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有線リクエスト

R50+  5300文字  1970年代後半風物
キャサベル音楽回顧  青春グラフィティ  
※興味のないかたはスルーしてください※

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キャサベルの扉を開けると、呼び鈴とともに必ずブルーマウンテンが香り立ちます。こんなふうに書くと、いかにも豆の違いを嗅ぎ分けられるツウみたいですが、全然そうではなく、店にはブルーマウンテンしか置いていなかったのです。実際の注文は、ブレンド or アメリカン、で賄われました。「もしキリマンジャロを注文されたら?」と訊くと、「ごめんね~、いま切らしてるの~、へへ」そう言ってママは舌を出しました。甘えた口調はキュートこのうえなく、たぶん8割がたはそれで納得したでしょう。残り2割「じゃモカください、って言われたら?」「帰れ、やね」。

キャサベルは、そういう店でした。高校時代のぼくらが溜り場にしていた喫茶店、魅力的な30絡みのママが一人できりもりしていました。


間接キスは妊娠しません

キャサベルはぼくの高校の近く、徒歩圏内にありました。なので、昼休みになると、ごくたまに高校の教師が迷い込んできました。洒落たウェストコースト風の外観に誘われたのでしょうが、店内はぼくを含めた常連が占拠、一見客はカウンターの端っこに肩をすぼめて座るのがやっとです。それがぼくには面白く、というよりは優越感で、一歩校門を出たら教師も生徒も関係ない、といった一丁前の意識に浸れたのです。

いかつい生活指導の教師が、何度か入ってきたこともあります。ぼくを認めるや、「うちの生徒がサボっとるやないか」という形相に早変わり。ママが機転を利かせ「スポーツ新聞どうぞ、昨日は掛布が打ちましたね」とかなんとか誘導すると、生活指導はころりとママの色香にかどわかされます。ぼくは内心、アホちゃうか、ええ大人が。さらに生活指導とママの会話を聞いていると、社交辞令のなかにもママを口説こうとする下卑た中年教師のダサダサぶりが伝わりました。大人の会話を理解する・しない以前に、同性のセンサーが厭らしさを嗅ぎ分けました。

別の日、またしても同じシチュエーションになったとき、ぼくは半ば根性試し (半ば腹立ちまぎれ) で反撃に出ます。「この曲、流行ってますね」「ビリー・ジョエルでしたっけ」等々の二人の会話を遮り、おもむろに煙草を咥えて「ママ、火ある?」。一瞬その場が凍りつきました。生活指導は目を見張り、いまにも声をあげそうでした。しかし、その数十倍の威圧感でぼくは睨み返します。渾身・全集中のメンチ。ここはオレらのシマや、おまえが来るとこちゃうで、そのメッセージをバッチバチに込めて。ここで引いたらあかんぞ、怯むなオレ。

口から心臓が飛び出しそうでした。次の瞬間、ママはカウンターの向こうからぼくの咥えた煙草に火を点けました。そして「セブンスター美味しそうやんか」と言うが早いか、火を点けたばかりのその一本を奪い取ります。いかにも勝手知ったる仲の口移しを見せつけるように。「ごめんやで、私だけ吸うて」と付け加え、細くて長い煙をフッーと吐きました。地団駄めいた咳払いを残し、生活指導は外へ消えました。

「ビックリしたわ、ほんまに~」
「ごめん、一か八かやった」
「営業妨害やで~、もう嫌やわ」
「なんかオモロイやん」
自然と顔がほころび、二人でケタケタ笑ったことが忘れられません。
灰皿のセブンスターには、赤い口紅が付いています。
「これ間接キスや」とぼく。
「キャッ、妊娠するわ」とママ。

ママは、そういう人でした。思ったことはすぐ行動に移すタイプで、ときどきうまく嵌ると阿吽の呼吸に思えました。

迷い犬は食べられません

そういえば、迷い犬の一件も忘れられません。S木くん、N口くん、ぼく、の三人がいつものように「暇やな、なんかオモロイことないかなあ」とぶらついていたときです。電柱にカワイイ仔犬の写真が貼ってあります。よく見ると写真の下には、仔犬の名前、連絡先の電話番号、飼主の氏名、そして「見つけた方はご連絡ください」のメッセージ。手製の、迷い犬の捜索願いでした。と、N口くんが「H山やん、中学で一緒やった」と飼主の氏名を指差しました。「おお、覚えてる、H山。せやけどチロって顔か、こいつ」。すぐさまS木くんが「ええこと閃いた!」。

10分後、S木くんが受話器に向かいました。「もしもし、H山さんの御宅でしょうか?」相手が電話口に出ると彼はニンマリしました。

「もしもし、H山でございます」
「あの………、チロちゃんのことで……」
「え?  チロが見つかったんですか?」
「はい、とてもカワイイですね」
「ありがとうございます、今そこに?」
「カワイイだけじゃなく、美味しいし」
「はあ?」
「すき焼きにして食べたわ、ガチャッ」

その一部始終を、ぼくらはせいぜい盛ってキャサベルで話しました。ちょっとした武勇伝を誇るように、ママに受けるのを期待しました。ところがひとしきり笑い転げたあと、さっきまで一緒に笑っていたはずのママが暗く沈みました。「せやけど、やっぱり可哀想やわ」とママはこぼしました。「飼主の親御さんにしたら、心配で心配でたまらんやろうし」「………………」「こんなことしたらアカンわ、やっぱり」「見てみろ、オレはやめとこって言うたで」「うわ、よう言うな裏切者」「約束してよ、もうせえへんて」。三人は若干うつむき気味で反省のポーズです。「で、どこの肉屋さんでさばいてもろたん?」と真顔のママ。ぼくらは思わず顔を見合わせたものの、そこには特大なクエスチョン・マーク一択。

ママは、そういう人でした。准看護師の免許を持っていましたが、倫理観はどちらかというと天然でした。

胡散臭い男①

当時、ぼくらの地元で流布した噂に「電車内のメンチ狩り」があります。キャサベルでもよく話題になったのですが、南海高野線の車内で不良もどきを片っ端からどつき回す危ない奴がいる、というもの。「みんなで返り討ちにしたろや」「アホか、そいつメッチャ強いらしいぞ」「おれも聞いた、黙って座ってるだけやのに、脚を払いにきよるって」「S高も、K高も、番長クラスは軒並み半殺しにされたんやて」「マジか!」「目あわさんように下向いとっても、そいつ顔の下からグイッーとメンチ切ってくる」。とどめが、拳闘の達人。

その噂が静まるまで、南海高野線に乗るときはソワソワしたものです。ハイティーンですから、その手の噂だけで血が騒いだものの、それよりなにより当時のぼくは短髪のパンチパーマだったから。実際にはその危ない奴に遭遇することはなく、事なきを得ました。後に映画「どついたるねん」でデビューした浪速のロッキー (=赤井英和) の逸話を聞き、ぼくらは「ああ、あのときの……」と胸を撫でおろしました。

赤井英和の場合はあくまで噂の域を出なかったのですが、キャサベルの客には、実際に対面した危ない奴もいます。危ない奴、というよりは、いけすかない奴。ある日、店の前にフェアレディZが留まり、一人の男性客が入ってきました。いつものようにぼくら常連が行儀悪く座席を占領していると、彼は店内を短く一瞥してからカウンターに座りました。年の頃はママと同年代か、もしくはちょっと下ぐらい。身長はそれほど高くなく、その割には胸板が厚くてガッシリしています。ポロシャツから出る二の腕が異様に太く、丸太のようでした。ホットを頼み、ママと二言三言ことばを交わすと、途端に自慢話が始まりました。「ぼくは、空手道場をやってましてね……」。いやいや、誰も訊いてへんで。

「芸能界にも知り合いが多くて」「ここだけの話ですよ」「あのアイドルは裏で売春していてね」「よかったら見に来ませんか、道場へ」。聞いているこちらが赤面するほど、とにかく自慢話が尽きません。内容そのものよりも彼の鈍感力というか、空気を読まない猛進性というか、それがいちいち癪に障ります。地方訛りがあるくせに標準語で話すのも腹立たしく、そのイントネーションで露骨にママにアタック。案の定、その日から週に二度ほどの割合で、彼はキャサベルに顔を出すようになりました。常連客の少ない時間帯を見計らうようでもあり、ぼくはフェアレディZに対して (条件反射的に) 嫌悪感を覚えるほどでした。数回、2m近い外人を引き連れて来店したこともあります。ボディガードでも従えるように。

「また来た? ホラ吹きZ?」「最近はさっぱり、なんか仕事が忙しくなるて言うてはったわ」「どうせまた大袈裟に」「本当みたいよ、全国の道場とびまわってるんやて」。ぼく的には、あんなハッタリ野郎には死んでもなりたくない逆理想だったのてすが、興行の世界を生き抜くには必要な技量だったのかも、とあとで思い知らされます。15年後、K-1が大ブームになったときの正道会館・館長がその男だったから。ガチョーン。

しかし、ぼくが哀しいのは、その顛末をママといっしょに懐かしんで笑えなかったこと……。仲間内では「まさか、あのときのホラ吹きがなあ」とおもいで話に花を咲かせましたが、そのときにはもうキャサベルは閉店、ママとも連絡が途絶え……。

胡散臭い男②

もう一人、キャサベルに出入りしていた胡散臭い男がいます。日焼けしたサーファーで、口髭を生やした、高橋幸宏のようなヤサ男。ぼくよりもずっと前からの常連で、シャレオツなやさぐれ感をそこはかとなく醸しだしていました。店の奥間にはアパレル・スペースがあり、そこにはレコード・プレイヤーが置かれていたのですが、その男は当たり前のように (ママの許可なく) LPをかけ直したりしました。

面白いのは、ママの態度がビミョーに変わったことです。変にかしこまるというか、よそよそしいというか。その男はママと同年代に見えましたが、年齢よりも「職業柄」のほうがママと同じ匂いがしました。いや、はっきり言うと「遊び人」の匂いでした。いつだったか、キャサベル常連の主とも言える I 川くんが一緒にいたときです。「おい I 川、ライトバンに買い替えたんやな?」とヤサ男、「うん、ワーゲン売ろうて思てんねん」と I 川くん。頭ごなしに I 川くんを呼び捨てにしたので、正直ぼくは驚きました。I 川くんのほうは10歳ほど年上のその男のことを「クン付け」で呼びました。その距離感/他人行儀ぶりが、どこかぎこちなかったのです。するとママは10円玉を取り出し、ぼくに手渡して「有線にリクエストかけて」。

「リクエストなに?」「東京ららばい」「現在・過去・未来~の?」「それそれ」。それって渡辺真知子の「迷い道」やろっ。

ママは中原理恵「東京ららばい」と渡辺真知子「迷い道」をごっちゃにしていました。たしかに同じ時期に流行ったのですが、一体どんな回路でこの二曲が結びつくのか、当時のぼくには理解できませんでした。ただ、なんとなく、今なら分かる気がします。どちらにしたって哀しい曲です。

「あのヤサ男だれ?」後日ぼくは I 川くんに訊ねます。「アルファルファのマスター」「アルファルファ?」「言うてなかったっけ、キャサベルの前身や」I 川くんによると、そのヤサ男はママの元ダンナとのこと。どんな経緯があるのか、なぜ腐れ縁が続くのか、次々と質問は湧きましたが、I 川くんは無言の回答でその話題を閉ざしました。というより、なんでそこまで詳しいの? というぼくの核心的詰問をうまく交わしました。その日、I 川くんがママをからかうように「迷い道」を歌わせたことは、なぜか強烈に覚えています。「ちょっとおかしない? もう一回うたってよ?」とママの鼻歌に突っこみ、再確認したのです。メロディはごく自然に繋がるものの、じっくり聴くと異なる二曲……。もつれた二つの色恋のように……。

まるで喜劇じゃないの 一人でいい気になって
冷めかけたあの人に 意地を張ってたなんて
ひとつ曲がり角 ひとつ間違えて
迷い道 くねくね

迷い道

↑ の三行目から、本来なら「ひとつ曲がり角、ひとつ間違えて」という歌詞の白眉で、「ねんねころり、寝転んで」とママは「東京ららばい」に繋げました。ぼくらは大いに笑いました。笑って笑って笑い過ぎて、もう涙目になったほどです。なるほどメロディに違和感はありません。白状すると、しかし、今でもぼくはこの二曲を聴くと、居たたまれなくなります。あのときの涙目の理由は、きっとぼくとママでは違ったのです。

ねんねんころり 寝転んで
眠りましょうか

東京ララバイ 倖せが見えない
だから死ぬまで ないものねだりの子守歌

東京ららばい

ごくたまに、店内でママと二人きりになる時間がありました。物思いに耽るように、ママは焦点の合わない遠目でサイフォンの泡立ちを見つめていました。有線で「迷い道」がかかると、ママは無意識に歌詞を口ずさみます。曲が終わり、その歌詞が別の歌詞と結びついても、なにも気づきません。ぼくにリクエストを頼むときも、必ず「東京ららばい」と勘違いしました。ぼくは誤りを正さず、ただママの言うとおりに従いました。

どちらにしたって哀しい曲なのです。キャサベルで流れていたのは、男運のない曲ばかりです









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