公衆電話
11・別れのカンパリソーダ
「別れのカンパリソーダ! ボクには迸るような青春の思い出があるんですよ」
と、僕は少し自慢げに魔女に話し始めた。女主人《マダム》は笑った。
「そうなの、それはいいわねぇ」
「はい」
僕も気安くなると調子に乗ることろがあった。
しばらく東京での学生生活の楽しい思い出を語った後、少し躊躇《ため》ってから僕は言った。
「あの・・恥ずかしい話だけど、東京にいたとき僕は一日に何度も勝手に勃起してオナニーは何回もしたんだけど、セックスだけは出来なかったんです。男女とも…」
「そうなのね、それで_?」
「恐かったんです。人と付き合うとかって。普通の会話ならできるようになったけど、体が触れるのはどうしていいのか分からなくて。」
「本当よね。人間はライオンやトラよりずっと恐いもの」
そういって魔女は笑った。
「でも、欲望を諦めてピリオド打つとかって勇気もなくて‥ときどき死にたくはなったんだけど、無理してやってもそれで終わるのかどうか分からないし‥」
「そうねぇ。何があっても命が続く限りは生き延びなきゃならないものねぇ」
「はい。で、もがいてもがいて時は流れて、気付いたら青春してて夢中になってたら別れの季節が容赦なくやって来て、仲間たちと東京の街を夜明けまで一緒に過ごして別れのカンパリソーダ呑んだり、山手線を何周もしてましたね」
そういって僕は笑った。マダムは満足そうに笑って頷いた。
その後、女主人とは二・三度話をしただけだったが、闇を抱えながらも東京生活を満喫した話を一方的に語った。いい聞き手を得て思い出話に花が咲いた。
東京という大都会は全国から若者が集まっていてとても華やかだったが、田舎出身者の集まりでもあり皆気取ってことさら礼儀正しくあろうとする人が多かったように思う。それぞれに適度な距離を保って付き合う術を心得ていたような気もする。お互いの影響があったろうが・・
散歩していて、一つの町を少し歩くと別の町に入り雰囲気が変わるのも楽しかった。東京に来る前に信仰の修養で人付き合いの楽しさに目を開かれていたが、そこで暮らすうちに同世代の人と自分の氣持ちを分かち合う体験を重ね友達も増えたし女の子にモテたりもしたから楽しくないわけがなかった。
東京を離れる日、新幹線のホームに菓子や花束を持った友人たちが沢山来てくれホームの端まで走って見送ってくれたりした。
青春ドラマの主人公になれた気がしたのだった。
琵琶湖畔のH市に就職し職場の同僚となる人たちと顔合わせした時、東京都のギャップを感じて落胆したのを思い出す。
特に後に伴侶となる女性もいたのだが、どうして自分がこんな田舎娘と一緒に仕事しなきゃならないんだろうと運命を嘆きたくもなった。
魔女は狂人そのものではあったが、僕ぼ話を最後まで聞いてくれた時には深い知性の光を宿した目をしていると感じた。
「運命って、ひとりでに動くサイコロみたいなものよね~」
誰に言うともなくそう呟《つぶや》いた。
確かに、その後結婚して家庭も持ち子供にさえ恵まれた。苦しい事は多かったけれど楽しいことも忘れずに今までやって来れた。
僕は自分に絶望はするのだが、また別の自分に気づいたりして今日までやってこれたのだと思うと女主人に話した。
「あなたが絵を描けたのはラッキーだったわね」
魔女がそういうのと同時に僕もうなずいた。
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