子どもを「かわいそう」とは思わない
娘が小さい頃は、
保育園なんてかわいそう?
あの先生厳しすぎじゃない?
あ、あの子ちょっと…!
などと時々思っていた。
娘は喘息もあったので、
保育園・幼稚園も休みが多く、
年中の運動会を休んでしまった時も、
「かわいそうに」と胸を痛めた。
でも、待てよ? と思った。
そんなにかわいそうか?
喘息はあるけど元気じゃん
運動会休んだって来年あるじゃん
それに「休んだ子の気持ち」が
わかるようになるじゃん
娘が5歳になるそのあたりで、
色々考えて……
「いちいちかわいそうって思う必要ないな」
と目が覚めた。
嫌な出来事、嫌な人たち、苦労、悩み、
そういう経験がわたしを育てたーー
そういう側面だってあるじゃん。
生まれてから死ぬまで
嫌なことに遭わないわけないじゃん。
だったら親がすべきことは
嫌なことから守ることじゃない。
どんな嫌なことがあるかを知って、
どう嫌なことを乗り切るか、
そういうことじゃないのか。
思えばわたしが母からもらったのは、
そういうマインドだった。
部活の試合前に大けが(全治1年)をした時も、
「悲劇のヒロインにならない。治るんだから」と言い、
パワハラ部長の愚痴を言っていた時も、
「嫌な人に教わることも多いのよ」と言い、
わたしに同情しなかった。
同情されたらもっと弱くなったと思うし、
「かわいそうな自分」と「間違った社会」という、
厄介な他責思考に近づいたと思う。
40歳で難病を患った母自身についても、
「でも歩ける。あるものを数えるのよ」と言い、
パチンコばかりの父に対しても、
「その人の人生はその人のものだから」と言い、
貧乏だった我が家についても、
「なんとかなったしねぇ」と言ってそれだけ。
いい面もあれば悪い面もあるけど、
人生をサバイブする精神が、
培われてきたんじゃなかろうか。
娘と息子に関してわたしが願うのは、
「自分で考えられる人になってほしい」
そうなのだ。
それならばなおのこと、
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」なんだ。
6歳、4歳の子どもたち。
これから嫌なこと困ること、
たくさんあるだろう。
いい先生や友人に恵まれることもあれば、
そうでない時もあるだろう。
母として胸は痛むけれど、
「かわいそう」とは思わない。
ピンチだったら助けるけど、
かすり傷ぐらいで同情しない。
お互い人生、がんばろう。