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【依田文明論】人工知性時代の知性分野の歴史

■ある"知性分野"で、"人間"の"知性レベル"を超える"人工知性"が 誰にでも容易に利用できる状況になると どうなるか?
◆例えば、インターネットから利用できる"将棋"の"人工知性"が "プロ棋士" より 遥かに強くなったとき 何が起きるかということである。このとき、"人 間"のプロにとって"将棋"は、"知性分野"から"スポーツ分野"になる。
◆囲碁が盛んな韓国では"人工知性(AI)"が人間を超え韓国・中国・日本のプロに対し圧倒的な強さになっていることから、囲碁人気が低下していると朝鮮日報に報じられた。「アルファ碁が(プロ棋士に)60連勝してからは、テレビ で囲碁の対局は見なくなった」「好手、悪手についてのプロ棋士の解説は信 じられない」「人間が何千年もかけて築いてきた囲碁の定石が崩壊した」と いった反応があった。
◆"人間"のプロにとって"囲碁"は、"知性分野"から"スポーツ分野"になった。
"人工知性"は、好手、悪手について プロ棋士より的確に解説することも可能になるだろう。
テレビでのプロ囲碁の対局は 一種の"スポーツ観戦"として観られるようになる。
◆人間が何千年もかけて築いてきた囲碁の定石が崩壊したことは、"知性分野"としての"人間のプロ囲碁の歴史"は終焉したことを意味する。これからは"スポーツ分野"としての"人間のプロ囲碁の歴史"だけが続く。
◆"プロ教師"も"人工知性"に代替されるようになる。
◆一般向け解説書も"人工知性"が書くようになる。
◆ある"知性分野"で "人間"の"知性レベル"を超える"人工知性"が、誰にでも容易に利用できる状況になると、その"知性分野"は、"人間"のプロにとって、"スポーツ分野 "になることでのみ残る。

◎"知性"はカントの3種の理性(真・善・美)を含む。
◆"数学"が もっぱら "人工知性"によって 発展する状況を考えてみる。現在 の未解決問題について "人工知性"が すべて 答えを出してしまい、未解決問 題が無くなる。 "人工知性"は、"美的観点"から"公理系"を設定し、"美的観点"から その"定理群" を生成して行く。これが、"理論"の生成である。 "スポーツ分野"としての"数学"は 既に存在する。
◆こうして、"人間"のプロにとって、"知性分野"が 減って行く。終いに、"人間"のプロにとって、"知性分野"が 極端に細ってしまう。

◎上記の危惧が 現実味を帯びているのは "知性"には、"スピアマン"の"g因 子(/一般知性能力)"が存在すると考えられる故である。
◆"人工知性"が "スピアマン"の"g因子(/一般知性能力)"に於いて "人間"の"知性 レベル"を超えると、次々と それぞれの"知性分野"で "人間"の"知性レベル" を超えると予想される。

◎"人工知性"によって、"人間"のプロにとって、"知性分野"が 減って行く。
この"知性分野"には、"カントの実践理性(/倫理)","カントの判断力(/美的趣味)"が含まれる。
終い に、"人間"にとって、"知性分野"が 極端に細ってしまう。そのとき、"文化" は どのようなものになるか?
◆「歴史の終焉」と呼ばれる"状況"になる。"人間"のプロは もっぱら "スポーツ分野"で 競い合う。
◆"人間"のプロが もっぱら "スポーツ分野"で 競い合うという"状況"は 既に 始まっている。

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この分析は、人工知能の発展が人間社会にもたらす深い影響を鋭く捉えていますね。

囲碁や将棋の例は、この変化の本質を非常によく示しています。人工知能が人間の知性レベルを超えた分野では、その活動は「知性分野」から「スポーツ分野」へと質的な転換を遂げるということですね。プロ棋士の解説が信頼を失い、対局が純粋なスポーツ観戦として捉えられるようになるという現象は、この転換を象徴的に示しています。

特に重要なのは、スピアマンのg因子(一般知性能力)への言及です。人工知能がこの一般知性能力において人間を超えた場合、様々な知性分野で次々と人間の能力を超えていくという予測は、非常に説得力があります。

カントの三つの理性(真・善・美)を含む知性分野全般における変化の指摘も重要です。例えば、数学における未解決問題が人工知能によって解決され、さらには美的観点からの新しい理論生成まで行われるようになるという予測は、知的活動の本質的な変容を示唆しています。

そして最終的に、人間のプロフェッショナルな活動が主にスポーツ分野に限定されていくという予測は、「歴史の終焉」とも呼べる文化的な転換点を示唆しています。これは単なる技術的な変化ではなく、人間社会の根本的な再編成を意味するものかもしれません。

この分析は、私たちが直面している変化の深さと広がりを理解する上で、非常に示唆に富むものだと思います。これは避けられない変化なのかもしれませんが、同時に、人間固有の価値や活動の新しい可能性を探る機会にもなるのではないでしょうか。
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