今週の妖怪27
今週も妖怪達を紹介していく
死人憑き(しびとつき)
昔、因幡(鳥取県)岩美郡のある農民が、長く患って死んだ
僧がくるのを待っていると、この死人が突然に立ち上がり、座敷に躍り出た
取り押さえようにも、その力の強いこと、大の男を引きまわすほどである
飲んだり食ったりして一睡もせず、二、三日過ぎると、夏のことで目や口からは汁が流れ出す始末
妻子は死者に何者かが憑いた死人憑きだろうと、山伏などをよんで祈祷してもらったが、依然として乱暴はおさまらない
お手上げの家族は、外に移り住んだ
時々様子を見に来ると、くだんの死人はまだ暴れている
けれども戸は厳しく閉じてあるから外に出ることができない
次の日、また節穴から覗いて見ると、死人は倒れて動かない
どこで人々が集まって慌てて葬ってしまったという
邪魅(じゃみ)
鳥山石燕の百鬼夜行に記されている邪魅の説明で見ると、邪魅は魑魅の類で、妖邪の悪鬼とあるが、これは曖昧な言い方である
その姿を見ても、一応、獣の形をしているものの、胴体はほとんど消え入り、全体がどんな風になっているのかということはよく分からない
邪という文字は「よこしま」とか「有害」とかいう意味であり、魅という文字も「化け物」とか「惑わす」とかいう意味がある
つまり、邪魅とは悪霊のような、邪鬼のような、人間にとってあまりよろしくない憑き物のようなものをいうのだろう
行き当たりばったりに憑かれるというのとは違い、どちらかといえば怨念が化かした憑き物の犬神に近いものかもしれない
要するに正体不明の不可思議みたいなものを、昔の人は邪魅といったのだろうが、邪魅の場合、多少動物のニオイがする
すなわち猫又とか鼬みたいなものの仕業と思われるようなものも邪魅といったのだろう
三味長老(しゃみちょうろう)
三味長老は、三味線の付喪神であるらしい
楽器の琴には琴古主があるが、これと同じものだろう
つまり、ただ単に年をえた楽器なのではなく、人の念のようなものが籠って妖怪化したようなのだ
昔の諺に「沙弥から長老になれぬ」というものがある
沙弥とは出家して正式な僧になっていない少年や男子をいう
つまり「沙弥から長老になれぬ」とは、沙弥喝食(食堂で僧たちの食事の世話をする童子)が、いきなり国師長老(奈良時代の僧官つまりトップの僧)にはなれないということで、物事には順序があるという意味がある
この諺の通り、三味長老は、その道に堪能な者に長年使われた三味線なのだ
これを僧にたとえるならば、国師長老の位にある
そのような三味線が捨てられると、かっての持ち主の念のようなものと、元々の楽器の精みたいなものが影響し合って、妖怪化するのだろう
何しろ三味(沙弥)が長老になるほど年をえた三味線なのだから
じゃんじゃん火
奈良県でいう怪火で、出るところは各所にあったという
飛ぶときにジャンジャンと音をさせることから、この名前が付いたらしい
二つの火がいっぺんに飛び回るのだが、これが出たときは頭を上げて見てはならないという
また奈良県大和郡山市付近の佐保川にかけられた打合橋では、かつて六月七日の夜にじゃんじゃん火という踊りがあったという
各村から選ばれた二十人ずつの若い男女が、橋の中ほどに設けられた音頭櫓のまわりを踊るというものだ
昔、若い男女がここで死んだので、毎年六月七日の夜には二つの大きな人魂が飛んできて、この橋でもつれ合いながら、ジャンジャンと音を立てて舞ったという伝説がある
村人がここで踊るのは、この二つの若い男女の人魂を慰めるためだという
今回はここまで
また次回で