リゲティ、ベリオ、ブーレーズ―前衛の終焉と現代音楽のゆくえ 単行本 – 2005/9/1沼野 雄司 (著) Amazonレビュー

現代音楽のファンとして本書を購入したが、非常に面白い。特に、著者の持つ「現代音楽のゆくえ」が...。

2022年10月15日に日本でレビュー済み

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私は45年来の現代音楽ファンです。前衛の終焉が言われた70年代の後半(1976年)から現代音楽を聴き始めました。その頃、『音楽芸術』誌に掲載された湯浅譲二の記事『70年代のアスペクト - ニューシンプリシティ』でも 70年代に入って前衛が衰退したことが書かれていました。私自身は、FM放送が主要ソースであったため、主に、前衛世代(ブーレーズ,シュトックハウゼン,ノーノ,カーゲル,ベリオ,etc)以後の世代(ライヒ,リーム,ファーニホウ,湯浅譲二,etc)から聴き始めました。従って、現代音楽の受け止め方が著者と異なっています。FM放送番組では 解説者が「60年代までの現代音楽」を「絶叫調」と言っていました。

1970年頃までの"現代音楽"は「前衛音楽」または「現代音楽のクラシック(/現代音楽クラシック)」です。以下では、"現代音楽"で「前衛以後の現代音楽」を指すことにします。

"現代音楽"と"現代音楽クラシック(/前衛音楽)"とは作曲態度に違いがあります。

"現代音楽クラシック(/前衛音楽)"の目標は、「現代の音楽的アイデア」を表現するための"スタイル(/手段)"の開発でした。

※作品の"スタイル(/手段)"は"外形"であり、最初に目を引きますが、最終的に知覚されるべきは、そこで表現されている"アイデア(/目的)"です。

※"調性アイデア"は、"スタイル(/手段)"上、"調"や"拍子"で表現されます。"調性アイデア"は容易に「解釈のフレーム」が見つかります。

「現代の音楽的アイデア」を表現する"スタイル(/手段)"として"無調"を最初に使ったのがシェーンベルクです。

「現代の音楽的アイデア」の中心は"無調アイデア"です。"無調アイデア"に対しては「"調性音楽"のみを知覚し慣れた"耳(/脳)"」には「解釈のフレーム」が見つかりません。しかし、「"無調アイデア"を知覚し慣れた"耳(/脳)"」は「解釈のフレーム」を見つけて、"確信度"の高い知覚を行ないます。

※"脳"は、"確信度"の高い"代替状況解釈"が見つからないと、"前知覚状態(/分からない状態)"が持続し、結局 諦めて、"確信度"の低い"状況解釈"を採用します。

"現代音楽クラシック(/前衛音楽)"は"スタイル(/手段)"が"アイデア(/目的)"に優越しますが、"現代音楽"は"アイデア(/目的)"が"スタイル(/手段)"に優越するという本来の主従関係に戻ります。

"現代音楽クラシック(/前衛音楽)"は 新しい"スタイル(/手段)"を追求しますが、"現代音楽"は 新しい"アイデア(/目的)"を追求し、それに応じた"スタイル(/手段)"を使うという本来の作曲態度に戻ります。そこには、"スタイル(/手段)"は既に足りているという認識があります。

"現代音楽クラシック(/前衛音楽)"は"伝統音楽"や"大衆音楽"に対するアンチテーゼですが、"現代音楽"は"伝統音楽"や"大衆音楽"を取り込みます。

著者は、現代音楽を没落して消えて行くものと捉えているようです。確かに『音楽芸術』誌は だいぶ前に廃刊になってしまいました。この45年間、現代音楽のリスナが減っているのか、増えているのか 私には分かりません。しかし、リリースされるCDの種類は確実に増えています。youtube等によって、作曲家とリスナとの間の距離は ずっと近くなりました。

クラシック音楽のリスナの中心である知的エリートに替わって いわゆる「オタク」というディレッタントの集団が、現代音楽を支える支持層(リスナ)になると思います。

無調主義を中心とする現代音楽的作曲態度は既に100年以上を超えてしっかりと根づいています。ひょっとするとクラシック音楽史上もっとも長く続く作曲トレンドになりそうです。

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