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勝利の女神:NIKKE 稗史:果てなき旅路 外伝 Love negotiator(1)

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
懈怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる

中原中也『汚れつちまつた悲しみに』

 侵食反応……それはニケの脳内にあるNIMPHに作用する麻痺毒のようなものに端を発する。当初は動けなくして余裕があれば拐ったりする程度の機能だったものが、ある頃からニケや人類そのものにも深刻な影響を及ぼす進化をし始めた。

「うーん……頭痛くなってきたから休憩!」
 冴えない顔だちの少女型ニケ・モモはデスクから離れて近くのソファに寝そべった。
 モモが現在取り組んでいるのは、侵食反応そのものへのアプローチだ。
「研究の調子はどうかの?」
 老獪なニケ・ニャンニャンが声をかける。
 彼女は頭部のないヘレティックボディに、頭部だけになった宿主を取ってつけて黄泉返ったという奇怪極まる遍歴がある。勿論、このふたつには全く関連性はなく、依代だった頭部の持ち主は既にこの場にはいない。
 現在はこのふたりに申し訳程度に雇い入れた人間の事務員の三名だけが健在である。手脚を捥がれた状態でベッドに括り付けられた大多数のニケは、真っ赤な瞳でラプチャークイーンを讃える声を発し続けている。
 ここはモモ・ハイテック社。人とニケとの調和を目指しながら遂に果たせなかったモモの相棒・エンデが彼女に遺した夢の残滓。今ではニケ進化の揺籃である。

 侵食個体は基本的に指揮官によって直接処分される。ただどんなことにも例外はつきもので、彼女たちは処分を免れたか殺したかで地上を彷徨っていたり、帰還後にアークで発症したりした者達だ。

「我々は今こそ知らねばならぬ。侵食とヘレティックとの因果関係についてな」
 第二次地上奪還戦時に彼はニャンニャンの元となるニケの頭部と、二体のヘレティックボディを入手した。ニケからニャンニャンの意識データを無理やり引き出すと、彼女はヘレティックボディへの移植を望み、見事に乗っ取りに成功してしまった!
 ニャンニャンの想像を絶する実力を垣間見たエンデは、地上で跳梁跋扈する紅い目の裏切り者達の確保を開始した。付き合わされるニャンニャンは特に文句も言わずにヘレティックまで到達した者を探し続けた。
「恩義もあるが、九割はわらわ自身の望みじゃ。わらわはの、永遠が欲しい。受肉したのはそのためじゃ」
「永遠とは大層なことじゃないか。死ぬのが惜しいのか?」
 エンデの質問を嗤いながら否定する。
「わらわは元から神仙じゃぞ?」
「どういうことだ?」
「陰陽とは全てに通じる。ゆえに死の概念なぞないのだ、わらわには」
 とんだ誇大妄想狂かとエンデは訝しむが、そう名乗るほどの実力が彼女にあるのもまた事実だ。
「神なる者であるだけではこの思想は潰える。陽たる神仙と陰なる人間、これを循環する理をわらわは求める」
「ふむ」
「ただ、快楽を得るための肉体はそうはいかぬ。脆く、すぐに衰える身体を折りを見て乗り継いでいくのは面倒でかなわぬ」
「仙人を名乗るにしては全く強欲ではないか」
「全員が隠者のように清貧だと思うたか?」
 ニャンニャンは続ける。
「ニケの身体、コレは中々良い。だがこれも無限の世を生きるにはなお足らぬ。即死の実時間が延びただけじゃ」
「で、より強いヘレティックのボディを望むのか。本当に不老不死になったら、飽きるのではないか?」
「おそらくの。だが、そうなったらまた違う器を求めるだけじゃ」
 エンデはズレた眼鏡を整えてこう言うのであった。
「ヘレティックはニケのカラダの進化したモノ……だがそれはラプチャーとの融合が必要とされている。侵食と融合は因果関係があるかないか、これを見定めねばならぬ」
「まぁ、隷属下にある状態の方が親和性があるのではないかの?」
 ……それから半世紀経つが、捗々しい成果があったとは言い難い。エンデも既に癌で亡くなった。
 彼の相方として長年尽くしていたモモは、ヘレティックにするよりも侵食を治す研究に軸足を移した。あまりに不憫な状態の同胞たちを救いたいと願ったのだ。
 彼女にはある力があった。
 お話をする事で、対話した相手の力を引き出す能力である。
 侵食のデータには、何者かが洗脳を促すよう語りかけると感染初期のニケが訴えたりしている。
「妾も背後で何か囁くのを聞いたぞ。まぁ乗っ取る先のヤツ共々焼き払ってやったがのぅ」
「師匠が言うなら確かかもしれないね」
 モモの考えはこうだ。
 もしデータ上に何者かがいるならば、それを説得する事で侵食自体を止めさせることが出来るのではないか?
 第二に、その何者かが語りかける罹患者のデータそのものにこちらからアプローチするのだ。彼女たちはいわば事故で閉じ込められた要救助者である。彼女たちを安心させることで結果的に人格改変を抑えようというアイデアである。
 これをワクチンデータ化出来れば万々歳なのだが、実際は困難を極めた。五年十年と続けてはいるが、開発は遅々として進まない。
「ごめんね、上手くお話しできなくて」
 そう言いながらモモは侵食個体の頭を撫でる。相手はモモを敵と認識して唾を吐きかけたり暴言を吐いたりするが、彼女は慈悲の心を失わずにずっと寄り添い続けた。
「ようやるわ」
 ニャンニャンは欠伸をしながらこれを眺めていたが、ふとあるニケと目が合った。
「お主、まだ自我が残っておるのではないか?」
 そのニケは何も答えなかった。だが、この気付きが研究を一気に加速させることになる。

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