Spotify「Avishai Cohen 20」
これまでご紹介してきたプレイリストは、ほぼすべてが過去の歴史的なアーティスト音源です。ぼくの終活を兼ねる以上、いきおいそうなってしまうのですが、今回は例外的に/未来志向で、文字通りカレントの日常でぼくが嵌っているプレイリストをアップしましょう。そのひとつが Avishai Cohen。いわゆるイスラエル・ジャズを代表するキーマンであり、稀代のベーシスト (コントラバス奏者) です。
Avishai Cohen との出会いは遅く、まだ15年ほどしか経っていません。というより、ぼくとジャズとの出会いが歪つで、70年代プログレの一派 (カンタベリー派)、あるいはその後のフュージョン・ブームをきっかけに聴きはじめた、という経緯があります。つまり、マイルスに至る道筋も、Mahavishnu Orchestra (J.McLaughlin) や Weather Report (W.Shorter) から遡った、負い目みたいなものがあるのです。なので、ぼくの聴き方はどうしてもプログレ・フュージョンからのアプローチになるのですが、そのぼくが一聴して虜になったのが2006年の傑作「Continuo」。
いや、もうこの冒頭「Nu Nu」ですよ。イントロ58秒からのウッドベースを耳にしたとたん、背筋に電流が走りましたね。ネックを這いあがる指先の素早さ、ピアノと競い合うアグレッシブな奏法、それがまさに Avishai Cohen でした。ただ、このときはアルバムの素晴らしさに魅了されるあまり、プレイヤーのバックボーンにまで目が向きませんでした。それほど「Continuo」の傑出性に舌を巻いた、と言うべきでしょう。中近東のエスニック感とコンテンポラリーなジャズが融合した、非常にニューエイジ的な心象風景が現出したのです。また、ウッドベースの凄味に開眼したのも、このアルバムのおかげです。「Smash」を聴くだけで、ギターレスでもロックを凌ぐ迫力/インテンシティーに眩惑されます。
その後、コロナ禍のステイホームでECMのジャズピアノ (=Shai Maestro) を掘ったことから、Avishai Cohen とイスラエル・ジャズが繋がります。この間の約10年という歳月が、ぼくのジャズ耳の成熟には、あるいは音楽シーンの今日性を理解するには、どうやら必要だったようです。
Avishai Cohen は1970年イスラエルのカブリ生まれ。9歳でピアノを、14歳でベースを弾き始めますが、後者に転向した理由は、家族とともに渡ったアメリカで Jaco Pastorius に触発されたからです。十代のうちにいったん故郷へ戻った Avishai は、エルサレムの音楽芸術アカデミーで本格的にコントラバスを学びます。そして1992年二ューヨークへ移り、建設現場で働きながら路上演奏に励んだり、ラテン音楽に接近したり、紆余曲折の活動を経て、1997年 Chick Corea のトリオに参加、ここから彼のキャリアにも陽が当たり始めます (Corea との6年間でコンポーザーのスキルも磨きます)。
また、Avishai 自身の出自も無視できません。スペイン系・ギリシア系・ポーランド系の各ユダヤ人の祖先を持つことは、そのまま流浪の民の音楽的下地を形成しています。曲調に中東や東欧のテイストが散りばめられるのは当然として、Chick Corea Trio 以前にパナマのピアニスト Danilo Perez の影響を受けたことも、実験的なラテン音楽に対する造詣を深めました。しかも、それらを経験したのが90年代のニューヨークでした。
Avishai の音楽性を俯瞰するとき「90年代のニューヨーク」は重要なキーワードです。90年代の世界的なワールドミュージック流行を背景に、きわめて都会的で洗練されたサウンドが、その地で融合されたからです。もちろん土臭い民族音楽もイイのですが、ハイエンドなジャズに高められた魅力はいっそう輝きを放ちます。さらに、優れたユダヤ人ジャズメンが Avishai に続いたことで、ニューヨークのシーンはイスラエルと繋がります。
つまり、Avishai の来歴はほぼイスラエル・ジャズの台頭と軌を一にしていたのです。斬新なジャズによる、文化的多様性のハイパー・ハイブリッド。
ここまで貼った動画からも、Avishai サウンドの懐の深さはお分り頂けるでしょう。ミニマルなポストクラシカル風の旋律があるかと思えば、ホーンをフィーチャーした色彩豊かなスウィングもあります。「Almah」に至っては自身のトリオに弦楽四重奏を加えた、もはやクラシック。そして忘れてはならないのが、キャリアのなかで彼自身が数多くのタレントを輩出したことですね。Shai Maestro、Nitai Hershkovits、Omri Mor 等々をトリオのピアニストに抜擢したのは、その目利きといい、腹の据わりといい、ちょっとしたミラクルです。Avishai がイスラエル・ジャズのキーマンと呼ばれる所以です (イスラエル・ジャズのもう一人の立役者 Omer Avital については、本稿では扱いません)。
個人的にぼくが好むのは、Avishai のロックっぽいグルーヴです。リズム隊主導のピアノトリオは往々にしてそうですが、ウッドベースの挑発によってピアノは「メロディを奏でる」というより「コードを叩き」ます。そして、相互の掛け合いがスパイラル状にうねるときには、もうピアノは打楽器鍵盤と化すのです。このスラップに導かれたドライヴ感が、奇数拍子の切迫感とも相俟って Avishai の演奏をアイデンティファイします。
さて、こうして Avishai Cohen とイスラエル・ジャズの足跡を振り返りながらも、薄々ぼくは気づいています。本稿の主旨について、まだ何も語っていないことに。なぜ2020年代の今頃になって、ぼくがイスラエル・ジャズに嵌ったのか。この10年間で音楽シーンに何が起こったのか。
拙稿「JKに聴く曲5選」で、ぼくの好きなサウンド性向については簡単に触れています。大雑把に言うと、プログレ・メタルとジャズ・フュージョンのハイブリッドが基本で、そこにチル (IDM)、エスノ、アヴァンギャルド (チェンバー)、アンビエント、を匙加減で加えたようなサウンドです。ジャンル分け不能、という一応の断りは、その実、ジャンルのリフレーミングが恒常的に起こる昨今のシーンに対するエクスキューズ。で、この/ぼくの嗜好サウンドとイスラエル・ジャズを比べると、多くの部分で重なり合うことはすぐにお分かり頂けると思います。
いや、逆に「無いもの」を挙げたほうが話は早いですね。ぼくの嗜好サウンドにあって、イスラエル・ジャズに「無いもの」。
それは、ギターと電子音楽の要素です。この欠落こそ、過去10年の変化を経てぼくがイスラエル・ジャズに落ち着いた、その理由のヒントなのです。しかし、もう紙数は尽きたようです。この続きは Avishai の次世代にバトンタッチしましょう、是非「Shai Maestro 20」をご覧ください。