記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画レビュー|室井慎次 生き続ける者


こんにちは、るーんです。
先日、踊る大捜査線シリーズの映画『室井慎次 生き続ける者』(後編)見て参りました^^

初回シリーズスタートはなんと1997年!
27年も前だったんですね。(まだ5歳児でした。衝撃)
時が過ぎるスピード感よ。。
そして約30年間も第一線を走り続けている俳優さんたち、本当凄すぎます。


なんだかんだ映画がずっとヒットしてた記憶で、スピンオフもあったし(室井さん、真下正義)、本当にロングヒット作品ですね。
個人的にも長年ファンで大好きな作品です。


レビューと言ったらおこがましいのですが、感じたことがあったので記事を書いております。よければご一読くださいませ。

以下よりネタバレが含まれます。ご容赦ください。









今回の舞台は室井さんの故郷である秋田県で、
元来の踊るシリーズを期待する人にとっては、想像と異なる印象を持たれると思いました。


「室井慎次」という人物の生き様、とでも言うのでしょうか。
それを静かに、しかし確実に描いた作品だと理解しています。


ドクターXを観ても感じたのですが(これもまた別途レビューを書きたい)、大枠のメッセージとして、
"世代交代"と"愛"という2つのメッセージを受け取った気がしました。


とりわけ今回は"愛"に関して書きたいなと。
いわゆる言葉にして伝えるようなわかりやすいものではなく、今今の人や物事に対する真摯かつ気丈な姿勢、そしてそれに伴う行動から、じわじわと構築されていくものだということを、室井さんから感じ取ることができました。


加藤浩次さん演じるりくの父親も、りくに対する愛情は持っているのかもしれない。でも、それが暴力という形に変換され、アウトプットしてしまっていました。


それへのりくの反応は、従順、我慢、無気力、抵抗。
幼い子どもであるりくは、大人には力もかなわなければ経済力もないので逃げ場がない。従う以外の選択肢が取れないということ。
なんとも残酷な現実です。



本当は親を愛したいし、親から愛されたい。
でもそれが叶わないというアンビバレントな心が、りくを不安定にさせてしまう。


子どもは家庭環境を選べない。


りくの場合、
父親が刑務所にいる間、室井慎次という不器用ながらも深い愛情を持つ大人に出会い、同居するタカや杏、そして飼い犬のシンペイと暮らす中で、人として大切なことを学び成長していく過程が描かれていました。


愛し方や愛され方、
それがわからないまま大人になると、
モンスターが生まれてしまうっていうこと。
本人すら望んでいないのに。
恐ろしいことです。

そしてそれは大抵、繰り返されていくということ。


この恐ろしさを断ち切ったのが、室井さんという存在だったのですね。


りくにとどまらず、杏や、タカや、地元のマイルドヤンキーくんたちにも、室井さんの愛が届いたんだろうというのが、室井さんが亡くなってから手を合わせるシーンに描写されていました。


劇中はその過程すべてを描いているわけじゃ勿論ないけど、"人と向き合う心の姿勢"というものを伝えたかったんじゃないかな、と感じました。



この映画のレビューをいろいろ読んでいたのですが、ちょっと気になったことがありました。

一言でいうと、見る側に「想像力」が必要とされるよね、という点です。

例えば、
マイルドヤンキーと室井さんとの絡みは一部しか描かれていなくて、お店で暴れたヤンキーを外に誘導し、ヤンキーに殴られかけながら「商品を棚に戻そう」と室井さんが伝えたくらいの描写しかなかったんです。
あとは一方的にヤンキーが室井さんに嫌がらせをする場面くらい。


で、そんな絡みしかしていないのに死んでから手を合わせにくる場面が出てくるものだから、見てる側としてはまぁまぁの唐突感と、どこでその信頼関係築かれた?っていう感想が出てくるわけです。



うん、わかる。
ケチをつけたくなってしまう気持ち。


でも映画って短いから、その背景を想像する解釈力が必要なんだろうなとも思うわけです。


この映画は”愛”について描かれている、ということを鑑みると、
ヤンキーがヤンキーになった理由は、愛に飢えていて、誰かに構って欲しいからです。だから嫌がらせという形をとって、他人に無駄に絡みにいく。
愛で満たされていないから、ヤンキーはヤンキーを演じているわけです。当人たちがそれに気づいているかどうかは別として。

要はそこにまた、アンビバレントな心が隠されているわけです。


各人、出力は異なるけれど、すべて繋がっているということだと思います。



最後、悲しいことに雪山にシンペイを探しに行った先で心筋梗塞の発作を起こし、還らぬ人となってしまう室井慎次ですが、これがあまりにも呆気なさすぎて、本当に死んでしまったの?と思わされるほどでした。

飼い犬を探しに行って死んでしまうとは・・・・
と、映画を見た直後は思っていたのですが、別の解釈もできそうです。


誰かの代わりに死んだ、でもなく、
凶悪犯に殺された、でもない。
誰も悪者にしない死に様が、まさに室井慎次らしい、とも考えられるなと。
(寿命まで生きて欲しかったですけどね・・・・)


愛を与え続けてきた室井さん、愛を受け取ることももっともっとして欲しかったな。充分受け取れていたのなら、言うことなしで嬉しい限りです。





いろいろ書いてきましたが、今回の映画は「室井さんを終わらせること」を目的として制作されたと言えそうなので、脚本が付け焼き刃的になったのは否めないのかもしれないですね。大人の事情で。


そしてこの映画で、伏線回収されていない点もいくつかあるように思いました。

あんなに大々的に監視カメラ仕掛けておいて、杏が倉庫に火をつけた犯人であるという証明映像としてと、室井さんの車を追うことにしか使ってないじゃない?とかね。
青島も最後の最後に現れたかと思えば、手を合わせることもなく家の間近で引き返してしまった。
まだ、闘いは終わってないっていうことかな?


2026年への伏線ですね。


というか2年も空けるの〜〜〜。
熱が冷めないうちに上映すれば、広告費だってゼロからやるより遥かにコスパがいいはずなのに。これも大人事情か。


大人の事情は勝手にしてくれればいいけど、視聴者のことを考えて純粋に作品に向き合ってきたからこその今までの成果だっただろうに。
と、感じたりもしちゃいました。



映画はいろいろな解釈ができるからおもしろいですね。
ではまた^^



いいなと思ったら応援しよう!