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摂食障害 闘え!大学生編⑤

友人や先生に支えられながら、卒業までの時を過ごした。
周りは私がミイラ化していた時を知っているし、一番酷い時をやり過ごしたとはいえ、気分の浮き沈みが激しく、仲良くするのは大変だったに違いない。しかし、気の置けない友人だけとは食事できるまでに回復した。

自殺未遂を繰り返す私を先生は優しく話を聞いてくれた。
「君は早く結婚した方がいいね。企業に推薦してあげるから、頑張って2年は働きなさい。それで早く結婚しなさいよ!」
結婚は、そりゃしたかったが、相手がいない(-。-;
先生は結婚=幸せという価値観なのだろう。
私も当時はそうであった。
専業主婦になって楽になりたい。(酷い思い込みである)
私は先生の言う通りの企業に就職することになった。

卒業を控えた3か月前、再び父が脳梗塞で倒れてしまう。
1回目とは違い、ICUで意識がない状態だ。
母は統失の悪化により入院した。家にはまだ小学生を含む弟たち3人がいた。
父はいっとき持ち直したが、退院できないまま亡くなってしまった。
アルバイトで貯めたお金で、実家と寮を往復した。学割でも大変な出費だった。親戚のおじさんに借金した。
実家で家事やお通夜の準備など、喪主が入院中なので仕方がない。悲しむ暇がなかった。
小さな弟だけが可哀想だった。
兄弟は多い方だと思うが、やはり一番末っ子が、特別に可愛かった。
弟の「なんでもノート」(当時、デスノートが流行っており、なんでも願いが叶うやつ、と言う意味だと思われる)をこっそり見ると、『A(私のこと)、早く帰ってきて欲しい』と書いてあった。
父と母、両方が病気になって、寂しかったのだと思う。
しかし、お通夜を済ますと、私はすぐに寮に帰ってしまった。もうすぐ父が焼かれてしまうからだ。私は父が骨になるのをどうしても見たくなかった。耐えられそうになかった。
最後の最後まで親不孝をしてしまった。

アニマル浜口のような父だった。私と違い、大男で185センチ、120キロあった人だ。声も大きく、何よりスポーツする私を喜んだ。
県内どこへでも張り切ってバスを運転して試合に連れて行ってくれた。
高校ではPTA会長をし、塾の送り迎えをしてくれた。卒業式では、来賓席で一人でワンワン大泣きをし、クラス中の女子をドン引きさせた。
私は知らなかったが、大学に入ると、周りに自慢しまくっていた。

だから、お葬式には出られなかった。

拒食がまたひどく再発し、卒業式では周りの女の子が可愛い袴姿で出席している中、私だけスーツで出た。実家との往復で、お金が無かったのだ。
お父さんが亡くなって、喪に服してるの。そう言って誤魔化した。

ひどく痩せたまま、卒業した。
この大学を卒業後、5年間は単位を落とす悪夢を時々見た。それくらいキツい修行期間だった。

友達のお母さんが、今まで娘と仲良くしてくれてありがとう。と一輪の素敵なお花をくれた。
私の父母が不在で、スーツを着て一人でぼっちでいたのを不憫に思ったのだろうか?
それでも嬉しかった。

苦しい4年間がやっと終わったんだ。

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