実験小説・スパイラル
1 琵琶湖
琵琶湖は、母なる湖であり父なる湖である。
「たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり」と、短歌に詠んだ歌人(河野裕子)もいたように・・そこには底知れぬ深い時空間がぽっかり空いているように思われた。
ボクは山国で生まれ育ったので殆ど海を知らない。初めて琵琶湖を見たとき、海だと思った。
H市で老人ホームに就職し三年余り経つけれど、目の前に広がる琵琶湖の景色やさざ波の光彩は一日だって同じだったことがない。僕の毎日は泣きたくなったり叫んだりしたくなるような事さえあったが、そんな全ての気持ちを黙って受け入れてくれるような大きな器だった。
地勢的には古代から見れば少しづつ北へ移動しているという説を聞いた。それは今も続いている事なのだそうだ。なんでもバイカル湖と肩を並べるくらい古い湖だともいう。
湖底には古代の遺跡も眠っているそうで、湖北の伝説にはイザナギ・イザナミの生誕地という言い伝えもされて、琵琶湖が日本の国生み神話の舞台だと唱える人もいるとか。
しかし、そんな話も知らぬ気に波が浜へ打ち寄せては引いていくのが、琵琶湖なのだった。
ボクは小心で臆病な性格で、大学を卒業して何年もたつのに未だに童貞でもあった。でも、腹の底には人には言えないような欲望が渦を巻いている自分を扱いかねてもいて、それがあって人とどう接していいのか分からず人付き合いには苦労していた。老人ホームでは指導員という肩書だったがそれが重荷になってもいた。
子供のころから大人しく良い子として育ち、優等生気質が抜けなかった。周囲の評価も真面目で優しい性格で通って来たから、それを抜け出すことが難しかったのだ。
ボクから見るとどんな人も皆明るくて軽々と人生を楽しんでいるように思えた。
人と話すのも苦手だったから、自然仕事のない日や休み時間は琵琶湖がとてもいい話し相手になってくれるのだった。
そんな日々の中で仕事にしばらく休暇が取れる機会があるのが分かった時、実家に戻って帰って休んだら?と助言してくれたのも琵琶湖だった。
米という漢字は面白い。稲はアジアを変え日本を縄文から弥生に導いた。
言霊的には光を放っているようで、例えば気という字の 気 は本来、氣 と書いてエネルギーを表すらしい。
これは、戦後占領してからGHQがその威力を恐れ封印したのだという話を聞いたことがある。そのアメリカを漢字で米国と表記するのも面白い。
H市からボクの実家ある田舎町へ帰るには東海道線で名古屋まで行き、名古屋から中央西線に乗り換えることになる。鈍行で行くときは米原駅で乗り換えて、米原から大垣駅まで行って乗り継ぎ、名古屋に向かわなければならなかった。
米原駅は東海道線と北陸本線が引き込まれており、JR西日本とJR東海の管轄になる。東海道本線できた列車が北陸本線に切り替わる際は乗客が一斉に座席をひっくり返すのを知って驚いたことがある。
琵琶湖からは離れているので駅から湖は見えなかったが、少し走ると振り向きざまにの最後の湖面の煌めきが遠くに見えた。
琵琶湖は京都・大阪の水瓶。疎水を経て京都に流れている。
京都に育った私にとって、富栄養化して水質が悪くなったと言われる琵琶湖の水だったけど、生命の源には違いなかったわ。
水の都とも小京都ともいわれる湖東地方のある町に地方銀行の行員として赴任してきて以来、もう5年以上も経つけれど水に馴染むのは早かったと思う。
京都の女は扱いにくいと言われるのよね。顔で笑ってお腹では違うこと考えれるからだと思うけど、それは京都に限ったことじゃなくて女性一般に言えることなんじゃないかしら?
男が単純でバカなだけじゃないのって大抵の女性は思ってるはず。
私は子供の頃からそこそこ勉強はできたし真面目な方だったけど人付き合いも悪い方じゃなかったから、遊ぶ時は遊んでバランスはとってきたつもり。恋愛はそんなに得意じゃないけど、傷ついても立ち直りは早いんじゃないかな?
今日はたまのお休みを利用して岐阜の大垣まで友達を訪ねることにしたのだけど、実は失恋したせいもあるの。
女の体は時間を生み、男は空間を広げようとする生き物だって私は思うのよね。どうしたって男の力には敵わないのは確かだし。それでも、男が未練がましいのに比べたら、女は切り替えできれば体を自由に自分の思うように動かせると思うわ。
結局は私の方が振ったような付き合いになったんだけど、元彼は独占欲の強い人で私がスナックでバイトしてたのがどうしても許せなくて、何度も別れ話を繰り返したのに疲れたってのが正直な話。
男に比べたら女の給料は同じかそれ以上の働きしたって給料には差があるし、服とか化粧品とかお金のかかるのは女性の方だものね。甲斐性のない彼持ったら隠れてでもたまにバイトして稼がなきゃやってらんないわよ・・・
元彼は私の体はもちろんだけど時間も束縛したがったから、それにはバイト始めた時から抵抗して自分の意見は言って来たのね。しぶしぶ承知しても険悪なムードにすぐなるし、見切り付けなきゃ共倒れになると覚悟を決めたのは私。
電車はゆっくり動きだんだんと振動する音を畳みかけてくる。
米原駅周辺は殺風景だったが、交通の要所らしく線路の軌道が枝分かれして広がっていた。
それもすぐにひなびた風景に変わりトンネルだったり狭い踏切をいくつも通り越した。
ワシは自分の体に収まらん。ジーっとしておれんのでちっさい頃からとにかく暴れとった。男はそれくらいでええと、親も周囲もほったらかしやったし、図に乗るワシは好き放題になって誰の手にも負えんくなったな。。。
あんまり先のことは考えんし、それでヤバいことになっても何とかなるもんやと思う。現にこうやって今・肩で風切ってブイブイ言わせとるしな。
体は大きくないが凄んで見せれば大概の奴は尻尾巻きよる。定職はないが、その日その日のしのぎは自分で稼げる。まぁ・・・阿漕な手段だっりするがな。。。そんなこと気にしとるより、いま光っとったほうがええ!
と、ワシは思う。上には上がおるから、その辺は巧い事やらんと痛い目にあうが・・・堅気の奴でも一緒やろ?
*電車とは不思議な空間である。人は移動する動物だがその手段を様々に変化させて進化も遂げてきた。レール上に車輛を連ねてたくさんの人を運ぶ汽車・電車は、飛行機は船と並んでも特異な交通手段だと思う。
筆者はこの列車に乗り合わせた乗客の中から3人の男女を取り上げてみたいと思って書き始めたのだが、思えば他にも沢山の年齢・性別・経歴・素性の違う人々がそれぞれの事情や都合で偶々同じ列車に乗り合わせ、軌道の上を走る電車の乗客となる。
大抵の場合、見知らぬお互いは顔を見合わせてもそれほど関心は持たないしあえて無視する人も多い。声を交わすことがあっても、礼儀上の挨拶程度だったりする。
「袖振り合うも他生の縁」という諺があるが、これは仏教から由来する輪廻転生の思想に基づくもので、袖が偶然触れただけの関係でも過去か未来かの人生で深い縁があったかもしれないので大切に接するように という意味があるようである。
縁とは不思議なものである
電車は走り続けている。小説もすでに動き出している。バトンを三人に戻したい… *