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不幸って法則ないやん。誰も逃げれないから、みんなで考えて工夫する
プレゼント・ギフト研究員のさきぽんです。
今からもうずいぶん前のような、NHK朝ドラ「カーネーション」が終わって間もなく、の2012年に新聞掲載されていたカーネーションの脚本家・渡辺あやさんのインタビュー。
毎年この時期になると思い出します。
渡辺さんが脚本を書いた、阪神大震災を主題にした映画「その街のこども」に、こういうセリフがある。
「不幸って法則ないやん。地震だけじゃなくてさ、事故かって病気かっていつ回ってくるかわからへんし、逃げられへんやん、誰も」
「工夫するしかないんかなって。つらいことになってもうたとき、どうやったらちょっとはつらくなくなんのか、考えて工夫する。みんなが。みんなで」。
この言葉に込めた思いはなんですか?の質問への渡辺さんの答えに、特別と日常のはざま、境界線を強く意識した記憶があります。
「震災は大勢の人が巻き込まれるから特別のことと感じるんですが、日常でも病気や事故で人は亡くなる。個人のレベルでは一つのことだと思います。死や誰かを失う苦しみからは誰も逃げられない。みんなが当事者だからみんなで考えよう、と。一人で持つには重い石でも隣に誰かいるだけで軽くなりますから。」
読んだのが震災の後だったからなのか、なにか個人的な出来事と重なったからなのか、今となっては分からないですが、未だに覚えてます。
ある日突然病気になる。事故に逢う。大切な人と別れる。
その当事者が自分のとき、家族、友達、恋人、遠い人のとき。
そんなときどうしたら良いか、どうしてほしいか、なにもしないか。
時間・場所・人によって答えはひとつじゃないけど、きっとそういう判断シーンをいつもどこかで、みんな迎えてる。
…カーネーション見ようかな。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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(全文備忘のため掲載。長いので最後まで読むと4分ほどかかると思います。
ただ、ゆっくりでも、読んでみると、
「あのときのわたし、こうやってしてもらいたかったのかも」とか、
「こういうときは、そうか、こんな風にしてあげようかな」とか、
昔とこれからの自分に教えてあげたい言葉に溢れている。
ふわふわな優しいお話だけじゃなくて、リアルで生々しく実践的な内容だと思っているからでしょうか。
インタビュアーの方が渡邉さんへ丁寧に投げかけしている様子が伝わってくるのも凄い。)
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―「カーネーション」の脚本を書く時、東日本大震災のことは意識されたのでしょうか。
「全26週分の脚本のうち、3週目を書いている時に震災が起こりました。自分自身の足場がものすごく揺れた感じがしました。自分が世の中に向けて発信するものがこれでいいのか、一度見直さないといけなくなった。でも、突き詰めた結果、自分が最初にこの物語でやろうとしたことは間違っていいない。修正点はない。そう思えました。」
―「やろうとしたこと」とは?。
「溶かすということです。」
―溶かすですか。
「娘が赤ちゃんだった時、わんわん泣くのに「そのまま寝てくれないかな」と、15分ぐらいほったらかしていたことがあります。大人がそんなに待たされたら起こるはず。でも赤ちゃんは、やっと私が来ると笑ったんです。その笑顔で気づかされたんですが、大人だって怒る前には「やっと来てくれた」といううれしい感情があるんです。」
「大人になるにつれ、心の中に何重にも薄い殻が重なって、本当の自分の心が分からなくなる。物語ならば、普段だったら手が届かない殻の奥にある、柔らかいところを温めて溶かしてあげられる。それがじゅわっと殻の外に出てくると、心が震えて解放されたり、涙が出たり、ということが起こる。それは、人にとってすごくいいことじゃないか。感覚的にそう思っています。」
―どうすれば、そんなことができるのでしょうか。
「書くことがただ大好きなんですが、主人公の糸子と真剣に向き合っていると、彼女の心の中に起こるであろう反応が、自分のなかにも自然と起こるんです。その響き合いが台本を通じて糸子を演じる尾野真千子の中でも起こる。その演技が映像にうつると、人に伝える力は相当なものになるんです。自分と登場人物の間で起きた純度の高い振動が、役者の肉体を通じて他の人々にも広がっていく。私自身、それですごく解放されるし、見る人も自意識に閉じ込めていた感情を一緒に開放できればいい。そう願っています。
―ドラマでは、登場人物たちが戦争で心を病んだり、次々と戦死したり、残された人々が抜け殻になってしまたりしました。被災地の人々と重ね合わせて見た人も多かったのではないでしょうか
「戦時中を書く時は、死にそうなぐらいしんどかったです。震災を自分の中に取り込んで物語をつくることも考えましたが、あえて「まったく関係ない場所でやる方がいい」と決めました。まじめにやっていれば自然に重なる、と思ったのです。」
―親も財産も失い娼婦に身を落とした糸子の幼なじみを立ち直らせたのは、息子二人を戦争で亡くし、生きる気力を失っていた玉枝さんでした。玉枝さん自身も、その過程で再び前向きになっていきますね。
「あれは楽観的な描写だと思います。絶望という心の溝にはまった人が、そこから抜け出るのはそう簡単ではないですから。それでもうまくいった場面を描く方が、見る人の力になるのではないか。いつもそう考えています。」
「人の中には、どんどん暗く落ち込んでいく流れもあれば、そこから立ち上がりたいという流れも絶対ある。流れを変えるのは、何か小さな衝撃なんだと思います。玉枝さんは自分自身の心の溝にはまって同じ軌道を回り続けていたのですが、糸子というすごく強い存在が突然やってきて「幼なじみを助けて!」と頭を下げる。そのことで、溝からちょっとずれた。すると後は、その人自身の力で上向きになっていく。生きる力は元々その人の中にあるんです。」
―ドラマの舞台である大阪府岸和田市のだんじり祭りが、生きる力の象徴のように描かれました。
「だんじりを初めて見た時、涙が出ました。祭りの花形、大工方は、街中の人々が見守る中、走るだんじりの上で命がけで跳ぶ。「表現の原点」を見たように感じました。自分の命を他者に届けたい、命を燃やしたいという気迫。見ている方も「届いた!」と感じて、生命力が上がっていく。それはとても純粋で、ありがたいことだと思います。」
―生命には「他者に届きたい」という性質がある、と。
「絶対にあると思います。私がパソコンに向かって地味に書いているのも、同じことをやりたくてやっているんじゃないでしょうか。」
―阪神大震災を主題に渡辺さんが脚本を書いた映画「その街のこども」に、次の言葉があります。「不幸って法則ないやん。地震だけじゃなくてさ、事故かって病気かっていつ回ってくるかわからへんし、逃げられへんやん、誰も」「工夫するしかないんかなって。つらいことになってもうたとき、どうやったらちょっとはつらくなくなんのか、考えて工夫する。みんなが。みんなで」。ここに込めた思いは何ですか。
「震災は大勢の人が巻き込まれるから特別のことと感じるんですが、日常でも病気や事故で人は亡くなる。個人のレベルでは一つのことだと思います。死や誰かを失う苦しみからは誰も逃げられない。みんなが当事者だからみんなで考えよう、と。一人で持つには重い石でも隣に誰かいるだけで軽くなりますから。」
「不幸や不条理に立ち向かうには、すごく地味なことをコツコツやっていくしかない、という感じがしませんか。あるところに大きな救いがあって、そこに自分も回収される、というのは絶対にうさんくさいし、本物じゃない。小さくて地味で一見、「これかよ」みたいなこと。子どもを見ていると、ちょっとしたお使いなど、本当に単純に人の役に立つことに、すごく喜びを見いだすんですよね。よくよく考えれば、それは美しいことだと思います。」
「大人だって本当は、誰かの役に立ちたいと強く願っているのですが、なぜか「こんなことをやったら、かえって迷惑かな」などと考えてしまう。大きな災害が起きると、心の奥の素直な気持ちがすっと表に出てくる。映像を見て涙を流したり、ボランティアをしたり、寄付をしたり。人の力になりたい、という気持ちが満たされた時、人は自分自身の価値を見いだせる、と思います。」
―専業主婦から脚本家を目指したそうですね。
「子どもが生まれて間もなく、夫の実家がある島根県の町に引っ越しました。一日中、赤ちゃんとだけいるとあまりに退屈で、自分の頭の中で友達をつくり、自分が盛り上がれるストーリーに沿って空想の会話を楽しんでいました。それを書きとめると脚本のようになったんです。それが始まりでした。」
「でも、最初に自分が脚本を書いた映画ができあがった後、すごく落ち込んだ時期がありました。ゴールにたどり着いた途端、次のカーテンがぱっと開いて「死」が広がっていた、という感じ。「どうせ何をやっても年老いて結局死ぬんだ」という思いにとりつかれていました。「小さくて地味なこと」への感謝が足りなかったんです。そこからずっと、死や老いという課題について、作品を通じて取り組んでいます。」
―「カーネーション」でも糸子の老いが丁寧に描かれました。
「糸子役が夏木マリさんに代わった時、それまでの登場人物の多くが故人となり、舞台の町並みも変わって、私自身すごく喪失感がありました。でも、それがまさに、老いた糸子が抱えている感情なんです。
「私の住む町でもお年寄りの自殺が多い。私たちの世代が想像するよりもずっと、老いていくのは厳しくつらいと思います。糸子のモデルはファッションデザイナーのコシノ3姉妹の母、小篠綾子さんですが、晩年が最も輝いていたそうです。どうすればそうなれるのか、描けるなら描いてみたいと思いました。」
―その秘密は分かりましたか。
「小篠さんの座右の銘に「与うるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉があります。お年寄りにしか与えられないものがいっぱいある。私たちもお年寄りに与え、一緒に生きることで、自分の中で育てられるものがある。糸子はしょっちゅう仏壇に手を合わせ、故人に話しかけます。そんな日常を送った人は「自分が死んでもそうしてもらえる」と信じながら死んでいけると思います。」
<取材を終えて>
「カーネーション」は、震災後の日本を生きる私たちへの、誰かからの贈り物だったと思う。渡辺さんは「すでにある物語が見る人に届きたくて、私やスタッフや俳優たちが呼ばれた」と話す。この世界は人に残酷な時もあるが、人の負った傷を癒す力にもあふれている。その力が時として、物語という形で現れるのではないか。
(聞き手:太田啓之)
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ここまでお読みいただきありがとうございました。