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おやさまたより

私の天理教修養科ものがたり   パート3

 天理教本部は奈良の北部、山の辺の道に沿う所にあり古くから豊かな営みを重ねてきた土地柄にあります。立教当時は庄屋敷と言われ「おやさま」中山みきさんは富農の家の一主婦でした。

 「足達金持ち 善兵衛さん地持ち」とも言われ雇人もいるような家に14歳で嫁がれましたが、幼いころから信心深く結婚するより浄土に憧れ念仏三昧の女性だったようです。それでも一家の大黒柱のような存在として婚家の両親からも信頼されて家事や農作業、子育てに励む中に、周りの人を慈しみ夫が手を付けた女中に毒殺されかけたのも許したほどの人だったと聞きます。

 そのおやさまが40代のころ長男さんが畑仕事の最中に足が痛んで動けなくなったことで、加持祈祷をする依り代になったことから神がかって「われは元の神・実の神である! みきを神の社にもらい受けたい!」という親神のお告げがあり、一族額を寄せ合って押し問答し何度も断るのですがその度みきさんの容体が悪化して、ついに夫善兵衛さんが「みきを神の社に差し上げます」と返事したことからその教えが始まったのでした。

 天保九年十月二十六日の事でした。

 私も統合失調症ですのでわかるのですが、当人も家族もそれは本当にただならぬ嵐の中にどれだけ翻弄されることとなったのか筆舌には尽くし難いものが在ったろうと思います。。

 まだ小さかった娘さんたちは布団に入って抱き合って震えていたと言います。返事をしたものの善兵衛さんも親戚から突き上げられ生きた心地はしなかったろうし、そのきっかけになった長男さんも責任を思って思い惑ったことだろうと推察します。

 神の社となったみきさんはその後三年ほどは蔵に籠られて神の仰せの儘に、「貧に落ち切れ」と家財道具や衣類はもちろん、米や金銭を貧しい人々に次々と施していかれたそうです。屋敷も母屋を取り壊すまでに至り親戚や知人からは縁を切られ、周囲の人には狐憑きと嘲られ謗られた事は言うまでもありません。

 善兵衛さんは失意のうちに先に亡くなり残された家族は、「水を呑めば水の味がする」という親神様のご守護を説くおやさまに頼るしかない何十年かを過ごされたと聞きます。
 それでも尚且つこうして教えが今に伝えられて、私がこのような文章を書き綴っているという不思議は狐が憑いたのか狸に化かされているのか、私にはよく分からないところではあります。

 中山家の苦労はその後も続き、それでも出産の「おびやゆるし」がきっかけに信者がぼつぼつと近郷一帯に広まって、それだけの神でないことも知られるようになり生き神様と崇めれられるようになり、反対に明治政府の神道政策に反するということで十数回も監獄へ連行されるような弾圧の波も強まったそうです。

 おやさまは、人間は百十五歳の定命で、男女の隔てなく皆が陽気暮らし出来る世の中になるということを身をもって示され、それを「ひながた」に残し定命を25年縮めて90歳の年、存命のままこの屋敷に留まって世界たすけの扉を開くと現身を隠されました。

 今年は立教から数えて186年目になります。加えて現身を隠されてから140年目を迎える三年千日のスタートの時旬になります。

 

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