【作曲家K15】喜劇、ドリフターズ、志村けん、最近感じたこと
去年、志村けんさんが亡くなりました。すごく残念に思っています。それは、最後の喜劇人だったように思うからです。喜劇人と言う言葉は最近使わなくなったように思います。どちらかと言うとお笑い芸人とかいますよね。私その言葉が大嫌いで、まだ芸人と言う方が職人的な二アンスがあって好きです。
喜劇って
落語、漫才、喜劇が主にテレビですが、子供の頃からよく聞いたり見たりしていました。昭和30年代以降ですが、いろいろ、ユニークで個性の豊かなタレントさんがよくテレビに登場していました。一番印象に残っているのは、年末に「雲の上団五郎一座」と言う舞台中継があって、その頃活躍していた喜劇人が総出演でした。主に、歌舞伎などのパロディーを中心とした喜劇でした。その中の出し物で歌舞伎の「玄冶店」を本にものがありました。そこに出てきたコメディアンの人たちは、本当に職人芸で面白く、当時小学生の私が笑い転げる位のものでした。その職人芸的な喜劇人たち、なんなのでしょうか、個性的で体の動きが柔軟で無理なく真剣に笑いをとっていました。ほとんど下ネタ無しにね。多分、台本作家も優れた方がおられたし、制作者などスタッフがそろっていたのだと思います。舞台、番組、今みたいに安易に作られていないよう思います。私がテレビを見始めたのは、昭和34年頃です。テレビは新しいメディアで勢いがあり、人材も集まったのでしょうね。昭和の喜劇人のついては、小林信彦さんの「日本の喜劇人」に詳しく書かれています。それは多分、喜劇の評論の初めての著作ではないかと思います。(間違っていたらごめんなさい。)小林さんはその他、いろいろな人の評伝を書かれていて、渥美清さんの本はとても優れていると思います。
ドリフターズ
「日本の喜劇人」はクレージーキャッツ時代位で終わっています。ドリフターズまで書いていません。書かれた時代はまだドリフターズがかけだしの頃でしたし、人気、評価とも定まっていませんでした。それ以降、私が知らないだけでしょうし、全著作を読んでいませんから断定できませんが、ドリフターズについては余り述べていないのではないかと思います。それは別として、ドリフターズはまだ、コミックハンドとしてテレビに出ていた頃から見ていました。内容は朧気ですが、とても面白かったのだけは覚えています。どんどん、出演頻度が多くなり、クレージーキャッツの後続として番組を持つようになったと思います。(同じプロダクション系です)その内、あの有名な土曜日の番組を持つようになりました。初めて公開録画は千葉の船橋ヘルスセンターであったようです。(youtubeで流れていました)
志村けんさん
ドリフターズに関して、いろいろありますが、リーダーの故いかりや長介さんの著作に詳しくありますし、個々で書いていたらとても長くなりますから省きます。そこで、志村さんです。最初の頃、無理しているなあとか、緊張しているなあとか素人目で見ても分かるほどでした。でも、資質のある方ですから、時間とともに飛び抜けた面白さが出てくるようになったと思います。いかりさんの本で、「我々は素人の集団」と述べているのですが、加藤さんと志村さんは違います。いつからか、その個性、動き、台詞の言い方、子どもの私が頃見ていた喜劇人そのものだと思いました。志村さん、その後亡くなるまでコントにこだわって制作しておられましたね。喜劇人やお笑いの方がことごとく、円熟して(?)コントを辞めて行く中、絶対にぶれませんでしたね。ありがたいことに、youtubeで初期の頃から亡くなるまで、長い間の志村さんのコントが見られます。それを見ていると、コントにこだわっていた志村さんの姿が見えて来ます。そういう方は今いなくなりました。喜劇人の最後の方なのかもしれません。いろいろな条件があり、時代、予算、人材不足などコントを作って行くことは難しいのかも知れません。安価で、軽い笑いが充満している中、テレビではプロの喜劇が見れなくなりました。
余談ですが
志村さん、多分、毎年、舞台でコントと喜劇をやっておられと思います。日本中と言わないまでも、各地を回っていました。それって凄いことであらゆる条件がそろって無いと出来ない。それだけそろえられる方だったのですね。その舞台で、前半はコント、後半は藤山寛美さんの寄席喜劇をやっていたのです。それは人情喜劇で笑いを取る劇で無いのです。観た時、最初戸惑いまたが、気がついたのです。志村さんの背負っているものこだわっているもの。そして、この方、私と同じように子どもの頃からテレビで漫才、落語、喜劇、コント、面白いことは何でも見てきて育って来たのだと。
ついでに、随分前のコントです。渡辺徹さんとの場面です。医者の志村さん、腰の痛い患者の渡辺さん 医者「お名前は?」 患者「渡辺です」 医者「♪渡辺のジュースの元ですもう一杯」 患者「・・・・」 医者「止めんかい」
「渡辺のジュース・・・」ですが、昭和30年頃売られていた粉末オレンジジュースのテレビコマーシャルの歌です。多分、往年のエノケンさんが歌っていたと思います。(誰も知ら無いでしょうね)聞いて、びっくり、懐かしかったですね。そして、面白かった。(アドリブでしょう)
以上の中で、いろいろ記憶違いあると思います。資料を片手に書いているのでは無いので、間違いがあったら申し訳ありません。また、特定の個人や団体を非難、中傷する意図はありません。内容は私の私見です。
川手誠(作曲家)
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