NIKKE研究各論(24)臆病な僕らは今日も震えながら
今回は前回の続きにあたる、恐怖について紐解いてみよう。
そもそも恐怖とは何か?英語のfearの語源は古英語で危険を意味する言葉である。また、日本語だと怖いは強い(こわい)に通じ、元々は固いとなる。『デジタル大辞泉』によると、おそれること。こわいと思うこと。また、その気持ち。
動物はなぜ恐れるのか?それは生き残るためである。ケガをしないよう逃げたり、戦ったりして生存確率を引き上げるための脳の機能は人間以外の種でも確認できる。
むしろ人間は他の動物よりも脳が進化したので、この機能もアップグレードしている。それは一方では不都合もある。恐怖の対象まで際限なく広がってしまったのだ。
生命の危機に瀕した時、脳はまず「闘争か逃走」の準備を行う。脳が、アドレナリンなどのホルモンを出すよう臓器に指示を出して体を動きやすくしたり、反対に今必要ない器官の動きを抑えて全力投球できるようにする。
脳が進化してパワーアップしていると、前頭前野の働きにより、状況を落ち着いてとらえて威嚇したり交渉をするようになる。
さらに人間の域まで脳が発達すると、意識的にそれを行うか否かの判断がつけられるようになる。なあに、ここまで脳が発達していたら学習や記憶によって、いちいち騒がずともだいじょうぶダァと判断したりしなかったりするのだ。
話は若干逸れるが、情動についての理論の歴史を探ってみる。ウィリアム・ジェームズはデンマークの心理学者ランゲの考えをもとにジェームズ・ランゲ説を完成させた。外部刺激が脳で知覚されると、生理的変化が起こった後で情動を覚えるとした。彼はこう言う。「我々は悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」
一方、頭皮がぞくぞくするという単純な生理的変化でさえ、美しい音楽を聴いていようが、死体の解剖時だろうが起こるのは何故か?こういう感じで異を唱えたのがウォルター・キャノンであった。彼の理論にバードが修正を加えたのが、キャノン・バード説である。これは、外部刺激は視床から視床下部・大脳皮質へとそれぞれ別れて行くことで心理的な情動経験と生理的変化が同時に起こると提唱した。
解剖学者ジェームズ・W・ペイペッツは1937年に行った研究により、情動とは上の2つよりさらに複雑な、脳の神経回路の機能であることがわかった。だがしかし、我々の脳は彼の論よりももっとずっと複雑な働きをしているのだ。
オーソン・ウェルズの『宇宙戦争』のラジオ放送でパニックが起こった話は、最近はそんなことなくね?という話も出てきているが、それでも似たような話はいくらでも転がっている。些細な噂話を拡大解釈してデマが広まり信用金庫の取り付け騒ぎに発展したり、ハレー彗星の接近で自棄を起こしたりする者がいたではないか。恐怖は伝染するのだ。
中国五胡十六国時代最大の戦いである、淝水の戦いは非常にわかりやすい例だ。簡単なあらましだけ書くとこうなる。
河北地域を完全に掌握した前秦の苻堅は、遂に東晋を併合すべく南進を始めた。圧倒的な兵力差があるが東晋は長江や淮河など自然の力でこれをなんとか凌いでいた。いざ決戦という時に、東晋側から「此方から渡河して戦うんで一旦下がってチョ」と申し出があり、苻堅はこれに応じつつも誘き出して包囲殲滅する気満々だった。ところが、これを実行する段になって本陣から「秦軍敗れたり!」の声が!周りも作戦なのかどうかわからなくなって混乱、軍の大半が一斉に退却を始めてしまったのだ。兵士は逃げ惑い、風の音や鶴の鳴き声にも怯える有り様で「風声鶴唳を聞くも、皆以為く、王師已に至れりと」と記述された。
ちなみに声の主は、東晋からの降将・朱序である。苻堅は極端な理想主義者であったので信用してこれを用いていたのだが、おそらく事前に内通済みだったと思われる。ともあれ、前秦軍は多部族の寄り合い所帯だったこともあり、この敗戦により統制が効かなくなり国家の体そのものすら崩壊してしまう。
人は未知なるモノに恐怖する。例えば幽霊とか妖怪とか…その最たるものは死であろう。病気や戦争など死をもたらすものへの対策は出来ても根底から覆すことは出来ないという無力感は、絶望という恐怖を与える。宗教は、死によって迎えるであろう将来を保証してあげる(輪廻転生や死後の安寧など)ことでこの恐怖を支配しようとするのだ。
未来も未知なるものの一つだ。我々は試験なり就職なりで常に一喜一憂している。目の前にレールが敷かれていないと、とにかく不安で仕方がないものだ。「決められた道をただ歩くよりも 選んだ自由に傷つく方がいい」(註 『夢色チェイサー』の歌詞)
などがカッコいいのは、無謀なことをやる自分に酔っているという意味も含まれているのかもしれない。
不安(anxiety )とはすなわち将来に対する恐怖であり、語源は「窒息する」というギリシャ語だ。「仕事のない生活は堕落してしまうが、仕事に身が入らなければ人生は窒息死してしまう」とアルベール・カミュは言ったそうだが彼は苦笑しているかも。
恐怖そのものを支配することは容易いことではないが、恐怖している人を支配するのは案外簡単だったりする。無力感に対する答えを与えてやれば良いのである。現世に絶望してもトラックに轢かれて異世界転生してやり直したりするのが人気なのはそこら辺も大いにある。ヒトラーが失意のどん底にあったドイツ人を弁舌で熱狂させ、戦争への道に突っ走らせたのも、ガンジーらがイギリスを相手に非暴力不服従を旨に独立闘争をしたのも、ベクトルの向きが正反対なだけで中身はほぼ同じである。つまり無力感にとらわれた人々を束ねる希望を与えて力に変えたからなのだ。
また、大衆への扇動は偏見に訴える。偏見とは他集団に対する恐怖である。人々はある集団内にいると、極端な場合は集団内の人間をとにかく贔屓し、逆に集団外の人間をこれまたとにかく排斥するようになる。この集団というのは別に国とか地域だけに留まらない。宗教が違ってもそうだし(イスラム教のスンニ派とシーア派などは、はたから見れば同じに感じやすいが彼らにしてみれば各々が異端者そのものなのである)オタクとそれ以外とかも当てはまるのだ。
NIKKEだとこういう流れで説明できる。まずアークが成立する時までに、ゴッデス部隊に対する権威について操作が行われた。彼女らは4〜5人(レッドフードを含めるかどうかで数が変わるので)しかいないが、アークに直接戻れば、選挙に立候補でもしようものなら当選率ほぼ100%のスーパーヒロインである。彼女たちに救われた人間がそれなり以上にいたのもある。なので、封鎖後に締め出した。
召喚されていた同部隊の指揮官はそういった中でも部隊の宣伝を行っていた節があり、ニケ自体の名声はむしろ高まっていた。
これが完全に失墜するのは、第一次地上奪還戦での敗北である。戦争なので普通なら政府や軍に不満が殺到するはずなのだ。だが、政府は支配権の保持に躍起になりこういうレトリックを編み出したと思われる。
「ニケがクソザコナメクジでした…」
まぁ実際、現行の最精鋭部隊をふたつ投入してもヘレティック一機に廃棄寸前まで追いつめられた(なお相手は突然の落雷で破壊された)ので、今より性能の劣る彼女らでは、ヘレティックが来ただけで余程鍛えてない限りは特効武器アリでも数に頼らないと難しいところがあったろう。
こうしてニケをまんまと被差別階級に仕立てれば、あとは一般人を扇動するだけで勝手に支持率が安定する。成り手が不足しそうだが、そこは病人と死体漁りなどでカバーだ。借金まみれになって臓器売買や身売りする理由でニケ化するのも流行ったりしてたら嫌だなぁ…
そしてニケ自体はNIMPHによる統制で戦闘の恐怖を緩和し、更にはほぼ人間には手出しできないときている。ニケにあまい奴らも同類とレッテルを貼って更生館とかにぶち込んで治安維持法よ!といけば完璧だ…
半分以上は妄想だが、多分こんな感じでアークは運営されてきたと思われる。内部に敵を自分で作り上げて外部のことを意識させず、のらりくらりと生きながらえてきたツケを支払う話が23・24章なのである…