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公衆電話

10・鉄格子

 主治医から大部屋に移動許可が告げられた時、正直嬉しい反面さみしい気持ちにもなった。不安もあった。

 四人部屋に移ってから先ずしたことは、一般病棟を見て歩き回ることだった。そこには寝ている人もいたしウロウロしている人もいたが、映画に出てもおかしくない位の美しく輝いている若者もいた。
 病棟の中や売店も自由に出入りすることが出来るようになり、集まって談笑する患者仲間と話をしたりもした。僕はスケッチブックを手に絵を描いて歩き回ったりもした。

 名前というのは記号である。が、それが生身の人間と結びついたときに意味を持ち謎も生まれて来る。
 僕は病棟を歩き回りながら大部屋や二人部屋とか個室のあるのを見て、その部屋の入口の表札を眺めて中に番号やアルファベットで表記されているのを見つけそんなことを思ったりした。
 数字を見たとき、瞬時に凶悪な犯罪を犯した経験のある人物に違いないと判断した。少なくともその可能性があるだろうと感じた。

 ある時、自分の知っている名前を見つけた。それは同じ作業所に通っていた仲間の青年と同姓同名だった。家庭内暴力が酷くなり母親の手に負えなくなって、福祉ヘルパーの援助を受けながら一人暮らしをしている人だった。
 しかし、絶えず問題を引き起こしては市役所の福祉課や警察、むろん親やヘルパーたちを振り回していた。

 程なくして当人と出会い、Y君だと確認できた。
 院内で荷物を一まとめにして脱出しようと企てているところだった。聞けばもう何度か挑戦してすぐに職員や看護士たちに取り押さえられていたようだったが…
 
 現在的な建築になった病院では目に見えるような鉄格子はないと言ったが、実際には窓も全開にならないような仕掛けになっていたし、ベランダや屋上へ万一行けても飛び降りたり地面まで落ちないよう防護ネットも設備されていた。
 
 僕は長年俳句を趣味にしてきたお蔭か、決まり事や枠があって初めてそこで自由な表現が可能だということを知っていた。檻だの塀だの、鉄格子だのというのが束縛ではあっても実は自由や安全を保障してくれている約束だと、隔離室に入った瞬間に直観は出来ていた。

 Y君はそれを文字通り自分を閉じ込める暴力としてしか捉えることが出来なかったのだと思う。その後も何度か荷物をまとめて脱出を試み続けたようだった。
 それは小さい頃からの環境のせいでもあっただったろうし、Y君が心の牢獄に自分自身を閉じ込めていた悪循環の結果だったようにも思える。

 見るからに助けてあげたくなるような哀れな姿だったので、親も周囲の人もそれ相応に心を砕いてきたに違いないと僕は思うが、Y君はその哀れな自分を受け止めるだけの力がなくプライドも許さなかったのではなかろうか?

 屋外の散歩も自由に出来るようになった。看護士の付き添いで集団で散策する時には施設の敷地を出て地区の公園まで行くこともあった。が、単独の場合は公道に出る手前のトンネルまでと決められていて、トンネル内には監視カメラが何台か設置されていた。
 監視の目を盗んで外に出ることが出来た人が仮にいたとしても、当人の狂気の牢獄から脱出することはできないだろうなぁと思いながら僕は散歩した。

 僕は結構、病院生活を楽しんでいたと言えるのかもしれない。
  

 売店近くの喫茶コーナーは患者がたまり場にしていて、当時は喫煙場所もあって喫煙者仲間が集まっていたりもした。僕はタバコは吸わなかったが、時々会話に加わって、それぞれの体験談や妄想話の一端を聞いたり話したりした。

 妄想というのはその当人には非常に切実な意味を持っているのだが、他人にとっては記憶にも残らないようなものである。
 
溜まり場の主のような魔女のように太った初老の女性がいて、僕の絵に興味を持ち
この絵にある妄想は破綻なく、成立してるわね
と評価され、嬉しかったのを覚えている。

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