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おやさまたより
私の天理教修養科ものがたり パート11
二期目で少し天理教を見直し修養科の生活に真剣に向き合うようになってくると、急に時間の流れが速まりました。胸の名札が注意の黄色から安全の青に変わると三期生になりました。
6月スタートだったので8月・夏本番の季節になっていました。詰所でも後輩の期の世話をしたり何かと気忙しくなってきました。
おぢばでは、夏休み期間中「子供おぢば帰り」が毎年恒例で催され、本部境内のあちこちの会場で全国から集まって来る子供たちで賑わいます。その億は未信者の子供も誘われて参加することが多いので、天理教は知らなくても子供時代に行ったことがあると思い出す友人知人が多いです。
修養科生は特別ひのきしんと言ってその期間中は色々な役が割り振られて、炎天下で汗を流すことになりました。私はやかたの掃除のひのきしんが当たっていたと思い出します。
外での作業ではないものの、広い「やかた」の長い廊下などを重いクリーナーを操ってワックス磨きをするのは骨の折れる仕事でした。ハンドルを上下すると左右に動く機械でしたが、思うように動かず勝手にあらぬ方へ動いて慌てて追いかけたりして振り回されるような始末でした。
どういうものか、そのクリーナーを操作しているとモータの振動で勝手に股間が勃起してしまい、その当時はスエットを吐いていたりしたものだから目だないように隠すのも必死になったりした。
詰所に帰って年上のチョイ悪兄貴にそれを話して大笑いされたりもした。
詰所の炊事場で掃除のひのきしんなどあると厚手のゴムのエプロンを着ていたので、終わってから皆でホースの水を高圧にして掛け合ったりもしました。おそらく若い性欲をそうやって発散していたのだと思います。
若い修養科生のなかには他の詰所のワル仲間がつるんで、不純な色情因縁を積んでいると噂も聞いたこともありましたが、私はそこまでまだ開けてはいませんでした。
それでも、随分と同期の人たちと打ち解けるようになっていって、ほかの修養科生たちに同じ期では私が一番「大化け」したと言われるほどになりました。
ひのきしんと並んで修養科の大きなイベントに布教実習がありました。それはおぢばからバスで他の町などに分かれて一般家庭にパンフレットやチラシを持って一軒一軒にをいがけをして回る体験実習でした。
何人かでチームを組んで行われたのですが、私はそのグループにいた高齢の同期生と組みました。その人はあまり普段接したことのない人でもあり、相手は信仰経験の深い人でもあったためか、私に「ああしろ こうしろ」と指導したがりました。
「おみち」には罪とか汚れというようなことを言わないのですが「八つのほこり」を常日頃意識してそれを払い、積まないように教えられました。
をしい ほしい にくい かわいい うらみ はらだち よく こうまんの八つです。後に行くほど大きな埃だとも言われたりしましたが、その頃私は自分自身にうらみ腹立ち欲に高慢が特に意識されてもいたのです。
案の定、おじいさんに偉そうに言われるのにかっとなって口調は丁寧語で話しましたが、かなり嫌味に反抗を示したのでした。お互い嫌な気持ちになって布教実習を終えたような気がします。
私は臆病で小心者でありながら、その奥には別の顔を持っていて人より優れているという思い上がりや負けん気もかなり強かったようです。それは修養科でだんだん人に慣れて来るにつれ調子に乗って顔を表に表したと言ってもいいと思います。
老人は恐らく私に良かれと思ってのアドバイスをしてくれていたはずでした。それをどう受け取ったのか馬鹿にされたように感じ腹を立てていました。それも相当に激しく怒りを今でも思い出せるくらいに。
翌日の朝、詰所の炊事当番に当たっていたのですが、私は炊事本部から配られる味噌汁のバケツを保温庫から取り出す際、手が滑って熱いみそ汁を腹にかぶってしまう事件を引き起こしました。熱湯の上具材も入っていたので猛烈に火傷を負い、すぐに同僚たちに風呂場に担ぎ込まれ冷水をかけて貰って詰所の教養掛かりの先生に憩いの家病院へ緊急外来に連れて行ってもらいました。火傷の程度はかなり重度だということで氷で二十四時間冷やすように指示されて、部屋に戻りニ・三日 安静にして過ごすことにもなりました。
このお手入れで、詰所の仲間や先生方がかわるがわるおさづけを取り次いでくれたり、お諭しをしてくれたり私の思いに耳を傾けてもくれました。
私は私で、布教実習の腹立ちの直ぐ後だったので文句なくほこりの心を使ったことを懴悔して修養科三ヶ月の振り返りをする良い機会にもなりました。「おやさま」はおふでさきなどで繰り返し思案をすることを信者に促されていました。
私は高慢な自分の心使いを手に取るように見せてもらえたことに感謝し、また周りの人の気持ちの温かさに涙が止まらなくなったことを覚えています。火傷を負ったショックなどすっかり消えていました。