公衆電話
1・サラトモケのニケ
その看護士には檜の匂いがした。次に来たナースは狐の化身としか思えなかった。
病院の車寄せの前のロータリーには「サラトモケのニケ」のレプリカが等身大で翼を広げていた。噂によると、以前の病院の敷地が高速道路の用地として買収された資金で建て替えられということだった。
病院の紋章には十字架が組み込まれたデザインで、設立の基本理念の一部にはヨーロッパのキリスト教作家の小説から引用された崇高な愛が謳われていた。
日本でも有数の天然ウランの埋蔵する大地の上にその病院は建っていた。
僕がその病院と関わるようになったというのは、子供の頃友達と遊んでいるとき誰かが変なことをすると隣町の「精神病院から救急車が来るぞ!」と言って囃し立てるのが決まり事のようになっていたのが、大人になってからも意識されていたことから、もう一つ先にあるその町のこの病院のクリニックに通うようになってからであった。
ロビーの吹き抜けには「ミロのビーナス」の彫像があったし、食堂の入口にはエジプトの王妃の首像がケースに入れて陳列してあった。
食事はいつもだいたい美味しくて楽しみにしていたが、時にその食材に得体のしれない肉などが使われてるんじゃ?と疑念の湧くようなことがあって‥そんな日は王妃が妖しく笑っているように思われた。
廊下や室内などは清潔で調度品はシンプルで上品に統一されて居心地のいいホテルのように思えないこともなかった。
が、僕が入院するので担ぎ込まれたときは、宇宙船に入っていくような覚悟を決めたような記憶がある。
閉鎖病棟の隔離室ともいわれるその個室に入る際、「何をしても自由です」と説明を受けたが、一切の情報は遮断された。ハサミや髭剃りなどは自殺予防というので所持できず一週間もいるうちに山賊のようになった。
2・3日はシャワーすらできなかったように覚えている。
最初はやたらと監視カメラが気に触り、何をしても自由ならと高い壁に飛びつきカメラを叩き壊したような気がする。
ボクは運動神経はなかったが、垂直跳びだけは得意だったのだ。後日退院しても、特に器物破損で弁償を要求されたようでもなかったから何をしても自由というのは本当だったのだと思う。
入院してしばらくすると主治医の回診があって、入院した経緯から判断してこれまでの鬱病の範疇を越えているので「統合失調症」と思われます。との診断を受けた。
その診断に基づいて投薬も開始されたが、その薬を飲んだ瞬間「これはヤギの尿が混じってるな?」と何故か感じた。
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