見出し画像

Spotify「The Police 20」

The Police の 1stアルバム (1978年) を、ぼくはリアルタイムには聴いていません。出世作とも言える1979年の 2nd「白いレガッタ」でさえ、リリース直後ではなく、少し遅れて聴いたように思います。というのも、この頃は数多あるポストパンク・バンドのワン・オブ・ゼムといった感じで捉えていたからで、むしろ当の The Police 自身がそのような戦略で(=ポストパンク・ブームに乗っかって) 売りだした印象すらありました。ところが、あの一曲「Message In A Bottle」で、あのイントロ・リフだけで、なにもかもがひっくり返りました。

「Message In A Bottle」は、ぼくの個人的ロック史のなかで五指に入る名曲です。高難度の技術、時代に先駆けた革新性、それを感じさせないキャッチ―なメロディ、さらには大衆心理を捉えた歌詞に至るまで、数十年に一曲のパーフェクトなロック・チューンだと思います。


例外と思わせての本物

その一曲のスマッシュで覚醒したぼくは、そこから「白いレガッタ」を入口にして The Police を追いかけます。赤丸急上昇の要注目バンドとして。ちょうど1980年頃だったと思いますが、この時期、ぼくは先にニューロマンティックの洗礼を受けていました。なので、先述したように The Police が戦略的にポストパンク・ブームを利用しているように感じたのは、メンバーの年齢にありました。Visage の Steve Strange が 21歳、Adam Ant が 26歳 なのに対して、Sting 29歳、Stewart Copelamd 28歳、Andy Summers に至っては 38歳 (いずれも1980年当時)。童顔は救いですが、はっきり言ってオッサンです。そりゃ、ニューウェーブで売り出すには年とりすぎでしょ。例外的に、どさくさに紛れてデビューさせたのか。

ところが、それがとんでもない誤りであることに、ぼくはすぐに気付きます。デビューの遅れたオッサンどころか、Sting 以外は知る人ぞ知る、技巧派ミュージシャンだったからです。しかも、プログレ界ではそれなりに名うての……。メジャーシーンに縁がなかっただけで……。

Stewart Copeland

Stewart Copeland は Curved Air のドラマーでした。75年~76年の解散直前に参加したので、いわゆるバンド絶頂期は過ぎていました。だから彼の Curved Air におけるドラムプレイを、ぼくは知りません。それより驚いたのは、The Police で名を馳せたあとの 82年に Curved Air のヴォーカル Sonia と結婚したことです。ブログレッシャーにはかなりのゴシップでした。70年代前半、5大バンドに次ぐプログレとして、ともにソプラノ女性ヴォーカルを擁し、ともにクラシック寄りのシンフォニック・ロックを聞かせたのが、Curved Air と Renaissance でした。それぞれのヴォーカルが Sonia Christina と Annie Haslam で、いい意味でライバル視していたファンは多かったと思います (ぼくは Annie 派でしたね)。その Sonia の再婚相手が Stewart。

二人のあいだにどんなロマンスがあったのでしょう。ただ、下衆の勘繰りで妄想したのは、Stewart がビッグになって高嶺の花を射止めた、という立身出世談。彼は、一度狙った獲物は諦めないのかもしれません。Sting に一目惚れしてポリス結成をしつこく口説き落としたのも Stewart ですから。

ドラムの演奏技術については、フラムを多用するプレイスタイルが有名ですね。いまさらぼくが詳述することもないですが、一言だけ添えたいのは、Stewart の手数は決して目立ちたいためではなく、コードリフをサポートするためではないか、ということ。矢継早なハイハット・ワークは、ほとんどサイドギターの音色に同化して聞こえます。つまり、彼のドラムなくして 3ピース The Police のサウンドは成立しません。80年代、世間が煌びやかなシンセ音にどんどん彩られていくなか、The Police は逆に極力シンプルな形態でリズム革新を進めたわけです。ニューウェーブの本質を。

ぼくがそれに気づいたのは、もうひとつのサウンドとの出会いがあったからです。Talking Heads「Remain In Light」。The Police のレゲエに対して、こちらはアフロビートでした。両者がつながったとき、ぼくのなかの点が線になってニューウェーブのダイナミズムが理解できました (この動きは、The Pop Group、PIL、Pigbag、等々の重要な潮流としてエスノロック/エスノファンクに結びつきます)。

Andy Summers

次に、隠れオッサンの Andy Summers。1942年生まれの彼は、Robert Fripp (King Crimson) よりも 4歳年上です。60年代前半からすでにプロとして活動しており、Fripp とも旧知の仲でした。しかし、70年代前半のプログレ・ブームでもさほど脚光を浴びることはなく、Soft Machine ではメンバー勧誘を反故にされたり、The Animals の一員として来日したときには (間接的に) ヤクザに脅されて楽器・機材を投げ捨てたり、と不遇な時代を過ごしました。それだけに The Police で陽の目をみたときには、神様はちゃんと見ている、と胸を撫でおろしたファンもいたことでしょう。いや、その頃からAndy を知るファンがいたとすれば、むしろ「It's too Late、Andy の腕前なら売れて当然だ」と言い放ったにちがいありません。

それほど、ギタリストとしての技術は一級品です。レゲエを持ちこんだ音楽性をバンドでいちばん体現したのは、ギターの Andy だったと思います。分散和音を用いたコード進行、ディレイのかかったギター音、一曲のなかでいくつも変わるリフ (抽斗の多さ)。「Can't Stand Losing You」に顕著ですが、トリオ編成のサウンドがスカスカにならないように、考えに考え抜かれたギター・エッセンスのお手本のようです。

しかも、Andy の才能はロックの範疇に留まらず、ジャズ、クラシック、映画音楽、アンビエント、にまで及びます。1982年 Robert Fripp との共作「I Advance Masked」を発表しますが、ぼくはこのアルバムを聴いて目から鱗が落ちましたね、ギター・アンサンブルの極致ではないか、と。

そして、バンドの「顔」。極めつけが Sting です。ハスキーでパワフルなハイトーン・ボイスを矛に、ウッドベースで培われた骨太でジャジーな奏法を盾に、The Police のフロントマンとして降臨します。いや、マジで「降臨した」と思えるほど、若かりし頃のライブ映像を見ていると、内面から漲る屈託のなさというか、若さの衝動というか、もうフロントマンの最良要件をアプリオリに備えていたとしか思えません。誰でも一生に一度はモテ期があるとすれば、この時期の Sting がまさにそう。フェロモン出まくり、悩殺しまくり、の無双状態です。

1983年当時の英国における Sting の人気は、凄まじいものでした。大衆紙の一面にまでゴシップ記事が載るほどで、街中ではフィッシュテールのアウターコートを着たスティング・ヘアーの若者たちが闊歩していました。実は (留学中)、ぼくも散髪屋へスティングの切り抜き写真を持って行ったクチです。英語力が心許ないこともあり、「Cut my hair like Sting」と言うのがいちばん手っ取り早かったから。すると同年代らしき女性従業員は、はあ? といった感じで口を開けたまま、ぼくは「Do you know Sting?」と写真を見せながら言いました。相手はプッと噴きだして「Sure」と応えました。あれはどういう意味だったのでしょう。笑った理由は Sting の知名度についてなのか、ぼくの要望/容貌についてなのか。

絶頂と思わせての解散 

この三人が産みだしたサウンドは、歴史上なかったものです。ただ単にレゲエの要素を白人が取りこむだけで、あれだけの世界的ヒットがありえたでしょうか。そうではなく、かつてのプレスリー然り、のちのエミネム然り、白人が非白人の音楽を取りこんで模倣修正するときは、その止揚の向こうにある時代に応じたイノベーションを必要とします。そうしてはじめて、真のオルタナティブ足りえる、新しい音楽が生まれるのです。

ニューウェーブ・ムーブメントのなか、ソング一曲だけ、アルバム一枚だけ、で消えていったアーティストはたくさんいます。言い換えると、ムーブメントのほうが記憶され、あくまでもその一員に過ぎなかった、という現象です。一方、ムーブメントの枠には収まらず、The Police のようにバンドとしてのアイデンティティーが刻まれた場合は、少数ではあれ、本物のメジャーです。あるいは、歴史を動かしたロックの神髄。ぼくが 80年代初頭に感じたのは、まさにそういうことでした。The Police にムーブメントの冠称を付けるのは、ただ邪魔になるだけでした

公式アルバムはたったの 5枚。なかでも 2nd「白いレガッタ」と 5th「シンクロニシティ―」が絶品です。ぼくのプレイリストもこの二作の楽曲が大半で、多くのリスナーが認めるように、後者が最高傑作であることに異論はありません。全英・全米ともに 1位を記録、グラミー賞の最優秀ロック・グループ・パフォーマンス賞も受賞します。そして、これがラストアルバムだと示唆するかのように、全10曲中 8曲までが Sting によるソングライティングです。A面は「シンクロニシティーⅠ」と「Ⅱ」の枠構成で辛くもバンドの体面を保っていますが、B面は完全に Sting の独壇場――。

あの大ヒット曲「Every Breath You Take」から B面は始まります。解散後の近未来 (=Sting ソロの躍進) を暗示していたのかもしれません。

1984年1月、The Police は活動停止を発表します。直近のアルバムで世界制覇をしてから半年も経たないタイミングです。絶頂期の真っ只中だったこともあり (活動期間は都合 6年ですが)、ぼくのなかでは、わずか数年の瞬間爆発で燃え尽きたような印象があります。それこそ瞬く間に、世界の音楽シーンへ躍り出て、世界を塗り替え、その勢いのまま呆気なく空中分解してしまったような。

ファンとしては「シンクロ二シティー」の延長上で、あと 1・2 作はアルバムを残してほしかったですね……。潔い解散のほうが、世間に後ろ髪を引いてもらえるほうが、バンド伝説化の要因としてインパクトがあるのは分かっていますが……。

それでは、また。
See you soon on note (on Spotify).

1位「Synchronicity」92点
2位「Reggatta De Blanc」90点
3位「Ghost In The Machine」84点
4位「Zenyatta Mondatta」82点
5位「Outlandos D'Amour」80点

アルバム・ベスト5








いいなと思ったら応援しよう!