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【依田文明論】「日本はなぜソフトウェアが弱いのか?」記事を読んで(その2)[2024/12/29追記]

日本がソフトウェアが弱いのは、一種の「適応」かもしれない。
日本がソフトウェアが弱いことで、日本国民は多くの恩恵を受けているのではないか?


私は、「1/6スケールの人物フィギュア(ゼレンスキー大統領など)」をコレクションしています。最近の人物フィギュアは 非常に よくできており、コレクションのし甲斐があります。すべて「中国製」です。


<<都会-田舎ゲーム>>


■[23:36 2013/03/13;17:40 2015/09/07]<<都会-田舎ゲーム>>
●現在の"日本-中国ゲーム"は、"都会-田舎ゲーム"として捉えられる。この関係は、2030年まで持続する。

●"田舎"の住人が、"都会"へ出かける"理由"は、次の様なものである。

1)"文化"
2)"買い物"
3)"食事"
4)"観劇"・"コンサート"・"展覧会"・"動物園"等の"文化サービス"を受けるため
5)"遊園地"
6)"カジノ"
7)"レース"
8)"高級ホテル"

◆1991年~2030年は、"日本"から"中国"への文化的影響が大きい時代である。この期間、"中国"にとって、"日本"は、憧れの"文化的先進地(/都会)"である。実際、"中国"から"日本"への"観光客"は、非常に多い。
◆2010年代の日中関係は、1970年代の米日関係と比較できる。1970年代には、日本で、多くのアメリカ製TV番組が放映された。刑事ドラマや、多くのSFドラマが放映された。西海岸文化がどっと入って来た。マクドナルドもこの時代に入って来た。町田にもアメリカ村ができた。音楽は、アメリカのポップスを聴いていた。

●"都会"と"田舎"との間のゲームとはどの様なものか?
◆"人材"は、"田舎"から"都会"へ出る。"都会"には、"人材"が集まる。それは、"都会"には、"刺激"と"機会"と"仕事"とがある。
◆農産物を初めとしてモノの生産は、田舎で行なわれる。田舎Aで生産されたモノAは、田舎Aで消費されると同時に田舎Bや都会で消費される。同様に、田舎Bで生産されたモノBは、田舎Bで消費されると同時に田舎Aや都会で消費される。田舎Aは、モノBをモノAを売ったカネで購入する。田舎Bは、モノAをモノBを売ったカネで購入する。

●"都会"は"田舎"に何を売るのか?
◆田舎の人は、都会に行って消費する。田舎Aの人は、都会へ行ってモノBを購入する。都会は、モノBを田舎Bから仕入れ流通によって利益を得る。
田舎の人は、都会に行って劇を観たり、遊んだりする。都会は、田舎の人に都会でサービスを提供してカネを得る。
都会は、アイデアを田舎に売る。アイデアには、本社機能、指令機能、デザイン等が含まれる。

[2024/12/29追記]
"都会-田舎ゲーム"とは、基本的に、
 "田舎":"モノ"の生産者, "アイデア"の消費者
 "都会":"モノ"の消費者, "アイデア"の生産者
である。
今日、"モノ"にはネットワーク・サービスも含まれる。
今日、"アイデア"にはレビューも含まれる。

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この文章では、「都会-田舎ゲーム」というモデルを用いて、現在の日本と中国の関係や、社会経済の構造を考察しています。また、日本がソフトウェア分野で弱いことを「適応」として捉え、別の形で恩恵を受けている可能性についても示唆されています。以下に、この内容を整理し、考察を深めます。


1. 日本がソフトウェアに弱いことは適応か?

適応としての視点

  • 「ソフトウェアが弱い」ことがもたらす恩恵:

    • 日本国内でハードウェアや製品デザインなど、他の分野に特化した進化を遂げる余地を残す。

    • 「弱い」という認識が外部の技術に依存する文化を形成し、効率的な技術輸入と活用を可能にする。

    • 例として、中国製の高品質な人物フィギュアが挙げられる。これらの製品は日本の趣味市場で恩恵を与えている。

弱さが生む課題

  • ソフトウェア分野の弱さは、国際競争力の低下や産業の停滞につながる可能性も。

  • グローバル化が進む中で、自国の技術的独立性を欠くリスクがある。


2. 「都会-田舎ゲーム」の視点

都会と田舎の関係

  • 都会:

    • 役割: アイデアやサービスを生産する場。

    • 例: デザイン、指令機能、本社機能などを生産し、田舎に提供する。

    • 田舎からの人材流入と消費活動によって活性化。

  • 田舎:

    • 役割: モノを生産する場。

    • 農産物や製品の生産地であり、都会で消費される。

    • 都会が提供するアイデアやサービスを消費。

日本-中国関係における「都会-田舎」モデル

  • 1991年~2030年の時期:

    • 日本が「都会」、中国が「田舎」として捉えられる構造。

    • 中国が日本文化を輸入し、「憧れの先進地」としての役割を果たす。

    • 例: 中国から日本への観光客の流入、日本製品やコンテンツの人気。

  • 今日の変化:

    • 中国が急速に成長し、「都会」としての地位を獲得。

    • 日本と中国の立場がより平等なものへ変化している。


3. 世界ゲームの変化

フラット化する世界

  • ネットワークインフラの強化とグローバル化により、「都会」と「田舎」の境界が曖昧に。

    • 「集まる」ことの重要性が低下し、オンラインを介したサービスやアイデアの流通が活発。

    • 世界全体が「1つの世界都市化」する傾向。

残る時差の障壁

  • グローバルな活動の中で、唯一の制約として「時差」が存在。

    • 非同期型コミュニケーション(メール、クラウドサービス)を活用する動きが増加。


4. 日本が抱える課題と可能性

課題

  • ソフトウェアやネットワーク分野での遅れは、グローバルな競争においてハンデとなり得る。

  • 「都会-田舎ゲーム」における役割が、他国に追い抜かれるリスク。

可能性

  • 日本の強みである「アイデアの生産者」としての役割を活かし、特定分野での技術や文化の輸出を続ける。

  • 例: アニメやフィギュアなど、日本独自の文化産業。

  • ハードウェアとソフトウェアの融合分野(例: ロボティクス)での発展。


5. 結論

「都会-田舎ゲーム」の視点は、地域間の役割分担や交流を理解するフレームワークとして有用です。日本がソフトウェア分野で弱いことは一見ネガティブに見えますが、それが「適応」として別の分野での強みを生む可能性もあります。

しかし、世界がフラット化し、ネットワークが発達する現代において、日本が競争力を維持するには、ソフトウェアやネットサービスの分野での進化も欠かせません。都会-田舎ゲームの構造を超え、ネットワークを活用した新しいグローバルな役割を見出すことが求められています。
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