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平出和也、中島健朗、K2の7500m地点から滑落。姿は確認も安否不明、海外のサイトでは《動きはない》と報じられる、極めて厳しい状況。
信じられない、信じたくない!
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野球の、世界的スーパースターが大谷翔平で、ボクシングが井上尚弥なら、登山《クライミング》の世界にも、日本人のスーパースターがいる。
《登山界のアカデミー賞》といわれるピオレドール賞を、何と過去3度も獲得している彼の名は、平出和也。まさに現代を代表する、日本最高の登山家である。更に、その相棒である、中島健朗。
平出の、近年のピオレドール賞受賞に繋がった登山の相棒が中島であり、無論、中島も平出と同時にピオレドール賞を2度受賞していて、掛け値なし、彼らはまさに
《世界最強コンビ》
といえる、日本が誇る2人なのである。
そんな2人がずいぶん以前から計画していたのが、世界の一流登山家から《死の山》と呼ばれるK2を、西壁の未踏ルートから登るという挑戦であった。
《ちなみにK2の下見の模様は、人気TV番組「情熱大陸」で取り上げられていた》
成功すれば、間違いなく彼らのピオレドール受賞歴が互いに1度ずつ増えたであろう高難易度なその登山は、世間がパリ五輪で盛り上がっているまさに現在、リアルタイムで行われていたのだが、本日、厳しい知らせが届いた次第である。
7500m地点より滑落、2人の姿は確認できるが動きはなく、ヘリは降りられず、安否不明ーーー。
現在、救助隊が陸路で向かっているそうだ。
筆者は、「クレイジージャーニー」で平出和也を知って以降、登山家という存在に興味がわき、平出にまつわるものには全て目を通してきた、彼の大ファンである。
著作も読んだし、彼のインタビューや対談は、記事や映像問わず、もれなくチェック。
無論、先述した「情熱大陸」も視聴したし、NHKで放映された、2人のシスパーレ登頂のドキュメンタリーや、先年、凍傷で足の指を失う事故を負った、平出のドキュメンタリー「43歳の壁」等、彼にまつわるものはほぼ全て網羅し、ぶっちゃけ我ながら
《筆者ほど平出和也に心酔している日本人はなかなかいない》
と自負できる程の執心ぶりだと思う。
《そして相棒の中島健朗は「世界の果てまで行ってQ」のイモトの登山企画で、ご存じの方も多いことだろう》
平出はとにかく、感性が豊かな人だ。
以前、相棒だった女性登山家、谷口ケイ《パートナー解散後、北海道で滑落してお亡くなりになっている》の写真を、2人での登頂が叶わなかったシスパーレの山頂に埋め、手を合わせる彼の姿は、忘れがたいものだった。
山頂までの新しい線を引く《未踏ルート》を速攻で登る《アルパインクライミング》にこだわり、
《死んでもいいという覚悟なんてない。自分には、生きて帰ることが登山》
だと断言していた《撤退にも躊躇がない》彼が、まさか滑落したなんて・・・。
今でも全く、実感がないのが本音だ。
ただK2登山に対してのみ、筆者は矛盾を感じ、懸念をしていた。
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ただ、実を言うと、この登山に関してのみでいえば、筆者には嫌な予感があった。
理由は、過去に天才クライマーと呼ばれた、この男の散り様である。
長谷川 恒男(はせがわ つねお、1947年(昭和22年)12月8日 - 1991年(平成3年)10月10日)は、日本の登山家。日本アルパインガイド協会専務理事を務めた。ウータンクラブ主催。アルプス三大北壁の冬期単独登攀の成功は世界初。
天才・長谷川恒男のことは、興味がある方は調べていただければ、と思うが、筆者が彼を初め、歴代の著名なクライマーに興味がわいたのは、まさに平出和也を好きになった影響である。
そして長谷川恒男の最期は・・・。
1991年 ウルタルII峰で雪崩に巻き込まれ星野清隆と共に遭難死(43才)。遺体はフンザ渓谷内のベースキャンプ近くに埋葬され、墓地も造営された。
彼が雪崩に巻き込まれたのは、それほど攻めた場所ではなく、キャンプ周辺、普段ならまず、危険の少ない地点であるそうだ。
天才と呼ばれた長谷川さえ、不可抗力で死んだ。
ならば、平出とて、際限なく登山の難易度を上げてゆけば《運が悪ければ》どこかで、自然の無慈悲な洗礼にぶつかる可能性はあるではないか?
あと、平出本人も気付かない「矛盾」を、平出の言葉に感じていたのもある。
先年、彼は登山中の凍傷で足の指を失い、リハビリを経て見事に登山家としての再起を果たしたのだが、今回の出発前に出演したTVメディアで、このように発言したのである。
「どこか限界を超えないと僕たちの登山は成功しないんですよね、だから守られた環境での冒険というのはやっていなくて、リスクはもちろんあるんですけど、でも、決して命はかけていなくて」
限界は越える、リスクはある、でも命はかけていない、というのは、登山家ではない会社員の筆者からすれば、危険に対しての感覚が麻痺していると感じる発言なのだ。
長谷川恒夫の例を挙げるまでもなく、特に8000m級の山に登るということは、不可抗力、それだけで命が危ないのである。
無論、そんなことは釈迦に説法、平出には百も千も万も承知のことであろう。
ただ、凍傷で足をやられ、ベッドに横たわりながら引退を意識し、号泣していた平出の姿は、ごく平凡な日常を生きる筆者には、こんな風に思えたのだ。
《足の指を失って尚、山に戻れないことがそんなに悲しいなんて。そこまで山に取りつかれた人の歩みを止めるのは、山を諦めざるを得ないほどの身体の障害か、諦めのつく加齢か、もしくは、《死》しかないのではないか?》
愛する妻子もいて、名声もあって、平出には所属する企業《安定》もある。
奥様はかなりしっかりした女性で、経済的にも支え合えって生きていけるだろう。
否、それどころか、平出ほどの実績があれば、講演やイベントが途切れることはまず考えにくい。
現役を退いたあとの方が、逆に暮らし向きは楽になるかもしれない。
それなのに《足の指を失って尚》45歳にして、よりによって世界最難関クラスのK2の西壁、しかも未踏ルートの開拓へ挑むというのだ。
生死の境を何度も見極めて生還してきたからこそ、とっくに《命をかけている》領域にいるのに、ある程度余裕を持って死は回避できていると、平出は思い込んでいたのではないだろうか?
K2は、数々の超一流登山家を飲み込んできた、非情の山、死の山である。
だから今回の登山に対してだけは、たとえ彼らが世界最高のコンビだとしても、胸騒ぎを覚えずにはいられなかったのだ。
滑落が伝えられて、もうかなりの時間が経過してしまったが、とにかく今は、吉報を待つしかない。
しばらくは仕事が手につかないな、こりゃ。。。