予定よりも早かったけど、お金も無くなったけど不安は感じず、ただただ楽しみな気持ちでいっぱいでした。
タイに行くことは断念し、
素敵な先生を見つけて
2020年11月東京でタイ古式マッサージを習得しました。
わたしを魅了するチネイザンを学ぶキッカケになった涙
その頃、チネイザンという言葉をあちらこちらで目にするようになりました。
どこかで聞き覚えがあると思い、家の本棚を漁ってみると…
あの息苦しかった頃に読んでいた1冊の本。
内臓には感情が宿り、感情を解放することで心が癒され、ハッピーになれる!
そんなことが書かれていた本でした。
その本を読み返していたちょうどその頃。
とあるお客様が涙ながらに話してくれたことがきっかけで、チネイザンを学ぶことを決意しました。
『独身だから、残業も進んでやってきたし、仕事の成績もそれなりのものを残しているけど、子供を産まないと一人前だと認めてもらえないんです。』といった内容の言葉の後に続いたのは、
婦人科系の疾患を患い、手術をしたということでした。
読み返していた本には
『我慢強い女性のお腹ほど固く、固さを放置すると婦人科系の疾患を患いやすい。』
といった類のことが書かれていました。
わたしは、
誰かのために一生懸命働いている女性がこんな辛い思いをするのはもう嫌だ。
今すぐ社会を変えることはできなくとも
女性のお腹を柔らかくすることはできる
そう感じて、2021年11月に再び東京に出向き、チネイザンを習得しました。
チネイザンは治療ではありません。
ですので、効果効能を唱えることは禁止されていますが
チネイザンを受けた方は
などなど
たくさん、体や心が楽になったというお声も頂きます。
2022年1月に始めたチネイザンのセッションは
約7ヶ月で100件に到達しました。(2022.8.8現在)
大阪だけでなく、大阪府外からも
和歌山、奈良、兵庫、愛知、岐阜、東京などから足を運んでくださいました。
想定よりも遥かに速いスピードでたくさんの方のお腹に触れさせて頂くことができ、感謝の気持ちでいっぱいになると同時に
それだけ多くの女性に必要とされていることを実感しました。
来てくださる方は、皆
頑張り過ぎてしまう女性
責任感の強い女性
感情を溜め込んでしまう女性
献身的な女性…
仕事や家事、育児、介護に邁進されてる方ばかりでした。
そんな女性ほど、固くなりやすいお腹。
ふわぁっとほぐれると、お腹は柔らかく、呼吸が自然と深くなります。
一つ一つの内臓を丁寧にほぐし、対話していきます。
精神的にお疲れですか?
イライラが溜まってるのかな?
言いたいこと我慢してませんか?
お客様が起きていらっしゃるときは、声に出して、お休みの際は心の中で語りかけます。
感情を解放することができるため、
より心にアプローチしやすいチネイザンは
わたしの活動の軸となりつつあります。
わたしの使命
ツールは違えど
ヨガ、タイ古式マッサージ、チネイザン…
その3つを通して叶えたいことは
心身にスペースを作り、
本来の魅力や力を発揮できるようサポートするということ
頑張り過ぎてしまう方は、その事実に気づかずに走り続けてしまいます。
疲れる前に、休み時間を作ることの大切さを伝えるとともに、
tomarigiが心安らぐ場所になるように心を込めて運営しています。
どうぞtomarigiでゆっくり休んでいってください。
あなたの心身が癒やされた時
あなた本来の輝きが戻り
あなたの周りにいる人を明るく照らしてくれます。
自分のためだけではなく、周りにいる方達のためにもぜひ緩める時間を作ってみてください。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
tomarigi eriko
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