日本書紀 1 (岩波文庫 黄 4-1) 文庫 – 1994/9/16坂本 太郎 (著), 井上 光貞 (著), 家永 三郎 (著), 大野 晋 (著) Amazonレビュー
日本の古代史の通説を再検討するために購入しました。大変、参考になります。
2023年3月21日に日本でレビュー済み
日本の古代史の通説を再検討するために購入しました。大変、参考になります。
通説では、日本の歴史、特に、大和朝廷は、奈良盆地から始まったことになっています。
しかし、奈良盆地は湿地帯であり、少なくとも飛鳥時代くらいまでは、中央部に巨大な湖が存在したことが分かっています。また、奈良盆地で発見された唯一の古代遺跡である唐古遺跡では、度重なる水害によって、人々が撤収した跡が残っています。
纒向遺跡でも、人々が暮らした跡が見つかっていません。
加えて、奈良盆地では、大陸との交流を証拠付ける遺物がほとんど見つかっていません。
奈良盆地に、普通に人々が住むようになったのは、江戸時代に大規模な灌漑工事が行なわれてからです。にもかかわらず、現在、法隆寺をはじめとする古い寺や神社が多く存在するのは、江戸時代初期に 別の場所にあったものを、移築して整備した結果です。これは、礎石の調査から分かっています。
同様のことは、京都盆地についても言えます。
では、大和朝廷の発祥の地、大和国は どこにあったのか?
『日本書紀』を深く読み込むと、まず、気づくことは、頻繁に現れる、「海」が 実際には 当時 橋を掛けられず、渡し船を必要とするような川であるということです。同時に、「島」は 川の中州であるということです。
例えば、因幡の白兎が渡ったのは、川の中州です。ワニとは、スッポンのことだと分かります。そもそも蒲は川岸に群生している植物です。
同様に浦島太郎が助けたカメはイシガメであり、竜宮城は、川底または沼の底にあったことになります。実際、浦島伝説は、海のない地域にも存在します。
桃太郎の鬼ヶ島も中洲です。
大陸との交流を最も重要な条件と考えたとき、当時の船は、港がないので、川に侵入する必要があったということから、「どの川か?」ということになります。
それは、ずばり、鶴見川と境川です。どちらも、流域に大陸との交流を証拠付ける横穴式石室等が多く残っています。「町田市三輪」は、鶴見川流域にあり、低いながら「三輪山」と呼べる丘があります。近隣には、長く天皇家の所有地であった「こどもの国」があります。
「みわ」は漢字で「大和」と書くことができます。
「町田市三輪」周辺に「大和国」が存在したことに気づくと、「日本書紀」の記述を頼りに、仁徳天皇の「難波」が現在の「町田市成瀬」周辺であること、「飛鳥」が、「町田市南大谷」周辺であること、「藤原京」だけは、遠く、現在の「奈良県」にあったこと、「山背国」は 現在の「横浜市青葉区奈良」の「奈良山公園」の南側に広がっていたこと、「逢坂の関」は、現在の「成瀬尾根道」で有ることなどが分かります。ちなみに、「平城京」は、現在の「横浜市青葉区奈良」の「奈良山公園」の北側に位置していました。現在の「横浜市青葉区奈良」の「奈良山公園」が「大和国」と「山背国」との境界です。
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◎12:16 2023/03/21
『日本書紀』を"解読"する上での「手引き(/ヒント)」を以下にまとめます。
●文書に現れる「海」は、通常、"ある程度大きな川"(または、"ある程度大きな湖")を指す。
※大きさの目安は、"渡し船"の有無。
●文書に現れる「島」は、通常、"川の中州"を指す。
●文書に現れる「津」は、通常、"川の船着き場"を指す。
※古代には、堤防が必要なため、海岸に港を作る技術を持たなかった。
●"地名"を、以下の現在の場所へ対応させて解釈する。
・「出雲(国)」→ 現在の「町田市相原」周辺(境川上流域。山陰地方と風水配置が一致している)
・「常陸(国)」→ 現在の「町田市多摩境」周辺(境川中流域。東方に「甲斐(国)」)
・「甲斐(国)」→ 現在の「町田市小山田」周辺(鶴見川上流域。西方に「常陸(国)」)
・「伊勢(国)」→ 現在の「町田市野津田」周辺(鶴見川中上流域。鶴見川下流に「大和(国)」)
・「大和(国)」→ 現在の「町田市三輪」周辺(鶴見川中流域。鶴見川上流に「伊勢(国)」)
・「山背(国)」→ 現在の「横浜市青葉区奈良」の「奈良山公園」の南側に広がる。西限は、現在の「成瀬尾根道」(/「大阪の関」)。東限は、現在の「横浜市青葉区桂台」。南限は、現在の「横浜市青葉区恩田町の一部」。現在の「横浜市青葉区恩田町」の南側が「河内(国)」。中央を北から南へ「奈良川」(昔の「鴨川」)が流れる。(現在の「横浜市青葉区奈良3丁目・2丁目・すみよし台・桂台・恩田町の一部」)
・「河内(国)」→ 現在の「横浜市青葉区あかね台」周辺。中央を北から南へ「奈良川」(昔の「鴨川」)が流れる。西限は、現在の「成瀬尾根道」(/「大阪の関」)。南限は、現在の「恩田川」。「恩田川」の反対(/南)岸は、「近江国」。
・「摂津(国)」→ 現在の「成瀬尾根道」(/「大阪の関」)の西側に広がる。「成瀬尾根道」(/「大阪の関」)の北の終点より北側は、「大和(国)」に隣接する。「難波」「飛鳥」を含む。「難波」は、恩田川の北岸。現在の「町田市成瀬」周辺。
・「日向(国)」→ 現在の「町田市本町田」周辺。恩田川の源流域。
・「美濃(国)」→ 現在の「町田市原町田」周辺。「不破の関」を含む。
・「信濃(国)」→ 現在の「町田市忠生」周辺。「美濃(国)」から「信濃(国)」へ至る「木曽路」は、現在の「町田街道」(昔の「東山道」)の一部。
・「駿河(国)」→ 現在の「町田市常磐」周辺。恩田川の反対岸(/西南岸)は「相模国」。
・「飛鳥」→ 現在の「町田市南大谷・高ヶ坂」周辺。現在の「南大谷中学校」・「南大谷小学校」(旧地名「三蔵寺」周辺)が「飛鳥寺」の敷地と寺社田。「川原寺」は、反対岸(/西岸)の旧地名「久昌寺」周辺。現在の「町田市高ヶ坂」に含まれる。現在「町田市立第二中学校」が在る丘が 蘇我氏の「甘樫丘」。飛鳥官庁は、現在の「町田市南大谷天神社」周辺。
・「斑鳩」→ 現在の「横浜市青葉区恩田徳音寺」周辺。
・「東海道」→ 現在の「町田市野津田」から、現在の「町田市原町田」までの、現在の「鎌倉街道」~「旧鶴川街道」。現在の「原町田大通り」の所で、「東山道」(現在の「町田中央商店街」)に合流(「不破の関」)。現在の「町田市野津田」付近に「鈴鹿の関」が在った。「東海道」の西側に広がるのが「東国」。
※「東海道」は、東に恩田川が流れるの意。
・「東山道」→ 現在の「町田中央商店街」~ 現在の「町田街道」。「木曽路」を含む。
※「東山道」は、東に山(/七国山・小山田緑地等)があるの意。
・「太宰府」→ 「鶴見川」と「恩田川」とが合流する 現在の「横浜市緑区青砥町」に在った。
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★「藤原京」だけが奈良県に大規模に創られた理由は、富士山の噴火が近づいたためです。奈良県は、浅間神社がない最も近い地域です。しかし、何度も事前調査を行なったにも拘わらず、湿地帯であることを見抜けず16年で再び町田・横浜地域に戻りました。実際、平安時代に富士山が噴火しました。
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