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スペイン北部徒歩横断900km 「巡礼中~生涯の友との出会い~」Camino巡礼blog②

 昨年の9月~10月にフランス南部~スペイン最西端を歩いていた際の出来事を綴るCaminoブログの第2弾を書いていこうと思います。

 Caminoとはスペインの北西部ガリシア州にあるキリスト教の聖地「Santiago de Compostela」(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)へと続く道のことを言います。
ここでは前回書いた巡礼前の記録のブログに続き、巡礼中の出来事を綴っていこうと思います。
巡礼中の35日間(2023年9月~10月)は自分の人生で最も濃い期間だったと言っても過言ではないかと思っています(笑)
それでは、ブログ書いていこうと思います!よろしければお付き合いください。

「900kmの道」 歩き始めはフランスから~~


長い長い900kmの道のり、歩き始めはフランスから、日本を出国してからはポーランド経由でフランスのパリに入り、パリの街をぐるぐると2日間ほど観光してCamino巡礼スタートの地「St.Jean Pied de Port」(サン・ジャンピエド・ポー)を目指します。
パリの主要駅「モンパルナス駅」から高速鉄道のTGVに乗り込み、南西部の街「バイヨンヌ」を経由し。「サン・ジャンピエド・ポー」へと向かった。
「バイヨンヌ」からの乗り換えの列車は明らかに「Caminoを歩きます。」というようなバックパッカーたちで溢れ、列車のなかは英語・フランス語など多様な言語で溢れており早くも旅情を身体全身で浴び、ワクワクが止まらない状態に浸っていた。
旅のスタート地点「サン・ジャンピエド・ポー」はピレネー山脈の麓の街で赤煉瓦の住宅や巡礼者の来訪で賑わう飲食店や土産物屋で賑わう街。
世界中から人々が訪れている中いきなりの賑わいに少し驚いている自分がいたとともに、完全に独り身で来ていた自分からすると意外だったのは「結構グループで来てる人多いな、、」という印象。
旅のスタート地点の街には巡礼者事務所があり、巡礼中の各街で宿泊をする「アルベルゲ」に泊まる際に必要な「クレデンシャル(巡礼証明書)」を発行。これから巡礼を開始する人たちで長蛇の列が出来ていました。初日は街中に宿を取っていたので翌日からの巡礼開始に備え、早めの晩御飯を取り、宿でも早速各国からの巡礼者仲間と出会い、旅の出会いを初日から楽しみつつ、スタートの興奮を胸に就寝。

St. Jean Pied de Portの街並み
巡礼のスタート地点のサイン


初日でピレネー山脈を越える


大学生の頃から夢に見たCaminoを歩き始めた私は日本でも定期的に登山をしていたこともあり、軽快に歩みを進め始めた。渡航前から巡礼者ブログやPodcastで「初日のピレネー越えが一番しんどい。」という情報も把握はしていたが、実際に歩き始めるまでは「ピレネー山脈を越える」「歩いてフランス・スペインの国境を超える」なんてことは想像もできなかった。初日の歩行距離は26kmほど。日本でも1日20km以上歩くような生活はしたことが無かったので、ほんとに歩き始めるまでどんな日々が進んでいくのかが想像できなかったが、歩いている時の他の巡礼者との出会い、突発的な会話の始まりに初日から終始ワクワクしており、先の不安もほとんど感じることなく、途中の出会い、会話を楽しみながらあっという間にピレネーを超え、スペインの国境も超え、初日の25kmを完歩していた。
他の巡礼者たちとの会話はもちろん英語ですが、早速初日から「英語を好きで勉強していてよかったぁ!」と実感する瞬間が続きました。周りに日本人はもちろん全然いません。(日本人もそれなりにいるのかな?と思っていましたが初日であった日本の方は50代の男性ひとり)ただ、歩き始めるとひとりで歩いている巡礼者も多く、日本人も珍しいようで話しかけられることも多々ありその度に英語で会話が出来ることが嬉しくてたまりませんでした。私からしても「この道を歩ている人は全員同志だ。」と思っていたので、この地で会話を出来ていることの喜びを噛みしめながらピレネー山脈の壮大な景色と共に歩いていました。

初日に辿り着いた街はRoncesvalles(ロンセスバージェス)スタート地点から25kmほどの街、ピレネーの山・森林を抜けた先にさらっと現れた。巡礼中に泊まる宿は巡礼者専用の「Albergue(アルベルゲ)」という宿。先述したクレデンシャルを持っていないと泊まることは出来ない。基本予約なしで泊まれるのだが、私も歩き始めて知った事実で最近は巡礼者の数も増えてきており結構予約している人が増加傾向の模様。私も初日で一緒に歩いた人のほとんどが宿を予約しており、「意外と予約してんのか。」と思ったが予約が安心感よりも、その時の状況を楽しみたいことと「一つ空いてなくても何とかなるやろ」・「空いてなかったらそれはそれでしょうがないし、その時の状況を楽しもう」という考えからAlbergueは基本予約しないポリシーで行くことに決めました。
到着した宿はお城のような建物で(というか本物のお城)城の中の教会を巡礼者専用宿に作り替えた施設で数百人規模で毎日巡礼者が宿泊しているようでした。私が付いた時にはほぼベッドが埋まっていたようで、あと30分ほど到着が遅かったらその宿には泊まれなかったようでした、、💦
チェックイン・シャワー・選択・夕ご飯を済ませるともう巡礼者は10時前には就寝。
朝5時に起きても7時間の睡眠がとれるという何とも健康的な生活!日本語を使わない生活を楽しみながら健康的な生活リズム毎日ひたすらスペインの西に向かって歩き続ける生活が始まりました。

ピレネー山脈の道中にて
Roncesvalles のAlbergue(旧お城)


初日のドミトリー(元は医療室・手前右手のバックパックが私の)


仲間たちとの出会い


初日のRoncesvalles までの26Km歩行を皮切りに意気揚々とCamino巡礼をスタートした私はその後も1日20〜25Kmほどの歩行を続け、闘牛で有名でありこの巡礼で一つ目の大都市かつ要塞都市Pamplona を抜け、巡礼4日目にこの旅を語る上で最も重要な人物達と出会う。彼らの出会った街の名前は「Puente la Reina」(英訳:Bridge of the Queen 「女神の橋」)
この街でCamino 巡礼を共にしていく仲間たちと出会うことになる。彼らと出会ったのはこの街のアルベルゲ。この日は雨が降っており、宿に着いた時私は1人で歩いていた、いつものようにシャワーや洗濯などの身支度を整え、雨の上がったアルベルゲの中庭で本を読み、日記を書き夕方の散歩を気ままにするというチルアウトな時間を過ごしていた。
夕食の時間には共同キッチンで作られていたイスラエルの郷土料理をシェアしてもらい、道中で出会った仲間たちとの会話を楽しんでいた。
食事を終え、洗濯物を取り込もうと中庭に出ると、中庭では陽気に音楽を歌うイタリア人グループが目に入った、「楽しそうだなぁ」と1人で眺めているとそのうちの女性1人が「お前もパスタ食べるか?」と粋な計らいで声をかけてくれた、「え、いいの?」という感じでテーブルに入ると、そこからはCamino恒例の自己紹介タイム。日本人であること24歳であること、仕事を辞めて来たことなどを話すとみんな興味津々に聞いてくれ、「お前もワイン飲め」だの「日本語でなんか歌ってくれ」だの会話が弾み私は「夢を叶えてドラえもん」を歌った。
歌い終えた時にはみんな拍手で歓迎してくれて、
そのうちの1人が「お前も明日から俺らと一緒に歩くか?」と声をかけてくれ、次の日から同世代のイタリアの愉快な仲間たちと歩くことになった。

左から、Federica,自分,Allesio,Anna,Elia,Charles


JustWalk, Talk, Eat, Sleep


Puente la Reinaでイタリア人の仲間たちと出逢ってからは、毎日彼らと生活を共にすることになった。初めましての日本人とイタリア人が自然な流れで意気投合し、「毎日ただひたすら歩く」という活動を始めるから不思議な感覚だ。でも一緒に過ごして違和感は全くない。むしろ終始リラックスしていて、とても自然体で入れて心地が良い。
僕はたまたま旅の前半で巡礼の大半の期間を共にする仲間を手に入れたが、巡礼の期間はもちろんひとりで歩いている時間帯もあるし、一緒になっては一時離れて、また次の街や数日後に再開するなんてことが良くある。仲良くなりすぎて終始活動を共にしていた日も私の場合は多かったが、それでも意識的にひとりで歩くような日も作っていた。
Cafeでの休憩中にばったり合流・Albergueでばったり、Whatsappで連絡を取り合って合流することもあるが、この旅では予定していなくても同じ道の上で再開することが良くある。皆1本の同じ道の上を一つの場所を目指して歩いているのだから。
Puente la Reinaで個人的には運命的と感じている出会いをしたイタリアの仲間たち(+翌日に道中で同じ宿に泊まっていたフランス人のCharlesも仲間に加わる)は皆、イタリアから一緒に来ていた訳ではなく、このCaminoの巡礼を通じてそれぞれ出会った関係性だった。それぞれ違う街に住み、仕事もしていたり、今はしてなかったり、もちろん出身学校も違う。共通点は年齢が25~30歳で歳が近かったこと、Camino巡礼をするということ。
そんなそれぞれ違う場所・背景から来た仲間たちと一緒に1日中一緒に「歩き・喋って・歌って・食べて・飲んで・寝る」、心が解放され自分も自然体で入れた。
自分自身もともと「歩く」という行為が好きなのだが、日本から14,000km離れた異国の地で英語で会話をしながら、様々なバックグラウンドの同志たちと同じ場所に向かって日々歩き続けるという生活が自身のありのままの本質を引き出してくれていたような感覚がある。この時は学校にも会社にも属さないただの「日本から来た24歳独身男性」として歩いていたのもあったのかもしれない。今までの人生どの期間を切り取っても幼稚園・学校・大学・会社・部活など何かしらの組織に所属した身としての自分でいたので、物心ついてからは初めての「どこにも属さない自分」でいた。「どこにも何にも属さない状態」でCaminoを歩きたかったという想いは巡礼前から抱いていたことだが、その状況がいろいろな物をそぎ落とした状態で日々過ごし、刺激的な出会いを得られた一つの要因であったのかもしれないとも思う。

道の途中のぶどう畑にて🍇


愉快な仲間たちやCamino道中での出会いで感じたこと


Caminoを歩くということを日本で話していた時には、「変わってるね。」とか「すごいね。」と言われるけど、Camino巡礼中に出会う人は皆Caminoを歩いていてそれぞれの道を歩んでいる。自分自身も不思議なことにCaminoを歩いていた時はスペイン最西端を目指して900km歩いていることに何ら特別感も違和感も抱くことはなかった。なぜなら毎日が冒険と発見の連続で必死だから。感じたことは「人は自分知らないことをしてたり、知らない世界を生きている人をすごいと思う。」自分がすごいと思っていても、その人にとっては当たり前の感覚だったり、すごいと感じていなかったりする。
だからこそ、自分の意識をどこに置き、何を目指しどこで何をするかは実現したいことを目指すうえでとても大事だということを感じた。
あと、イタリア人の見返りを求めないGiveの精神と喜び・幸せをシェアする精神がすごい。毎日歌って、誰かの成功をみんなで一緒に喜ぶ。毎日毎日気ままに歩き、気持ちと会話に余裕がある。心の豊かさを感じた。


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