プレゼント学概論【大げさなものではなく】
はじめまして、さきぽんといいます。
プレゼントやギフトについてあれこれ、あと全然関係ないことも含め、
ゆるーく備忘的に書いてみようかなと、そんな風に思っています。
韓国ドラマ「応答せよ」シリーズというものがあります。
・応答せよ1997
・応答せよ1994
・応答せよ1988
この3つ、どれも面白くて楽しい作品でして、
『恋愛の楽しさと切なさはもちろん、笑いと涙と家族愛もたっぷりという、大ヒット韓流ドラマのお手本のような作品』と言われています。(ほんとそう。2年前に初見して以来定期的に見返す。)
末尾の4桁は西暦で、1997年、1994年、1988年が舞台のドラマ。
その当時の時代反映させたドラマって、なぜ面白く感じるの!という話はまた別の時にするとして、
【応答せよ1994】第6話「プレゼント学概論」 より、
ギフト盛況シーズンのいま、胸に留めておきたい、プレゼントにまつわるセリフ(いずれもナレーション)をご紹介します。
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すべての関係には 慣れが生じるものだ
プレゼントには その慣れきった関係をー
見直させて 感謝させる力がある
プレゼントを選び カードに思いを込めるうちに
その相手は また大切になる
そして その思いは 必ず相手に伝わるのだ
しかし 慣れてしまった関係が
突然崩れてしまったら
どんなプレゼントも 時を逸した努力も無意味だ
売られたまま ベランダで枯れた花にー
水をやっても もう遅い
関係が崩れてしまう前に プレゼントをしよう
思いを伝えよう
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分かりきった物よりー
サプライズこそ プレゼントになる
ウソのような プレゼントだからこそ
奇跡のような感動になった
送り主の名前も住所もない
でも誰が送ってきたのか
分かるような気がした
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プレゼントという単語には 2つの意味がある
"贈り物"と”現在"だ
今 この時が 私たちにとってー
一番の贈り物なのかもしれない
ケンカしたり 傷つけ合ったとしても
寄り添いながら過ごした 幸せな時間
私たちの1994年はー
贈り物のような時間だった
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何を贈ろうかあれこれ考えるとき、そして用意するとき、
その思考自体、いや準備そのものに、煩わしさを感じることきっと多いです。考えるのが面倒くさい、調達するのが疲れる、難しい。
「あげたい贈り物」ではなく、「しないといけない義務的な贈り物」のほうが、世の中の大半かもしれません。
この「プレゼントめんどくせーい」の根源にあるのは、
『贈り物に掛けた思考量と行動量に対して、贈る目的が達成されるかどうかの不確実性が非常に高いこと』だと思います。
あんなに考えて、こんなに準備したのに、全然喜んでない!思ってた反応じゃない!なんでー!?
プレゼント・ギフトほど、効果測定できないものってないです。
再現性の低さも特徴的。一物一価。個別事象。
自分がもらって嬉しいものが、あの人も嬉しいとは限らない。
だから、私がプレゼントをあげるとき、受け取るとき、
このプレゼント学概論を思い出してみると、少し元気と勇気が湧いてくる気がする。
買ってきたときのままベランダで枯れた花に、水をやってももう遅いから。
関係が崩れてしまった後、相手がいなくなった後に、プレゼントをあげることや思いを伝えることはできないから。
ここまでお読みいただきありがとうございました。