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実験小説・スパイラル

2 伊吹山

 ボクの乗った車輛は二人掛けのシートが並んでいるが出入り口の周囲だけが向き合っている横掛けシートのタイプで、ボクはその端に座っていた。
窓の外には晩秋の近江の景色が広がっては、後へあとへと流れていった。
 
 ボクは変わりたいと思ってる。強くなりたい。何より自信が欲しかった。
介護の仕事は自分の性格にはあってるとは思っていたが、それがどうしても一生続けていけるようには思えなかったし、職場の人間関係・特に法人の経営陣の方針に素直に従えない自分がいた。
 疲れているんだと思う。気持ちが沈んで実家でゆっくり寝たかった。ボクの趣味といえば読書とか映画を見るくらいで、スポーツで発散したり酒を飲んで憂さを晴らすといった気分転換のすべもまだ知らなかった。
 町に遊びに繰り出す勇気など持ち合わせてはいなかった。何しろ童貞でもあったし‥

 ボクの向かいのシートには派手ではないがセンスのいいワンピースを着た若い女性が座っていた。静かでおとなしい印象だったけど異性を引き付ける魅力があった。
 ボクはといえばいつも実家には車で帰るのだが運転を避けて電車を選んだこともあって、着なれないスーツにコートを羽織っていた。ネクタイまで締めて気取ったつもりだったが、普段よりいっそうぎこちなくなった。それで座っていても居心地悪く緊張してるのが分かった。
 女性は自然体でくつろいでいるように見えたが、ふと前の車両とのドアが開く音がして首をひねって視線を投げかけたようだった。
  
 ピアスが光った。
 
  電車がガタンと揺れて、明らかに周囲とは違うノイズをまき散らしながらチンピラ風の男が入って来た。時期外れのアロハシャツの胸元がはだけて金のネックレスが見えた。
 ボクは見てはいけないものを見てしまったように感じた。それは同時にほかの乗客も同じだったようで、ひそひそ話が瞬間ピタっと止んだので分かった。

 いかにも不穏な空気が車輛内に漂った。
「@@? ワシやワシや! おぼえとるやろ~?」
そう言って、チンピラは女の横に割り込むと馴れ馴れしく若い女体にすり寄った。
 女性の方は体を固くして拒絶しているのがだれの目にも明らかだった。
顔を背けて何も言わずただ黙っている。赤の他人のようにボクには思われた。
 「前スナックで会った時、一緒に盛り上がってまた会いたいといっとったやんけ・・??」
 チンピラは嫌がるい女の肩に腕を回して執拗に絡んでいる。ボクや周囲の乗客の事は鼻から意に止めてない風だ。

 タイミングというのは、何がいつどうやって起動させるのだろう?大体にして思わぬことは突然降って湧いたようにやって来る。 
 ボクは臆病な小心者に育ってこの方喧嘩などしたことないし、そういう状況になりそうなところは先回りして避ける本能みたいなものがあったのではあるが・・・

 

 *「 日本の鉄道の交通ダイヤは世界でも定評のあるところで、今でも災害や事故で乱れることはあってもその評価を損なうものではない。電車はA駅からある時間に出発し、B駅に決まった時間内に到着する。そしてそのどちらの駅のある町も、いつも変わらぬ風景が佇んでいる。
  しかし、時間はいつも一定の方向に一直線で流れていくものだろうか?
 空間は果たしていつも決まった地点に留まっているものだろうか?
 
 インドでは時間の感覚が日本とは違い、今と今以外の時間の二種類でしかとらえられていないと聞く。刹那という言葉は仏教用語で一秒間の中に60以上の分断があるその一つの単位だそうだ。
 
 ホログラム宇宙論という量子物理学の仮説によれば、宇宙は実態として存在するのではなく映写機のような装置によって映し出された現象ということらしく、計算上では4次元以上の多次元であり複数のパラレル宇宙が存在している可能性もあるらしい・・・」
                              *

 時空がゆがむ・曲がる反転するポイントがあるとしたら、伊吹山周辺もその一つじゃないかしら?私はこの東海道線で友達に会いに行くたびそんなことを思ってる。
 しつこい男に絡まれながら、首をひねって伊吹山を見たとき改めてそう確信したの。

 時間が止まった!

 電車は「醒ヶ井駅」に滑り込んでいった。

 ヤマトタケルが伊吹山の神と闘って負けた時、この地にある泉でしばらく療養し回復したというので「醒ヶ井」という地名になったと駅の案内があった。まぁ、伝説は都合よく書き換えられたりもして諸説あるとか言うんだけど…その後しばらくして、ヤマトタケルは白鳥になって飛んで行ってしまったらしいし…

 男って本当に子どもだと思う。縄張り争いとか…自分の空間を広げるために命を無駄にしたりとか。
 「瞼の母」って昔の任侠映画も舞台もこの辺りにいた番場の忠太郎ってヤクザが主人公らしい・・看板で見たんだけど。虚勢はっても結局マザコンなのよね。。。
 
 女の体にゃ闇がある

 本当、女はわからねぇ~。一度は朝まで飲んだり踊ったりした仲だというのに、このアマ他人の顔しやがって、変態扱いしくさって。
 清ました顔しとっても男に征服されたがってるもんなのに、こいつときたら派手に抵抗しやがって。
 ワシは子供ん頃から考えるより先に暴れとったんや。腹の底から突き上げてくるもんあって・・そいつに動かされとるんや。

 男は瞬間に爆発してその時その場で光っとればエエんやと思う。むろん光が強けりゃ影も濃くなるけどな。。
 賢い奴や正義の味方が悪者叩きのめしてやっつけてるようでも、裏では悪がこの世を動かしとるんや。
 大体良いとか悪いとかって誰が決めとるんや?警察だろうが、先公野郎が、影では相当えげつない奴多いで。
 伊吹山の神さんだって巨きな猪かなんかに化けて、ヤマトタケルを殺したんやしなぁ~。

 硬直した体と停止した思考状態の中でボクは必死に精神のバランスを取ろうとしていた。何故自分の目の前でこんな光景が繰り広げられるのか理解できなかった。
 迫る男と逃げる女の姿はボクへの挑戦としか思えなかった。
 張り詰めた空気がジリジリとボクの側まで押し寄せてくる。窓の外の景色など消えてしまって、自分の子供の頃からの嫌な思い出の感情が走馬灯のように浮かんで流れた。 
 ボクは優しいお利巧な子だと大人たちから評価されたが、自分にはどうもしっくりこないものがあった。周囲の期待にこたえたい自分とそれに歯向かいたい自分がいた。
 眼前の出来事を自分とは関係ないと切り捨てたいボクと沿おういうご都合主義的な自分を粉砕してしまいたいボクが向き合って、心臓が飛び出るくらい鼓動していた。
 「無様だ!!」
高校の体育の授業でバレーの試合で教師に投げつけられた言葉がよみがえって聞こえた。とにかく自分に向かってくるボールが怖くで球技が苦手だった僕はその時体育館の床に足がもつれて転がっていたのだった。


 私は女。女の体は矛盾で出来ている。その混沌の中から新しい命が生まれ、別の時間が流れ始める~

 男は女から生まれて来て、マザコンの片鱗もないような人なんかいないくらいなのに、皆自分一人で存在しているような顔をしてると思う。
 そうして女を自分の思うように扱い組み伏せようとする。
 私を自分のもののように操ろうとするこのチンピラを知らないとは言わないけど‥今の私はこの男を認める女じゃないわ。

 歴史は女を屈辱と苦難・苦痛で押し込めて来た。
 川や海は女の泪で満たされてると言ってもいいと私は思う。女の体は出産の痛みに耐えれるように出来てるから、どんなに痛めつけられても生き続けて命をつないで来た。

 神はそんな女にまだ苦しみを与えようとするのかしら?


 *  突如 伊吹山の全景が展《ひら》かれた。

 伊吹山は神の山。今見るに開発などによって傷跡が生々しく痛々しくもあるが、その威光には圧倒されるものがある。
 ヤマトタケルの伝説はもとより、役行者を開祖とする修験道の一つともなり、古来から英雄たちの割拠する舞台ともなって来た。

 伊吹というに・・日本列島を人体になぞらえれば首根っこに当るのではなかろうか?南北に細長い列島がくびれて東西を分け、天下を二分する戦場にもなって来た。

 北陸から流れてくるシベリア由来の気候が影響して悪天候にもなりやすい。冬は太陽を見ない方が多いくらいの日本海側の天気ともなる。

 山頂は不思議なほど多くの植物宝庫であり、山麓は昔から薬草の名産地として知られても来た。『 百草《もぐさ》 』      *
 


 
 

 

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