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公衆電話

7・狂った歯車

  
 時間は流れていないようでちゃんと流れていた。
 
 腹は減ったし、部屋の隅にある囲いのない水洗トイレで用も足した。ステンレスの便器に排せつ物が消えていくのを見ると、家族の事を思い出した。
 その時どういうものか、僕は近親相姦を犯してしまったのではないか?という罪悪感に襲われた。娘たちは当時まだ小中学生であり、父親としての責任を全うできなくなってしまった絶望から湧いてきた者だったのだろうか…よくは分からないが生々しい感情だった。

 談話室でT君に会った時、
「A(僕のこと)さんは家族があっていいですね~」
と言った。T君は一人っ子らしかった。お互いに家族のことにはあまり触れなかったが、T君は意地悪なところもあって踏み込んできたようだった。
「うん」
と言って、僕は口をつぐんだ。

 それからは、社会情勢とかお互いの知識の自慢のような会話ばかりで家族の話題は出なくなった。
 徐々に病院生活にも慣れてくるのを感じた。
 別の部屋にストレッチャーで運ばれる人を見て、
「あの人は暴れるから薬で眠らせているんですよ」
と、T君が言った。

 精神病は身体的な病気とは違い数値化しにくいし検証も不可能なことが多いのは事実だと思われる。診断にしても医師の技量に左右される面の多いように聞く。
 それと同時に併用される薬品や治療法なども時代の変遷に影響される。電気ショックや脳への執刀手術が行われていた時代もそんなに前の事ではないという。それ以前は座敷牢になるわけだが…
 
 薬品は精神病に限らずそれ自身が威力を振るい独り歩きしやすいこともある。忙しい現代人は苦痛を楽しむ余裕はないので、即効性を薬に期待する。それは一時的に苦痛を抑える効を奏するが、体内に蓄積して逆に思わぬ害を及ぼす可能性が大きいようだ。
 医療従事者にしろ製薬会社にしろ、学界や業界の権威や利害が絡んでくるので修正が困難な体制があるのは容易に推測できる。
 
 僕は元来真面目で完璧主義な性格があって仕事に手を抜くのが嫌で根を詰めるタイプだったから、最初に心身の異変を感じても相当長い間我慢し続けた。それでも、ようやく自分を宥めすかして精神科のクリニックへ相談する決心をした。
 そこで、不眠と疲れ易さや気力の減退などを訴え、根気が続かなくなったと医師に弱音を吐いた。それに対して、抗うつ剤と睡眠誘導罪が処方された。
 ネットなどで調べてもそれは適切で最善の処置とされている。
 しかし、それを長期間使用するうちに、だんだん昼間の眠気や注意力の散漫が重なるようになり、仕事上で思わぬミスが連発するようになっていった。

 一度狂った歯車は次々とアクシデントやトラブルを巻き起こしそれに生真面目なぼくの性格が災いして、薬などでは僕の精神を保てなくなっていった。寝ようとすればするほどに脳が勝手にウニウニと蠢きこめかみの血管が収縮するのが分かったし、布団は責め具となって僕を奈落の底へ陥れていった。
 
 もともと僕は対人恐怖症気味だったものの、他人には好意的に判断する傾向の性格だった。しかし、その僕にも殺したくなるような人の顔が次々浮かんで来るようにもなった。
 それ以上に自分自身への情けなさを嘆き飽きることなく反芻するようになった。刻明な日記を記したり、妻やクリニックの主治医に自己分析を書いて読ませて自分の正常を証明しようと努力した。が、しかし、考え過ぎは毒だと言われたり、無駄だからやるべきことを淡々とこなしていく方が気持ちを楽にすると助言されたりした。

 そうした末に他人や自分の力に頼るより、神にすがるしかないと思いつめ、それまでも熱心に信仰していた教えに闇雲になってのめり込み気が付いたときには宇宙船(病院)に入院していたという次第だった。

 実際記憶には、入院時の病院の建物はエッシャーの絵の構図そのまま飲む獣が破綻することのなく存在しているように空間に収まっていた。その時、僕が若い頃から私淑していた恩師と仰ぐ人物がエレベーターで高層階までいけば待っていると聞かされたような気もする・・・



 


 
 


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