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おんがくをかくかくをかく漆〜ふくをかく

やっと、やっと夏が終わった気がする。
十一月三日、日中は 涼しい夏 と変わらないが
朝晩は 普通の秋  だと解釈しよう。

一度も履いていないものも含めて
私はブーツが大好きだ。真夏でも履く。暑苦しいと思われようが履く。
期して 季節相応のブーツのときが来ただけだ。

Dr.MARTIN、RED WING、といった 
王道バンド古着系と、
作業服屋で漁るワークブーツ。
最近はワークマンががんばっているおかけで
作業服屋さんが普段のワードローブに使われだしたことは、私にはとてもいいな、と思えて嬉しい。

世がこうなってくると 
ワークマンは文字通り女子の皆さんにお任せして、
私は昔からそうであったまんま 
本当に作業服を必要とする人しか行かない作業服屋さん を目指す。
建築関係の皆さんなどなど、専門職の方々にしかわからないようなユニフォーム、屈強なオニイサン方が仕事ながら主張ができる派手なインナー、安全靴。作業服屋さんは、私にとって
いまの皆さんがユニクロに行くくらいのことなのだ。
まあMARTINもRED WINGも安全靴なのだが、
海外ものだとかミュージシャンが履いてたとかでいつの間にか オシャレ枠 に入れられたってだけなので 実の用途は同じだ。
日本の作業服ブランド、と言っていいなかに
『エンゼル』というのがある。
ここの安全靴はとても柔らかい革で、ミディアム丈は床に置くと くたっ、とする。
それがとても美しい。色出しも渋みがあって 細身で女性が履いてもかっこよくなる。
安全靴を普段履きしたい方はぜひ。

父は自衛官だった。
私の幼少期から 娘の着るものに少しこだわりがあり過ぎて、中学生から学校よりもうるさかった。
規則通り、白の三つ折りソックスか、分厚い学生鞄であるか、を朝の姿から確認し、 違っていれば指導が入る。
口うるさい、というレベルではない。
うちはぶん殴られるのが当たり前だったので、それを避けるために むしろ登校途中まで規則通りで
どこかで鞄のなかに忍ばせた別の鞄に変え、靴下を変えていた。
補足するがヤンキーではなかった。
地方の普通の公立中学、高校だが、時代的に周りがヤンキーでも私はヤンキーではなかった。ただ、不良でもなかったか?というと それは違う。ヤンキーでも普通の子でも私の真似はしたくなかったろう。ヘンだから。
ワンレングスが女子大生に浸透する前に 高校生なのにワンレンで、
少し経って周りにおとなっぽさ、女っぽさの象徴みたいに流行りだした頃には、そのワンレンを私は切り落としていきなりショートにした。
ついでにスカートも切った。
鞄代わりに、大好きな古着屋がオリジナルで作ったズタ袋を持ち、もちろん厳しい父の目をすり抜け登校していた。
ブーツを愛するようになったのはこの頃。
私の自我を諦めた父は、違う方法を取り始める。

『そんな中途半端なブーツを履くなら、ホンモノを履け』と、
自衛隊で買える安全靴を勧められた。
姉妹二人だが、父は 幼い頃から私達に
赤やピンク、レース、リボン、フリル という
女の子女の子した服装をさせなかった。
出来ればスカートもなしで、ジーンズかパンツ。色は父が愛した紺と白。
スカートは場面により有りだったが、つまり制服そのもののイメージだ。

正月は 有無を言わせず着物、そして美容師だった母が私達に新日本髪を結っていた。

おかげさまで
私は大人になっても着物を着る。
洋服で一番多いのはネイビーの服だ。
父の意思そのものが、嫌がりながらもいつしか定着して、基本的なスタイルはもう変えるつもりはない。
決して制服のようなきちんとしたイメージではないし、服も歌も、毒を忍ばせたものが好きなので
『一見上品』なのに
『よく見るとなんかヤバい』をテーマにしている。
あいや、中身はまったく下品だけど。
着物を着るときは たいてい『極妻』だ。
だから縞の着物か無地が多い。
無駄にタッパがあるので 古着の着物が好きなのにお端折りが足りなくてアレンジしなければ着られないことも多々あるが、その工夫もまた楽しいもんだ。

以前ライヴをやるときの服について触れたが、
いつか着物でステージに立ちたい。
椎名林檎氏の着物はいつも美しくて妖しくてかっこいい。池畑慎之介氏の着こなしも大好きだ。

ブーツに戻るが
まだ一度も履いていない、REGALの安全靴がある。
黒に近い深い茶色の10ホール。
去年まではブルーのMARTINが大活躍だったが、今年はこのREGAL安全靴をちゃんと履こう。
ブーツといえばアスファルト
道といえば夜
夜道といえばパンク、もしくはロック、
もしくはブルースだ。
私の中では。

革なのに水たまりにガンガン入る瞬間が好きだ。

アタマに流れるのはたぶん、
クロマニヨンズ。

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