Spotify「Under Byen 20」
ポストロックで好きなバンドを挙げろ、と言われれば、必ずベスト3に入るのが Under Byen です。1999年にデビューしたデンマークの大所帯で、原語では【オナ・ビューエン】と発音します。他の 2バンド (ポストロックの愛聴対象)、Maybeshewill、Sigur Ros、については、すでに note で紹介済みですよね。いや、ぼくのなかではずっと収まりの悪い隙間風が吹いていて、その理由がまさに Under Byen の欠如/未紹介だったのです。
というのも、彼らの3rd&4thアルバムがサブスクでは解禁されず、現在でもプレイリストは不完全のまま……。しかし、なんというか、大きな時間の流れに身を置くと、もはや時代が彼らの音楽性を抜きにした言説を困難にしているように感じる、今日この頃……。
Under Byen の特色は、フロントウーマン Henriette Sennenveldt のヴォーカルを矢面に立てながら、チェンバー色に彩られたロックの新解釈によってサウンドを成り立たせる点にあります。Henriette のやるせない歌唱には、儚さと憂いが同居します。2000年当時も同時代人である Bjork に似た声色だと言われましたが、Bjork ほどアクは強くなく、もっと頽廃的。あるいは、詩的なデンマーク語の演奏、とでも呼び得るプレゼンスです。
一聴すると、気怠く、暗く、ツンデレっぽい美声が、例えばシューゲーザーやトリップホップの女性ヴォーカルを連想させます。しかし、乗っているフォーマットがまるて違うため、そのギャップがより深い気怠さを/暗さを刻み込みます。どんどん沼に引き込まれるような怖さ、その怖さと表裏一体になった耽美的誘惑。このままもっと聴きたいような、しかしこの先を聴くのが躊躇われるような、カタストロフィックな予兆。
それを支えるバック・サウンドが、もうひとつの Under Byen の魅力でしょう。常時 7・8人のメンバー編成がなにより特異で、パーカッション、ドラム、ベース、のリズム隊に、チェロ、ヴァイオリン、の弦楽隊が基本構成、そこにかなり異質な、キーボード、アコーディオン、ノコギリ、サイロフォン、といった生楽器が加わります。電気処理された効果音はもちろんあるものの、いわゆるサンプリングされた電子音楽とは180度異なります。そして極めつけがギターレス、現代的なポストロックでありながら、彼らのサウンドにはギター音がないのです (結成~初期)。
サウンド編成だけを見ると、Under Byen は Unevers Zero のようなチェンバー・ロックと誤解されがちです。ところが質的には真逆で、そこには複雑な変拍子もなければ、ジャズ風のインプロヴィゼーションもありません。個々プレイヤーの腕前の披露も、クラシカルなアンサンブルの愉しみも。それどころか、むしろハウス系のドローン音楽のように、ローテンポで、抽象度の高い、ミニマルな反復によるテクスチャーを醸成します。まるでロックの基礎科学とでも呼べそうな、音楽の根源へとリスナーを駆り立てるのです。しかも、コンピューターではなく生楽器なので、ひとつのひとつの楽器は音そのものとして存在し、抽出され、実験性の彼方にある新解釈へと誘うようです (同時に現代音楽への試みでもあります)。
その純度が高ければ高いほど、補集合の空隙には数多の断片的系譜が流れ込みます。つまり、Under Byen の世界観には、ロックの歴史的/過去のオルタナティブとの近似性があり、あるいはその控えめな引用が見られます。少々荒っぽく言えば、聞き手の解釈を前のめりに呼び込むようなサウンドの建付けになっているのです。例えば、インダストリアルっぽいノイズ、クラシック楽器による工学的アプローチ。そうかと思えば、This Heat のポストパンク、あるいはTOOLのオルタナ・メタル。そう、「ギターのないポストロック」という矛盾を表すのに、これほどの好例はありませんね。想像してみてください、ギターレス・バンドが体現するTOOLの世界観を (=Under Byen の本質に通じています)。
2010年の4thアルバムを最後に、Under Byen は実質的に休止。ぼくのリスニング対象としても、しばらくは遠のきます。
ところが、20年代になってから、ある種の胸騒ぎとともに Under Byen のサウンドを想起することが多くなっています。ある種の胸騒ぎとは、非常に大きな枠組の、例えば時代性であったり人類の共生感覚であったり、そういったものに通底する空気/雰囲気です。具体的に、Lana Del Rey、Daughter、Mitski、girl in red、などの音楽が受け入れられる状況 (世界的な流行) を見れば、その根っこにあるマイノリティーの疎外感・脆弱な自己肯定感・生き辛さ・内面なき内面性・等々が深くあまねく行き渡っているように感じざるを得ません。無意識的に、かつ壮大に。
先程、Under Byen の音楽性を説明するのに「世界観」という言葉を使いましたが、より近いのは「アーキタイプ」なのでしょう。ダークでダウナーな孤独、哀しくて折れそうな自我。それらを表現するサウンドの世界観は、アーティストによって十人十色です。しかし、一段深いレベルの構造には、普遍性が聴き取れます。それをアーキタイプと呼べるなら、ぼくは昨今のシーンを席巻する、あるいは時代を繋ぐ音の故郷/受皿を、やっと見つけられたような気がします。抽象概念の骨組で構築されるがゆえ、さまざまな意匠をもまた纏うことのできる、それが Under Byen の音楽です。
世界の二極化はより進んでいます。ごくわずかな富める者が、弱者・貧者を無限に産みだし続けます。今日の切り捨てられるリアル、そこへ届き得るのが、その音楽を支えるアーキタイプが Under Byen なら、マイノリティーの声なき声を絶やしてはなりません。
世の中には「あってよかった音楽」と「なくてはならない音楽」がある、と思います。歴史の暗がりを繋ぐのは、きっと後者なのでしょう。