Spotify「Visage 20」
ぼくにとって1980年代の幕開けは、Visage のセルフタイトル・チューンと切り離せません。あのシンセドラム&ピアノのイントロを聴くだけで、いまでも条件反射的に身体が揺れ動きます。アップビートのヴァース「New styles, New shapes, New mode」、そこから巻きあがる旋風のコーラス「Pour ma visage」。華やかで期待に胸踊る新時代が到来した、といった昂揚感が颯爽と吹き抜けるのです。
ポストパンク/ニューウェーブの定義は、内実によっていくらでも細分化できます。しかし、パンク自体との「まだら模様」が明確な次世代ムーブメントとして形を成したのが、ぼくの場合はニューロマンティックです。言い換えると、ぼくのニューウェーブの認識は、ニューロマンティック (以下ニューロマ)・ブームによってもたらされました。その旗艦的存在が、Steve Strange 率いる Visage でした。
デビューアルバム
Visage の魅力はすべて 1st アルバムに詰まっています。ぼくのプレイリストでも 20曲中 10曲をデビュー盤に当てたのは (デビュー盤をまるごと採用したのは)、それほど当該アルバムが素晴らしく、曲順に至るまで「よく練られた」完成度を誇るからです。
新時代の幕開けにふさわしい「Visage」の他にも、5曲目「Fade To Grey」は欧州のデカダンスに包まれた佳品。8曲目「Moon Over Moscow」は、 YMOそのものではないか、と呆気にとられた典型的テクノ・ナンバー。10曲目「The Steps」に至っては、次作を期待/予感させる、Bowie ベルリン三部作を彷彿とさせたインスト・エンディングです。そのいずれもが懐古趣味ではなく、まったく新しい装いで、ファッショナブルに、ダンサブルに、構成されています。強烈な同時代性――。20歳になろうとしていたほくは、このトレンドに抗うどころか、むしろ進んで呑みこまれたように思います。
Steve Strange
その流行の中心人物が、Steve Strange でした。彼は 78年頃からロンドンでナイトクラブを経営するかたわら、バンド活動をしていました。音楽的才能はさておき、注目すべきはプロモーターとしての企画力/行動力。十代でクラブを立ちあげたのもさることながら、ホストや DJ を務めながら人脈を築いたのですから。時代が動くときは、必ずこういった役回りが現れるものです。奇抜なメイク、ストリートファッション、若者のライフスタイル、等々ニューロマが単なる音楽のムーブメントではなく、ひとつの総合トレンドにまで広がったのは Steve の時代感覚に負うところが大きいでしょう。
実際、それは英国だけに留まらず、日本でも同様の動きが広がりました。70年代半ばから続いたディスコ・ブームは一段と洗練され、テクノカットに代表された男性ファッションにおいても、DCブランドの衣装が、中性的な化粧が、広く認知されるようになりました。
また、奇抜なメイクといえば、ぼくらの世代はすぐにグラムロック時代の David Bowie を想起しました。そして Steve Strange の歌いかた/身ぶりの一挙一動が Bowie の影響下にあることは、彼が自身のクラブで開催したイベント「David Bowie Night」が Visage 結成の直接的なきっかけになった事実からも明らかでした。そのクラブ BLITZ に集った面々が、これまた才気溢れるタレント揃い。Visage のデビュー盤にクレジットされたメンバーは、その前後数年のあいだにニューウェーブのキーパーソンであることをさまざまなバンドで立証しています。
メンバーの相関図
Visage メンバーでまず挙げなければならないのが、Rusty Egan です。彼は The Rich Kids のドラマーでしたが、それ以上に重要なのは、クラブ BLITZ で Steve Strange とともに DJ を務めていたことです。そこで彼がクラブ・シーンに持ち込んだ音楽が、Kraftwerk、YMO、Cabaret Voltaire、Ultravox、といった当時はまだ最先端だった電子音楽。つまり、ニューロマがやがて一般大衆に受け入れられる土壌作りを、Rusty は先んじて行っていたことになります。しかも、ほとんど独力で。彼の時代を読むセンスは、その後もエレクトロニカの発展に寄与します。
次に Midge Ure 。彼も Rusty 同様、元 The Rich Kids のメンバーです。しかし多くのリスナーには、Ultravox のフロントマン (チョビ髭) として認知されているのではないでしょうか。John Foxx が牽引した初期 Ultravox を引き継ぎ、シンセポップ色を強めた路線で人気を不動のものにした立役者でもあります。Visage のデビュー盤をプロデュースしたのも Midge で、82年まで彼は Ultravox と Visage で二足のワラジを履きました。さらに1984年には Bob Geldof と「Do They Know It's Christmas ?」を作詞作曲、翌1985年の「バンドエイド」成功に結びつけました。
そして Dave Formula。彼は Magazine のキーボードでありながら、79年 John McGeoch とともに Visage に参加します。ぼくは Magazine が好きで、ことに 4th「Magic, Murder, And The Weather」はニューウエーブの代表作のひとつだと思っています。そのアルバムのサウンド、重層性を増したシンセ音は、 Dave Formula の個性を反映したものです。が、皮肉なことに、このアルバムの先行シングルのチャート結果に (リーダー Howard が) 落胆したことが、Magazine 解散の直接的原因。もう少し辛抱していれば、Visage 並みにはニューロマンティックのド真中へ躍り出られたでしょう。
Magazine からの流入でいうなら、しかし Dave Formula よりも断然 John McGeoch ですよね。ニューウェーブの最重要ギタリスト――。
John McGeoch
1978年 ~ 1982年に Visage と関わったバンドは、Sex Pistols の流れを引いた The Rich Kids を筆頭に、Ultravox、Magazine、Siouxsie & The Banshees と続きます。いずれもニューウェーブの文脈では歴史に残る、ぼく自身も大好きなバンドです。それらのサウンドを一貫して支え、ニューウェーブの音質的変化を決定づけたのが、他でもなく John McGeoch のギターなのです。その偉業は、ニューウェーブのジミー・ペイジ、と称されるほど。
John McGeoch は Magazine の結成メンバーで、上述したように 79年から Visage に参加します。80年から 82年までは Siouxsie & The Banshees に加入。この時期の作品群が突出して素晴らしく、Siouxie & The Banshees の長い活動期間のなかでも黄金期にあげるファンは多いです。ぼく的にもこの間の McGeoch は全部リスペクトしており、それだけに Visage のデビュー盤に彼が参加したこと自体がひとつの奇跡です。
McGeoch のギターには、一聴しただけでは目立たない、しかし地味に存在感を誇示する、なんとも不思議な味わいがあります。ヴォーカルをバックアップする奏法には間違いなく、そういった意味でギターソロを前面に押しだす一世代前のギターヒーローとはまるで違います。それでいて、どこかサイケ感のある優雅さ、儚さ、危うさ、といったヨーロピアンの情緒を、アコギ/エレキを問わず訴えかけます。アルペシオはセンス抜群で、シンセ音と融和性が高い点は、なによりもニューウェーブのギターには肝だったのではないでしょうか。The Edge (U2)、Jonny Greenwood (Radiohead)、Billy Corgan (The Smashing Pumpkins)、John Frusciante (Red Hot Chili Peppers)、等々フォロワーたちが次々に絶賛。影響を受けたことを公言しています。
ここまで見たように、Visage のディスコグラフィーを網羅するプレイリストは、実は 1st アルバムだけで事足ります。逆に言うと、それほどこの一枚には、メンバー的にも、サウンド的にも、ニューウェーブの本質が先駆的に溢れています。あの 80年前後の一時期、野心に溢れた有為な若者たちがロンドンのクラブに集まり、そこで交流した時間を瞬間冷凍で切り取ったメモアール。それが「Visage」というアルバムなのかもしれません。
振り返ると、ニューロマを境にして、ぼく自身も LP の収集方法が変わりました。それまでは (主にプログレ対象)、これだ! と決めたアーティストの全作品をコンプリートするスタイルでしたが、この頃からは「先にサウンドありき」で気に入った楽曲なりアルバムなりを購入、アーティスト自身の評価は未然形で捉えるようになりました。つまり、80年前後のニューウェーブ・シーンはまだまだ群雄割拠であり、明日には新たなヒットメーカーが飛びだす可能性が、期待感が、常に渦巻いていたのです。アーティストの消長が覚束なかった、とも言えるでしょう。
シンセポップという言葉も、この頃はただの普通名詞でした。ぼくらが感じたニューロマのサウンドは「最新流行のおしゃれなエレクトリック・ポップ」、それがリアルタイムの感想でした。もっと言うなら、(名状しがたい) なにか新しいもの、なにかワクワクするもの、にただ衝き動かされていたに過ぎません。おそらくムーブメントの最中にいるときは、誰もがそう感じるのでしょう。いずれにしろ、ぼくが心動かされた、はじめての同世代音楽だったのです (Steve Strange とは 2歳違い)。そういう意味で、なにか大きく一皮むけたような実感がいまも自分のなかに残っています。
理屈ではなく、麻疹 (はしか) にでも罹っていたかのように……。若さの羅針盤が示した方角には、微塵の迷いもなく……。
鋭い読者はもうお気づきかもしれませんが、本稿の Visage 添付動画はすべて静止画を採用しています。最後の最後に ↑ のトリビュートをご覧いただきたかったからです。2015年 Steve Strange 他界。ぼくの青春もいっしょに野辺送りにされたようで、胸が締めつけられます。
それでは、また。
See you soon on note (on Spotify).