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公衆電話

3・噓とリアル


 僕は子供の頃最初に着いた嘘を覚えている。
 保育園の遠足から帰って本当はそんなことはなかったのだが、ジェットコースターや観覧車のある遊園地で遊んできたと母に自慢したのだった。
 何故そんな嘘をついたのか今でも分からない。でもそれ以後自分は嘘つきだと言う後ろめたさを引きづってきたように思う。キリスト教の原罪に近いような罪悪感をどこかで感じていたと思う。
 それが統合失調症の発症と因果関係あるのかは分からないが、辻褄を合わせるのがうまく育ったような気はしている。

 発症時の行動は多数の認識・イメージ・妄想が混在し現実というものがどういう現象なのか曖昧になってしまう。
 具体的には肉体上に裸で天井を這いまわってできた傷が残ったし、風呂に頭まで沈んで窒息寸前に引き上げられた記憶が刻まれたということはあったが・・・
 当人である僕には至ってその時その時で真剣な選択の結果の行動ではあったが、周囲の家人にとっては理解不能で対応に至難な事態となった。

 
 ここで、ふとわれに返ってみると小説のストーリーはまだ展開していない。僕以外に登場する人物もいないのに気が付いた。

 そこで、隣の隔離室にいるらしいT君を紹介したい。いるらしいというのはお互いに遮断された状況にあるにも拘らずどうしてだか分からないが、彼が僕よりずっと若い青年でお互いを認識し合えると感じたからだった。
 そして彼が相当な能力を持っている事も察知できてしまったとしか言いようがない。
 
 T君が院長とツーカーの関係であるらしいことも同時に分かった。声が漏れてくるというのではなかったが、僕は彼らが会話していることを知っていた。

 看護士といい患者といいドクターといっても不思議な人たちばかりいる病院なのが入ったすぐ理解できた。不思議な患者の資格を得たので入院できたと言えるのかもしれないが…
 入院直後に廊下ですれ違った若い女性が床に吸い込まれるような細く長い
「あ~~~~~~ぁ~~~~」
という声を上げて座り込んだのを見て印象に刻まれたのだが、その声は今でも耳底に残っている。

 T君と院長の会話は隣室で直接行われているものではなかったろうが、時には病院の経営についての相談だったり、もっと高次元な話だったようだった。どこから伝わってくるのか僕にはわからなかったが・・

 たまに僕に関する話題だったようなこともあったが、それを僕が認知しているのも承知の上でされていたような気がした。
 というのも、程なくT君から僕へのメッセージのようなものも伝わって来るようになったからだ。そこで、僕の方も独り言のつもりで呟いてみたら伝わったのか、意思の疎通が成立したように思った。

 いまだに妙なリアル感が残っている

 

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