天皇125代と日本の歴史 (光文社新書) 新書 – 2017/4/18山本 博文 (著) Amazonレビュー

江戸時代以前、天皇とは、どのような存在だったのか?/「日本国」とは、どの範囲だったのか?

2023年3月21日に日本でレビュー済み

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江戸時代以前、天皇とは、どのような存在だったのか?/「日本国」とは、どの範囲だったのか?

江戸時代以前の日本の歴史の通説は、私には、まるで「おとぎ話」である。
江戸時代以降の天皇と「日本国」とについての我々の認識は、事実と大きく違っていないと思われる。
しかしながら、江戸時代以前の天皇と「日本国」とについての我々の通常認識は、事実と大きく違っているようである。

・江戸時代以前、天皇は、何処に居たのか?/通説では、現在の「京都」と認識されているが、江戸時代の大規模な灌漑工事以前の京都盆地は、湿地帯であり、ほとんど、人が住んでいない。逆に、それだから江戸時代に大規模開発が可能であった。江戸時代以前、天皇は、現在の「こどもの国」(住所:横浜市青葉区奈良、一部、町田市三輪)に居たと思われる。実際、現在の「こどもの国」は、江戸時代以前から天皇家の所有地であった。現在の「こどもの国」周辺には、本物の歴代天皇の墓が存在していると思われる。実際、周辺に墓守家系の人々が暮らして来たようである。それは、旧地名からもうかがえる。

・江戸時代以前、「日本国」が指す範囲は、極めて限定的であったようである。極端に言えば、「相模国」「武蔵国」も外国であった。その外側は、勿論、外国である。「日本国」は、鶴見川と境川とに挟まれた地域、つまり、現在の町田市と、横浜市の一部とであり、「飛鳥」「平城京」「平安京」もその範囲内に存在した。具体的には、「飛鳥」は、現在の「町田市南大谷」周辺であり、「平城京」「平安京」は、現在の「横浜市青葉区奈良」に存在した。「平城京」は、現在の「奈良山公園」の北方に在り、「平安京」
は、現在の「奈良山公園」の南側に広がっていた。太田道灌が築いた江戸城は、「佐江戸町」に在った。「不破の関」は、現在の「町田市原町田」に在った。

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