勝利の女神:NIKKE 稗史:伏魔殿の道化師はヒト探し中(20)
執務室で引継業務に精励していたスタルカーに電撃が走った。無論、思考上のものである。目の前には書状を認めたネイトが立っている。
「財団を……脱退するとは……?」
「今お前が言ったとおりだ。もうあたしは何も出来そうにない」
時代に取り残されたニケは、脱退届のほかに何枚かの書類を合わせて道化師に投げ捨てた。
「あたしの住んでたビルの土地建物全て買い上げた。掃除はしてないがなんかあったら使え」
「住処をも捨て去ってどうするつもり!?」
「地上で野垂れ死ぬさ。あの青空の下でね」
「馬鹿なこと言ってないで……」
スタルカーが制止するのを聴きもせず、病んだ狩猟神は踵を返し部屋を後にした。
「アアア!!」
怒りのあまりペンやインクを弾き飛ばす道化師。インクが血溜まりの如く床に留まった。
後世の研究者達は、ネイト脱退が財団崩壊の端緒となったと見ている。利に聡いアニェージら一部のニケはこの変事を重く見て自分達も後に続くのであった。
これに先立って、マーガレットの死によりスカーの雇用契約が終了した。後継者たる長男が再契約を求めたもののスカー側が認めず破談となっている。
財団のほぼ全ての資産をスタルカーに握られたマーガレット会長の遺族は、その正式な継承および返還を求めたが、道化師はこれをほぼ無視し、一人につき一億クレジットずつ分配することをちらつかせるのみであった。
「あれは母さんのみならず一族の遺産だぞ! ニケの分際で生意気な!」
長男とその家族は憤りながら、自家用車をお抱えの運転手に運転させ財団本部に赴こうとしていた。
だがその途上で車は爆発炎上し、家族全員が死亡したのである。
「爆弾テロですって!?」
スタルカーは驚愕した。
決して彼女の仕業ではない。彼女はこの手の芸当は身につけてはいないのである。
しかしながら、遺族と対立している道化師にはこの状況はプラスとマイナス双方の効果が絶大である。どう切り取っても毀誉褒貶は避けられない。
そうこうしている間にも、各所で暗殺される遺族に対し効果的な一手を打てず、とうとうロイヤルの一族のひとつが族滅の憂き目に遭ってしまった。子供ですら容赦なく命を奪うテロリズムである。
「……」
財団の生命線である莫大な金については、生前贈与という形でその一部を中央政府に納税しておいたが、人間が全く居なくなるという事態は想定外だ。ややもすれば資産は凍結されアークに全て没収されるやもしれない。
アニェージ脱退に伴いやらざるを得なくなったパソコン技術や担当職員を総動員して、微々たるものだが遺族の資産も死後の凍結前になんとか回収に成功した。同時並行して全ての資産を収めたサーバーをスタンドアローンにせねば、アークが誇る超AIたるENIKKが掌握しかねない。
道化師は急ぎサーバールームへ行き、コードを物理的に切断した。だが、まだ足りない。これらを安全な別の場所に移して完全に守らねば枕を高くして眠れはしないだろう。
「ラドローナ、今いいか?」
スタルカーはアークいちの掏摸であるラドローナを電話で呼びつける。闇に潜む者ならばその地理にも詳しかろう。
「アタシは何をすればいいんで?」
「アークにシェルターがいくら存在しているか調べてみてくれないか?」
「シェルターなんて防災マップに記載されてるんじゃないですかねぇ」
「我々の命を守るには未記載のもの、特に政府や軍からも忘れ去られたような、それこそアーク創生時に簡易的に設けられたものが最低三つは欲しい」
一瞬の間があって、泥棒が応じる。
「がってん承知でさぁ。不要な四つめ以降は私的に使わせて下さるんならば引き受けましょう」
「精査の上、その希望は叶えよう」
「それでは行ってきます!」
受話器を置いて、スタルカーは髪を手で掻き上げる。抜け毛の一部は翡翠の色が失われていた。
「あなた達もですか……」
執務室でスタルカーは、よく見知った相手を睨みつけていた。マチルダとディシプリンである。
「財団を継ぐべき人間が一人も居なくなったことで、ここも終了せざるを得ません」
「ニケだけで運営すればいいではないか」
「アークがそんな無理筋通すと思う? 泉会はもう店仕舞いの時よ?」
「まだ終わってはいない」
「終わらせられる前に平和的に清算すべきです。ルカちゃん、わかって下さい!」
「わからない、わかってたまるものか! 会長が遺してくれたこの場所を護らねば、この先何人のニケが苦しむことになるかふたりは考えないのか!?」
「少なくとも、今のままではだれも守れはしないと私たちふたりは結論付けたわ……」
両者の見解は完全に平行線だ。
スタルカーはこの危機に際してチャルチウィトリクエの武力をコントロールしつつ、中央政府への抑止力としておこうと考えていた。
だがマチルダ達はそれは早晩中央政府軍の再介入を受けるだけだと考えているわけだ。また、ティアマトが何をしでかすかわからない以上、財団法人オーケアニデスそのものを平和裡に終了させて、幾らか残るであろう遺産を基盤により多くのニケを緩やかに支援していくスタイルに切り替えるべきだと主張したのだ。
しかしながら、頭に血が昇っている狂った道化師に正論を解いても馬の耳に念仏なのであった。
結局、マチルダらはベルタンのような多くの非戦闘用能力者を引き連れて財団を脱退し市井に隠遁する道を選んだ。
二人が退出し閉じていく扉を道化師は見送った。
「なにが「信頼は、年を重ねた胸の中でゆっくりと育つ植物である」だ!」
激情に駆られたスタルカーの拳は既に液体触媒が滴り落ちていた。もうあと少しで彼女の指は骨を貫通していたことだろう。
「ふ〜ん。あんたんとこも大変だねぇ」
ある夜のことである。鼻歌混じりにタクシスがスタルカーを送迎する。
この一介のタクシードライバーニケが、地上で激闘を繰り広げたとは思えないであろう。今日は正装であることからロイヤルのお歴々にでも仕事を受けていたようだ。
「そう言えば貴女は顔が広いんだったな?」
「まぁ政府のお偉いさんも乗せたことがあるけどねぇ、そういう情報が欲しいんじゃないんだろう?」
「使えるニケが欲しい」
「一応聴くけどどっち方面?」
「腕っ節が強い者を」
「そちらさんより強いのがアークにウヨウヨ居るわけないだろう?」
駐車場に入って車を止めるほど悩ましい問題である。アークでその希望を叶えられるニケは月の女神くらいかなとタクシスは悩みに悩んだ。だがあれは中枢に近すぎてまず会えないだろう。
「現状では難しいけど将来性を買うっていうならひとり、いや一匹いるかな、見に行く?」
まるで賃貸住宅の内見のノリでタクシスは話を振る。
「一匹とは?」
怪訝な顔をする道化師を乗せて、再びタクシーは発進した。
「何処へ向かっている? 財団方面に逆走してるぞ?」
「ロイヤルの皆様がお住まいの一隅にそれはいるのさ」
「ボディガードかなにかをしているのか?」
「そんな大層なもんじゃないよ」
さっぱり様子がわからず困惑するスタルカーは、見ていて滑稽だ。運転手はミラー越しに見て微笑んでいた。
「そうだねぇ、コレはロイヤルのお偉いさん達から聴いた噺なんだけどね」
ドライビングに影響のない範囲で意識を割き、タクシスはある噂話をはじめた。
「ある家族に子供が産まれました。その女の子は生まれつき目も耳も使えませんでした。家族はガッカリしましたが、女子なのでニケになれば治るかもしれないな。そう思い直して子供を育てる決意をしたのです」
道化師は噺に没入したかの如くダンマリを決めている。
「ですが、両親は子育てに飽きてしまいました。普通の子供ではないのです。家の使用人が代わりに養育していたのですが、大きくなるに連れて負担は増すばかり、とうとう子供はペットの犬猫と同じ部屋に入れられてしまいました」
ひどい話だと道化師も思わず同情した。
「ん? 話のオチが見えてきたんだが……」
スタルカーがそう言おうとした矢先に、車は急停車した。
「どうした!?」
驚く彼女に対してタクシスも驚愕の表情を浮かべていた。
「今いたんだ。ちょっとここで待ってろ!?」
車の引き出しからタクシスが缶詰を引っ張り出す。そこには、軽食がわりのパーフェクトの缶詰がいくつか備蓄してあったのだが、タクシスが持ち出したのは猫用であった。
「るーるーるー」
タクシスは暗がりに向かって口遊みながら缶詰を開ける。そうして一歩二歩と後退り様子を見守ると、件のニケが姿を現した。
車内でスタルカーも見守っている。
そのニケは小柄な少女であり、薄汚れている。全く身体を洗っていないようだ。
「ニケは臭わないとはいうが、衣服は別だろうに……」
缶詰の中身を犬食いしたニケはさらなるおかわりを望んだのか、腰のホルスターから銃を抜き取ってタクシスに突きつけた。タクシスの脚でワンチャン逃れられるというところか。道化師も身動きが取れない。迂闊に動いて相手を刺激すれば、車に風穴が開くのは必至である。
「あいあい、たんとお食べよ」
缶詰を開けて、置き、また下がる。これを数回繰り返して漸く相手は満足したようだ。
後退しつづけたため、タクシスはリムジンまで戻っていた。パワーウィンドウを下げてきたスタルカーは問う。
「あれは?」
「ネコみたいなニケ。名前はまだない」
手を丸めて顔を洗ったり、寝転がったりと確かに仕草が猫のようだ。
「会いに行っても?」
「餌付け用」
リムジンから下車する道化師に気付き、猫のようなニケは一瞬でリラックス状態から戦闘前の警戒態勢に移った。受け取った缶詰のプルタブを引き上げて、蓋を開けてもなおその視線はブレることはなかった。
「よしよし」
スタルカーは右手をかの猫の髪を撫でる。正反対にタクシスは暴走を恐れて逃げ出す一歩手前であった。
髪の毛は艶やかだが、やはり身体を洗っていないので髪もベタついている。というよりこれは返り血であろうか?
血と便などが混ざった独特の臭いが鼻をつく。タクシスが後退りしたのは逃げる距離を稼ぐ意味と同時に、匂いを嫌がったのだろう。どのような生活をしているのか若干読めないところが原初の恐怖を呼び起こす。
やがてこの黒猫は缶詰に満腹になったのか、ふたりを無視して踵を返して移動し始めた。つかつかとあとをついて歩く道化師だが、向こうは全く害意を見せない。
「ちょ待てよ!?」
タクシスはリムジンのハザードランプをつけて駐車せざるを得なかった。この辺は車を走らせるには不似合いなので駐禁をとる公僕や車場荒らしが来るのも稀だと願うことにした。
黒猫が帰宅した屋敷は荒れ果てていた。家の前でスタルカーがタクシスに問う。
「あの話が事実として、この家がどうなっているかわかるか?」
「……初めて来たからサッパリ分からないワ」
ポーチには既に血溜まりの跡がある。このスプラッターハウスで何が起こったか確認せねばならない。
邸内は酸鼻を極めていた。至る所に血痕がある。床にはまるで刷毛で描いたかのようにとある一室に向かって血の道が遺されていた。
「地下室に遺体を片っ端から突っ込んでいるようだ」
「絶対開けるなよ?」
無論、スタルカーの狙いはそこではない。あの話でペット用の部屋があるならば、人間は決して地下室などにそれを設けたりはしない。
階段を登り二階の一番奥の部屋。極力目に付かず、かと言って完全に見限ってはいないと言い訳が出来るその場所の中央に、ニケは寝転がっている。その部屋には血溜まりはないものの、糞尿の跡とか壁に爪研ぎの跡が多数ある。
「マジかい、人間の子供の爪も落ちてるし」
タクシスは異常な光景に顔面蒼白だ。一方の道化師は目に涙を湛えていた。
あの話通りのしょうがいであれば、暗黒の闇の中で無念と憎悪を醸成させた暴王がこのニケの正体である。きっと畜生達だけが彼女を労った。だから魂を安んじられるのだろう。
このモノを味方にするには、自分もケダモノとなるしかない。
「オイオイマジか……」
タクシスがそう慨嘆するのも無理はない。道化師はヨツンヴァインと化しニケに近づく。ニケは銃を構えようとするが、スタルカーは構うことなくニケと向かい合いながら寝転がった。死と再生がそこで繰り広げられたのだろう。だが、ここまでだ。
スタルカーはニケを抱き寄せ、その頬にキスして、耳元に囁きかけた。
「我が元へ来たれ……」
「流石にこのリムジンにお前らを載せるわけにはいかないから、済まないね」
「構わない。ここからなら歩いてでも行ける」
体に異臭を纏わせた二人に対して流石のタクシスも乗車拒否せざるを得なかった。ここまでの運賃を受け取ると、タクシスは走り去った。
スタルカーと少女のニケは手を繋いで財団の屋敷へと歩き始める。
「まず体を綺麗にしましょう。そしたら次は名前を考えてあげましょう」
ニケは言葉を喋らずきょとんとしている。脳内にNIMPHがあるはずなので言葉も使いこなせると思われる。それが何なのかを理解さえすれば……
結局スタルカーは本来の仕事を取りやめ財団に蜻蛉返りする事になったが、この後にシュレディンガーと名付けられる戦闘狂のニケは、常に道化師の傍らに付き従う無敵の私兵と化した。
「このホールも、随分と広くなったもんだ」
幹部で残っている数少ないひとりであるヘッジホッグはこう嘆いた。彼女は研究開発費が受け取れればどうでもいいらしい。
「財団での支援を受けている者は既に三百余名となりました。まぁほとんどは私たちなのですが……」
こういうのはネメシスである。彼女達は一度中央政府軍からの復帰要請を蹴っているため、奉公構のごとき扱いを受けている。そもそも医療系職の需要があまりないことから財団に留まらざるを得ない次第である。
「シケた顔しとるのぉ、幹部の皆様がたぁ!」
扉を蹴破って歩み出るのは混江龍。
「ティアマトか」
ティアマトの着席を以て、今回の定例会議が始まる。財務状況から今後の方針までを話し合う場であるが、多くの人材が失われたことで会議も機能不全を起こしていた。マーガレット前会長存命時では出席なぞ全く許されなかったティアマトが図々しくのさばっているのは悪夢以外のなにものでもない。
「なんでウチらの面子をそちらに入れられんのんね?」
(そんなの決まっているじゃないかね)
(バランスが崩れるからですね?)
「マーガレット前会長のときに、そちらとは別組織であるということを取り決められましたから」
ヘッジホッグらとは違い、飽くまで正論で答えるスタルカー。主導権は渡さぬと言わんばかりの冷徹さにティアマトも笑みで返す。
「言うてアンタらの組織もウチら無しじゃ居られんのんちゃうんね?」
「あなた方が訳のわからないことをしない限りはまだ大丈夫ですよ」
「ほぉねぇ。確かにウチらは大人しゅうするつもりじゃけど中央政府軍がなんかするかもしれんよ?」
「なら大人しく命令に服して下さいませんか?」
「そうじゃのう、ヤマタノオロチ再配備の費用も段取りも全てやってくれたけぇ考えちゃるがねぇ、もういっぺん言うけど向こうが手を出してきたら知らんよ?」
「そのための抑止力だろうが! ちょっとは考えて喋れ!」
「おおこわ、こないだまでお人形さんみたいだったのが今じゃ狂ったピエロじゃけぇ堪らんわぁ」
たまらずヘッジホッグが止めに入る。
「ふたりとももうやめな!」
いきり立つふたりを仲裁するしか他に仕事がないのがヘッジホッグをさらに苛つかせる。
結局のところ、財団はより強い武力を保有するティアマト達の風下に立たざるを得ないところまで追い込まれている。だがそれを呑むと、遺産を食いつぶされるか誓約不履行によって中央政府軍に叩き潰されるかの二択しか残らないのだ。まるで首吊り用の縄をつけた状態のままバランスの悪い椅子の上で右往左往するかの様である。
彼女は財団の全てを握りたいティアマトをなんとか抑え続けなければならないスタルカーにはいくぶん同情を寄せてはいるが、恐らくはどうにもならなくなると認識していた。マチルダやディシプリン達もそれが分かっているからこその脱退劇である。
全員が無言で着席して、ため息をつくヘッジホッグにネメシスは問う。
「今回はなんとかなりましたが次回以降が不安ですね」
「状況次第では、私たちも路頭に迷う覚悟を決めておいた方がいいよ?」
アークの技術力の粋を以て生み出されたオペレーションデバイス。若き指揮官はこの便利極まりない秘密兵器と股肱之臣たる少数精鋭部隊をフル活用して地上奪還を目指し、最後の机上演習を行っていた。七月中には明確な結果を示さねばならない。
「で、何故今この時期にわざわざ厄介ごとをしなければならない?」
中央政府軍中枢は、片手間で財団法人オーケアニデスおよびPMCチャルチウィトリクエの処理を決定したのだ。前回勝手に地上に出て面倒を起こしたのが余程頭にきたらしい。
「向こうも多大な犠牲を出したのだろう? こちらから手を出したら藪蛇だろうに?」
それに対してにお偉方からの返事は以下の通りである。
「内情に詳しいニケを送るので有効活用せよ」
「内情? そんなユダみたいな者の話を聞く必要があるのか?」
そう不平を言っていた時、ドアが開く。立っていたニケの顔には一筋の傷痕が刻まれていた。
「ここにサーバーを置けば一安心か……」
スタルカーはラドローナより齎された複数のシェルター情報を精査し、守りやすい三つを選抜した。このうち一つに財団の資産を納めるべきサーバーやらチリングタワーなどを設置した。無論スタルカー一人で行う必要がある。
時間はあったので、ミシリスでこの手の工事に長けた部隊に臨時バイトに出たりもして技術を盗んだ。あと二つも電気使用量を同一にしてアーク側からの監視の眼をごまかしたりもした。
「……」
シュレディンガーと名付けられたニケが、気配を察知する。
「ねこです」
今はこれを言うのが精一杯だ。意味が複数に渡る場合もあるが仕方ない。作業を終えたスタルカーが銃を構えると、彼女も二丁拳銃を取り出した。銘はメタルバイソンとブラッディゲイル。
一見すればゴツい拳銃に見えるが、中身は対物ライフルと変わらない貫通能力を誇る。ヘッジホッグが鑑定して絶句していた。
「なんじゃコレわ!? 完全にオーパーツだわ!!」
そのほかにもシュレディンガーには謎が多い。非戦闘用ボディが存在せず、どこの企業で生み出されたかも不明。完全なイレギュラー個体であることしかわからなかった。
暗がりからコツコツと足音が聞こえる。整然と、というにはあまりにも落ち着きがなく蛇行しながらキョロキョロと辺りを見回している。
「あの赤い髪は……」
道化師が瞬時に飛びかかるとあっさりと捕まった。相手は諸手を挙げて無抵抗を示す。
「待った待った?! 私は何もする気はない!!」
「貴様はコミンか。何用だ?」
この者はかつて財団にいた傭兵ニケだ。確かに武器らしい物を何も持っていない。
「SNSに不審情報が流れていたんで、物見遊山で確認しに来たんですよ?!」
「何だと?!」
「宝探しゲームだなんとかでして、妹達が関わる前に調べておきたかったんですよぉいだだだ!」
コミンのシスコンと心配症は財団でも有名だった。加えて彼女自身、屈指の実力者である。幹部ではなかったものの脱退するのを残念に思うほどだ。
「あいわかった。命までは取らないがしばらく拘束させてもらう」
無意識に呪詛を吐く。
「我が元へ来たれ」
「グワアアアア頭がああああ!!」
突如頭を抱え苦しみ出すコミン。スタルカーは呻いている彼女の肩を外し、片脚の腱を切ってシェルターの中にぶち込んだ。
「なんでこんな辺鄙な場所がピンポイントで漏れている? ラドローナめ裏切ったか?!」
その疑問は数十分後、判明した。
「す、すみません大将……ヘマしてしまいました……」
ラドローナは武装したニケ達に拘束されていた。数は五十ほどだが、後方にもいくらかいると道化師は推測する。
装備から見て中央政府軍というより傭兵然とした纏まりのなさを見てとる。一応そうしておくが政府軍が態とそう見せている可能性は捨てないでおこう。
スタルカーはシュレディンガーに戦闘開始を告げた。
「あの捕まっているニケ以外は殺して構わない。私もそうする」
「ねこです」
相手は完全に油断しきっている。死神の乱舞が始まった!
前衛で出てきたふたりのニケは、部隊の中でも手練れの部類に入るが、数の優位ゆえに油断しきっていた。スタルカーとシュレディンガーを視認しても威嚇射撃を怠ったのが運の尽きである。
ふたりは驚異的な瞬発力を発揮して一気に眼前に迫ると、猫は銃で顎下から脳味噌を、道化師は心臓部のコアを吹き飛ばした。
「なっ!?」
突撃をかけたふたりが瞬殺されたことで一気に戦端が開かれた。遺体ごと吹き飛ばすような弾幕が張られるが、道化師も猫も壁際の柱を盾にして身を隠す。
柱への攻撃はアークそのものの損壊と問われかねず躊躇う敵対者であったが、さらに後方に忍ばせているスナイパーが接近を察知し次第狙撃する手筈なので余裕すらある。
「行くぞ」
道化師が体を出してショットガン・タイムリーレインを撃ちまくる。
「散弾銃でこの防御盾を抜けるかよ!」
簡易だが防御陣を構築した敵も、ハイドしながらスタルカーに攻撃を集中させる。頬を銃弾が掠めるが気にせず攻撃をし続けるスタルカー。このままではジリ貧だが……
「ねこです」
「え」
一方で後方のスナイパー部隊のひとりはダクトから這い出してきたシュレディンガーのアイサツと同時の射撃で絶命していた。発砲音に気付いた射程範囲のひとりが向きを変えて構え直すも、その隙に顔面を撃ち抜かれていた。
「私も出ようか」
シュレディンガーの奇襲成功を見届け、スタルカーも横一文字に飛び出して水平射撃を開始する。機動力では相手を凌駕しているというボディスペック差を活かし切ったパルティアンアタックだ! 柱から柱へと渡りながら敵を撃っていく。
「ど、どちらかに集中しなければ……」
挟み撃ちにあう敵は方陣に切り替えて、守りを固めるしかない。それでも重機関砲による弾幕はふたりの接近を許さぬ、はずであった。
「ねこです」
ラドローナの眼前へ瞬時に転移したシュレディンガーは、重機関砲手をふたり撃ち抜いた。同時に、道化師が弾幕を掻い潜り防御陣地内に突入を果たす。虐殺が始まった。
「ああっ!?」
タイムリーレインの直射を浴びた量産型ニケ達は一瞬で蜂の巣と化していく。踊るように二丁拳銃を放つシュレディンガーもあとに続く。これを食らったニケ達は胴体に大きな穴を開けて絶命していく。
「うわぁ!!」
恐怖に駆られて逃げ出すニケが続出し、折角スナイパーが道化師達を狙撃した一撃をむざむざ食らい爆死する。
「そろそろ終わらせる!」
スタルカーは思い切りニケの頭部を蹴り付けると、首は外れて明後日の方向に転がっていく。
「に、人間じゃない!?」
「いいや、人間だ。お前達よりずっとな」
「ねこです」
「ひぃぃぃ!!」
腹這いになって怯えるラドローナを無視して、敵集団をほぼ仕留め切った道化師と猫は、遺体を只管積み上げていく。
「何を??」
残った狙撃手が見たものは、遺体の山を押し込みつつ前進する化け物ふたりである。
「ウソでしょ!?」
スナイパーライフルで撃つものの肢体が飛び散るだけで効果がないようだ。もはやこれまでと逃げ出すニケだったが、眼前にはスタルカーが立ちはだかっていた。
「一応聞いておく。雇い主は誰だ?」
「南無三!」
死を悟ったニケはコアを自爆させようとするが、追いついたシュレディンガーにコアと脳を撃たれ即死した。
「ラドローナ、無事か?」
地に伏せていた泥棒の拘束具を、道化師は外してやる。
「一体何があったか言え」
「すみません大将、本当にすみません!」
ラドローナは解放されるやいなや、シェルターに駆け込んだ。サーバーにアクセスしてデータを抜き取りにかかる。
「金がいるんでさぁ! これがないとサンティグが……」
「サンティグ? ああ、あの庭師のカワイイニケか。最近見ないのでどうしたのかと思ったが……」
後ろは完全にスタルカーとシュレディンガーに押さえられた。
「アハハ……」
絶望で青褪める泥棒に対し、道化師は意外にも寛容であった。
「続きを話せ」
ガックリと項垂れてラドローナはこれまでの経緯を話し始めた。
「あたしはサンティグが何も分からず財団に残って庭仕事を続けているのが不憫でならなかったんでさ。それで政府の動植物管理局に猟官運動に出たりしてたんですよ」
「それとこれとどういう関係が?」
「これが上手くいかず悩んでいたところ、金を積めば考えなくもないと打診があって……」
「魔がさしたと? じゃあ何故こんな回りくどい真似をした。お前なら場所の見当をつけるのは容易いはずだぞ」
「そいつらはまた別系統の奴らです。サンティグを攫ってあたしを脅迫してきたんでさ」
つまりはこの部隊は財団の遺産を狙って攻撃してきたという事か……
「ラドローナ、お前に二つ三つ言いたいことがある」
道化師は泥棒に処刑人の剣を喉元に突きつけるがごとく語りはじめた。
「まずひとつ。お前にはシェルターを使わせると言ったがくれてやるとは言ってない。つまり、これら三つは最初からダミーだ」
「えっ……」
「ふたつ目だ。サンティグを捕まえた者を言え。今すぐ殺して連れ戻してくる」
ラドローナは既に涙で顔をグシャグシャにしていた。最後にスタルカーは彼女を抱き寄せる。無意識に紡がれる殺し文句。
「我が元に来たれ」
「申し訳ありませんでしたァー!!」
平伏しきりのラドローナを、頭痛に苦しみながらコミンは見ていた。
「イデデ、さっぱり訳がわからん」
「気にするな」
スタルカーはふたりに留守居を命じると再びシェルターの外に出た。
「シュレディンガー! 敵は!?」
「ねこです!」
「新手が来たようだな。一人も残すな」
血塗れの殺戮者達は、新たな生け贄を出迎えたのである。
同時刻、チャルチウィトリクエとオーケアニデス財団本部が中央政府軍によって襲撃を受けた。歩哨に立っていた部隊員二名がまず狙撃の餌食となって事切れた。
「うわ、狙撃されている!?」
「まさかまたネイトの奴か!?」
疑心暗鬼がチャルチウィトリクエ全体に波及するのに時間はかからなかった。
「よく見て、射撃時のバックファイアが丸見えだから!」
八大竜王持ちの幹部クラスが隠れながらも観察し続けた結果、ネイトの犯行ではないことが明らかになり、怒り狂った兵が一斉に展開し始める。
「どこの馬鹿のカチコミじゃあ!?」
「ティアマト様、これは周到に計画されたものでは? スタルカー様とも連携を取るべきと愚考します」
副官の意見具申をティアマトは受け入れ、道化師に連絡するが、通信妨害と戦闘によってこれは失敗した。
「あのピエロ、肝心な時にどこほっつき歩いとるんじゃ?!」
一方、財団本部でもヘッジホッグとネメシス達が既に戦闘を開始していた。
戦闘向きのニケ達ではないものの先の地上での経験は大いに活かされ、数回に渡って迎撃に成功していた。
「重傷者は二名、軽傷者は二十八名です」
「もう少し保てるが、早いとこスタルカーが来てくれないとジリ貧だね」
邸内まで下がって防衛するヘッジホッグ達だが、最早決断の刻が迫っていた。
「ネメシス、あんた行き場はあるのかい?」
「無いです」
「退路くらい考えとけよな。……うちらが時間を稼ぐから、あんた達はここから遠くに逃げ隠れな?」
「ヘッジホッグさんは?」
「あたしはアークの外れにあるジャンク屋のとこにでも転がり込むよ。部下の子も企業へのツテはあるしなんとかなるだろ?」
「しっかりしてますね」
「お前がしっかりしてないだけだろ」
「アストリットにもおんぶに抱っこでしたからね」
「そのガタイならおんぶする側だろうに。そうだ、これマチルダの置き手紙。困ったら使えって」
ネメシスが何かと読んでみると、おあつらえ向きの避難場所が記されていた。
「なるほど! ではヘッジホッグさん、お達者で!」
「生き延びたら連絡寄越しなよ!?」
重軽傷者を連れて、ネメシスや彼女のシスターで構成された衛生兵たちが離脱を始めた。
「じゃ、ここでもう一回耐えたら、ウチらも屋敷の隠し通路から撤退・解散という事で。あたしの名前使ってもいいから上手く就職すること、わかった?」
部下達は涙ながらに別れを惜しんだ。
屋敷にロケットランチャーが撃ち込まれ、火の手が上がり始める。
「結局スタルカーは戻らなかったか。多分うちらと同じで攻められてんな? 死ぬとは思えないが、財団を残せず済まないね」
煙に乗じて、武器を捨てたヘッジホッグ達工兵部隊も散り散りになって撤収した。
「財団の守備兵とチャルチウィトリクエを完全に分断できたな」
銀髪の若い指揮官が、戦況を指揮所から確認していた。第二次地上奪還戦の再攻撃を控えての、この作戦には今なお否定的だが、やれと言われれば従う他ない。
それに顧問としてスカーが居る。
「今し方、スタルカーが誘導されてきた馬鹿どもと戦闘を開始したようだ。これでティアマトに専念出来るぞ、若造?」
しかし、この指揮官はこれ以上の戦闘を望まなかった。
「ティアマトは地上に叩き出す。これ以上無駄に戦力を疲弊させられないからな」
「何か仕掛けているのか?」
「伏兵を使う」
指揮官は自ら戦場に出ようとしたのでスカーは大いに慌てた。
「何処に行くつもりだ」
「無論、直接指揮しに行く」
「馬鹿か、殺されるぞ!?」
「チャルチウィトリクエは財団構成員よりも頭のネジが外れたヤツが少なく理性的と聞くぞ。恐ろしさのみ強調されているが、大体は人間に手出し出来ん」
戦闘車両に乗って最前線へと赴く若き指揮官を見送った後、スカーはやってられないとばかりに被っていたベレー帽を地面に叩きつけた。
チャルチウィトリクエは今、正体が定かではない敵と相対している。増援はなし。
「財団本部も攻撃を受けている模様!」
「クソ! 完全に分断されたようじゃのう」
「敵も遠距離狙撃に特化してますね、数の有利を活かせません」
「八大龍王持ちだけ指揮所に来い」
まずは部下に防御陣地を構築させて、九人は緊急の対策会議を行った。
「中央政府軍はちまちまと手勢を削り取る気じゃろう。これに対しウチらが取るべき道は敵中枢への一点集中突破じゃ!」
「「「それは無理っぽいんじゃないです?」」」
「お前ら三馬鹿はアネキの言うこと聞いてりゃ良いんだよ」
「進行ルートは我々に狭すぎますよ?」
「木っ葉は何人失っても構わないよねぇ、大将?」
「無理攻めする価値があるということか、フーム」
「主攻は誰がやります? 一番槍はワタシがやりたいなー?」
八人はそれぞれ言いたい放題しているが、慎重派の意見も尤もだ。しかし、この期に及んでは決戦あるのみ。
「ピーチクパーチク煩いやっちゃのう。何を勘違いしとるんね? ルートは三次元で取れってアストリットのやつならいうじゃろうよ」
「じゃ、徒歩ではなくてビル間をパルクールなどで移動していくんですね! うーん楽しみ!」
「もう一度ゆうけんね! チャルチウィトリクエは全軍を持って政府軍中枢を討つ!」
「「「「「「「「了解!!」」」」」」」」
攻撃方針が決まった彼女達の行動は迅速であった。
全員が司令部のある省庁に向けて進撃を開始した!
「そう来るだろうな」
新鋭指揮官はこれに対して、量産型ニケの大部隊を各所に分散して配置し遅延行動を開始した。無論、チャルチウィトリクエ側の方が強いので互角の戦いを求めてはいけない。
むしろこちら側も相手の重心であるティアマトをどうにかするべきなのだ。しかし、この場合ティアマト本人よりも側近の副官を狙う。彼女は暴龍の信頼篤く失うには惜しいと思わせられると同時に、彼女自身も慎重派なのである。彼女に過大な負担をかけて自軍の不利を悟らせられれば無駄な戦闘をせずに済むはずだ。
指揮官の予測通り、ティアマト達は精鋭部隊を率いて突出してきた。八大龍王持ちという最精鋭とその部隊員が中核である。この中のひとりに攻撃を集中させる!
「エンカウンター! 無理はするなよ」
最精鋭のニケ五名が突入してくる!
「なにっ!?」
「アネキはお先にどうぞ!」
指揮官もオペレーションデバイスを駆使して第二部隊を投入する。第一部隊は大破しつつも犠牲なし!
「敵も強いよ! 二人とも気を引き締めてね?」
「がってんだ姉ちゃん!」
「おねーちゃん達も息を合わせていっくよ〜!」
第三部隊投入。属性を揃えたスナイパー部隊なので消耗はないだろう。
「うあーめんどくせぇ!ぶっ殺してこようかしら?」
「近づく前に削り切られるだけだろ。大将に当たらないよう迎撃に徹するしかねぇな」
第四・第五部隊をトドメに投入する。ここまでで敵部隊のほとんどを攻撃し終えた。ほんの一部は殺害に成功したがここで本命相手にどこまでやれるのか?
「のう、今までの攻撃になんの意図を持つ思うんね?」
「そうですね、セオリー通り私達の数を減らして、あとは待機させた量産型ニケ達の集中砲火戦術だと思われますが」
八大龍王持ちの六人はこの襲撃でいくらかダメージを負ったか足止めされている。
副官は思案の末に攻撃続行を進言しようとしたまさにその時、スカーの姿を認めたのである。
(何故この場にあの方が? 不味い!!)
戦上手のニケはいるだけで脅威になる。相手に全くその気がないとしてもだ。
「これは相手の罠です! 一時地上行きエレベーター方面まで退きましょう」
「はぁ!? 何を寝惚けたこと言いよるんね?」
「先ほどスカーの姿を見ました。政府軍に雇われていた場合何をしでかすか分かりません。現状の混乱も既に暗躍した結果なのかも……」
「過大評価しすぎじゃ! アイツは軍歴だけのうらなりでケイトほど強い訳じゃないぞ」
ティアマトと副官は完全に指揮官の陥穽にハマった。スカーの評価に関しては両者とも的を得ているため、互いに考えがすれ違うようになったのである。
「よし、敵の足が止まった。ダメ押しといこう」
指揮官の命により量産型ニケの大部隊がスカーの背後から投入され、彼女を隠すように陣形が組まれる。直後に鉄風雷火のごとき集中砲火が襲いかかる。
「いかん! お前達はティアマト様をお逃ししろ! 我が部隊は殿軍だ、守り参らせよ!」
「待て! これは擬態で構わず前進すべきなんじゃ放しんさいや!!」
指揮系統が分断され勝手に混乱をきたしたチャルチウィトリクエは敗走を始めた。
「上手くいった。真面目に戦っていたならばアークは奴の手に渡っていただろう」
新装備や味方の協力、敵のポカもあり指揮官は勝利を手にした。とはいえ、彼自身も相当動き回って直接指揮を行ったり、配下にも犠牲が出るなど損害も軽いものではなかった。
「これが第二次地上奪還戦再開までに取り戻せればいいな」
銀髪を掻き上げ、額の汗を拭う指揮官には一抹の不安が残っていた。
地上エレベーター前には、続々とチャルチウィトリクエの兵が集結する。イラつくティアマトも、彼女の代わりに殿を受け持った副官もなんとか地上に上がることが出来た。
「ふざけおってからに……」
「申し訳ございません。差し出がましいことを致しました……」
重傷を負った副官は絶対安静であるが、まともな医療など受けられないため自己治癒を待つより他はない。
「これで全員か!?」
「途中で辞める旨の申告を行った者を除けば恐らく……」
チャルチウィトリクエは一部離脱者を除く兵力三千ほどが地上に追放された。以後彼女達は蝗のように物資や拠点を求めながら大地を彷徨うことになる。
その彼女達の前に、ひとりのニケが姿を現した。蒼いワンレングスの髪のニケが幽霊のように立っている。
「お前はネイト! よくも!!」
怒り狂った多くの部隊員は銃を構えるが、ティアマトは腕組みしたまま彼女に問うた。
「あんた、いつから地上におるんね?」
「財団を抜けてから今までずっと……」
「あんたを狩れるヤツはおらんかったんじゃのぅ」
「ティアマト……あんたはなんで生きようと思った?」
「はぁ!?」
「あんたは昔の、アークが出来る前からの軍人らしいじゃないか。それがアークの政府軍を辞めてなんで生きてるんだ?」
「そんなこと決まっちょるじゃろう。うちが心底憎んどるんはアークでも仕えた帝でものうて、こういう目にあわせてくれたラプチャーじゃ。あいつらが居らんかったらみんな死なずにすんだし故郷を捨てんでもよかったんじゃけぇの。あいつらを皆殺しにするまでは死んでも死にきれんわ」
「あたしはもう分からないんだ。全て見失ってしまった」
「なるほどのう。で、引導を渡してほしいっちゅうんか」
武器を担いだまま現れた幽鬼のようなネイトはもはや脅威でもなんでもない。
「死ぬのなんざこの先いくらでも出来るじゃろ。分からんのんなら教えちゃるけぇついてきんさいや!」
ネイトは無言で頷く。
「ええっ!?」
部隊員のいくらかはネイトに同輩を殺されているため恨みに思っているものの多いのにこの発言である。逆に、驚異的な特異能力を持つ彼女は戦力としては紛れもなく有り難い存在だ。
ティアマトの客分として隣に図々しくも連れ立って歩くネイトの蒙が啓かれるのは、この後三十年のとある出来事になる。
スタルカー一味は、燃えるマーガレット邸を見ていた。
「……お前達はここで待ってろ」
スタルカーは屋敷に突入する。
「ねこです」
シュレディンガーも護衛だと言わんばかりに後に続く。
「おはなー!! もえちゃうよー!!」
「痛っ、もうダメだ諦めなさい」
「こんなのってないな……」
救出されたサンティグが、飛び火して燃え始めた生垣や花壇の草花の火を消そうとするのをラドローナとコミンは必死で抑えた。
邸内には火事場泥棒を働く者達で溢れていた。何人かは火事の煙を吸いすぎて既に倒れている。
馬鹿な奴らだと道化師は吐き捨てる。この屋敷に価値のあるものはほぼない。貴金属類は基本的にアークに寄付した一族だ。多くはアークで人間やニケの職人により作られたものなのだ。
スタルカーは構わず踏み殺しながら、ある一室を目指していた。
「退け退け!」
飛び込んできた男にスタルカーは発砲した。断末魔の叫びをあげる間もなくミンチになる死体を道化師は見た。なんの感慨も浮かばない。
「なるほど、私は本格的に壊れてしまったのか」
衣装室に辿り着く。部屋は奥まったところにありまだ略奪にあっておらず、ベルタンが丹精込めて作った衣類が並んでいた。
スタルカーは血まみれになったバトルスールを脱ぎ、いつかベルタンが作ってくれた道化師の衣装に着替える。ライムライトの縮毛のウィッグも身につければ文字通りの道化師だ。
「ねこです」
「シュレディンガー、片腕でかつげる程度でいい。出来る限り持ち出せ」
衣装自体に歴史的価値は皆無、ただベルタンの努力を他人に貪らせたくなかった。道化師は奥に飾られた軍旗を持ち上げた。
「星々の海……そうだ、私達は太陽の如く輝くべきだ」
落城する屋敷を後にした道化師の一味は、アークの闇に消えた。
アークにおいて、イレギュラーのニケ二体に対し投入された量産型ニケは五百を超えていたが、この全てが無惨に打ち捨てられていた。
残された薬莢の旋条痕を調べるも、サッパリわからない。ENIKKによる検索を持ってしても、一人のニケの素性を明らかにするのみであった。
「ショットガンの薬莢について、今まで製造されたニケを全て検索したところ一件だけ該当しました」
「一体誰なんだ!?」
ENIKKは無感情に答える。
「フェアリーテールモデル:ルサルカ……死体から摘出した脳の再利用を目的に研究開発された個体の数少ない成功例です。被験者は第一次ラプチャー侵攻からの避難途中、橋の崩落によって溺死した当時十五歳の……」
死者のリサイクルは、人類が不老不死にも近付き得る一大プロジェクトであった。倫理的な面とそもそも生きたニケ化志願者が圧倒的に多かったため打ち捨てられた禁忌の手段は、のちのちのニケの扱いの悪化によって再び脚光を浴びることになる。
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