【作曲家K14】音楽を知りたくて
高3のときの自分
高校を卒業する寸前の9月に芸大の先生、松本民之助先生に習うことになりました。後で分かったのですが厳しいので有名な方でした。本当に何もできないその当時の私をよくとってくれたと思います。中学校で音楽に夢中になって、一応作曲の先生に習ったのですが、あまり熱心に勉強したわけではありませんでした。それはどういうことを学べば良いかと言うことをわからなかったこともあったのですが、音楽を甘く考えてたのだとおもいます。当時の段階でピアノもまともに弾けないし、作曲の方なんて全く出来ませんでした。松本先生に習いに行って、自分がいかに甘く考えていたことを目の当たりにしました。
レッスン生たち
一緒に習っている生徒のレッスンを見る事ができました。(後になった考えてみるとそれが本当に幸せなことでした)小学校低学年から高校生、浪人生まで人数は忘れましたが、結構多くの生徒がいました。ほとんどの生徒が幼い時から楽器や作曲を学んでいて、かなりの実力を持っていました。私みたいに、途中から音楽が好きになって、専門家になろうなんて言う生徒はほとんどいなかったのです。音楽とかスポーツとか個人の能力、資質に依存するものは、小さい時から英才教育を受けないとなかなか大成しないようです。それは、言うに言われないハンデになって残りました。能力的なことより精神的な方ですが。
作曲を学ぶこと
レッスンを受けた初日から、目の前が真っ暗になりました。自分に音楽の力が全くついていなかったのです。少なくとも力がついているようには思えなかった。何年も最初のところで勉強してきた生徒たちですから、私との力量のレベルの差はとても大きかったのです。今までの自分の甘さを思い知りました。そして、全くピュアになってレッスンを受けさせられましたし、自分の気持ちもペアになって勉強を始めることになりました。基本的には和声(コードの進行原理)と対位法です。その内容は複雑なので詳しくは書きませんが非常に難しいものです。理論だけじゃなく、音楽として身に付いてなければならないことが何よりも大変なことでした。とにかく、音楽を学ぶ事をしなくてはならないと思った。まずはとにかく音楽を聴くこと、そして楽譜を見ること。レッスンを受けてますから私と自由になるお金、小遣いはほとんどもらえませんでした。交通費だけはもらえたので、それをためて、思いついたらとにかく楽譜を買いました。そしてそれを弾くこと。どんなに難しくてもとにかく楽譜を見ていくこと。それを夢中になってやりました。でも、なかなか思うよう音楽の力が伸びていきませんでした。
芸大受験
松本先生の教室は、作曲の基礎を学ぶところで、和声、対位法はもちろんですが、音楽のフレーズのあり方の基本から大きな曲の出来方まで勉強させられました。分析、実作それの繰り返しです。そして、その教室の最終目的は音楽大学受験です。
川手誠(作曲家)