見出し画像

公衆電話

14・締めくくり

 翌朝、食堂でT君と一緒になった。
「T君、夕べ電話したよ。家人に」
僕がそう話しかけると、T君は少し目を見開いたが
「で、どうだった?_反応は・」
と、当たり前のように返事をした。
「まだね、ちょっと無理そうだった」
「だろうねぇ、でも話を始めなきゃ何も動き出さないもんね」
そう言って、食事に集中した。

 たまに集団で散歩に行く公園のある辺りは「久々利」といって、昔天皇の后になった女性を輩出した豪族の住んでいた土地で、宮の跡や宮内庁の管理する古墳などがあった。
 これまでも繰り返し言ってるように、子供の頃の夢うつつに本とか漫画で読んだ記憶か幻想ともつかないイメージが残っていて、その中の一つにこういうのがあった。
 少年少女たちが洞窟に閉じ込められて脱出を試みるのだが、鍾乳洞の狭い水路に飛び込んで命からがら別世界に出るというストーリーだった。それが潜るという言葉「久々利」と繋がるように思われた。

 日本に古代の歴史に隠された女神にも菊理姫という名前が残されているらしい。ククリヒメとも呼ばれたりするようだ。僕の妄想はそれらを繋ぎ合わせていった…

 自由とは何か?自分とは何かという問いは人類が意識に目覚めた時以来、多くの人によって繰り返し問われ、答えを出したり新たに問い直され続けて来たことである。
 それは宗教や化学、或いは社会システムや経済の仕組みにおいても同様で常に格闘が繰り返されているのだろうと思う。

 自ら発せられる電気信号のようなものがあるのかもしれない。それを上手くキャッチして目に見える形にすることの出来た人が哲学者とか科学者、または英雄や富豪などとして功を成し名を残してきたのかもしれない。
 しかし、残り大多数の人間は名もなく貧しく清く犬死していくのだろう。そうして中に僕らのように精神病院に入院したり或いは牢獄に捕えられたりするのだろう。
 そんな脈絡のない漠然とした話をT君と交わしながら朝食を終えた。

 T君は突然大きな声で笑い始めた。そして僕にこう言った。
「Aさん、あなたは救世主だ!近いうちに退院できると思うよ。僕もあ血に続いて家に帰ります」
 こういう話は入院中にしばしばある事なので驚くことではなかった。T君に限らず皆がそうだった。
 そのT君の予言も僕はそのように受け止めたが、悪い気はしなかった。

 電話という機器も当たり前のように誰もが使っているが、考えてみれば不思議千万な道具である。大気中に様々な種類の電磁波が飛び交っていて、それを電気信号に変換して通話が可能になる。細い電話線が巡らされているからまだ不思議におもわないけれど、今は人工衛星を介した無線の携帯電話の時代である。
 
 明治以前の人々には全く信じられないことである。
 しかし、電話の着信音が鳴って相手が受話器を手に取り会話が成立するかどうかは、それはまた別の話なのだ。未だに誰もタイミングを操作出来る機器は持ってないし、発明すらされていない。
 僕の妄想の産物である❕

 その後ニ・三度殺気をかい潜って冷や汗をかきながら公衆電話のボックスに飛び込み、家に電話し何とか妻に思いを伝えようと躍起になった。
 三度目の正直の電話で、
「わかったわ。先生には私から相談してみる」
と、妻がそう返事をして退院は呆気なく決まった。

 無論、僕は救世主なんかじゃない!

 ただ、自分で自分を救ったというのか、病院にいる肉体を自宅へ移動させる選択し、チャンスを握ったというだけのことだった。
 
 しかし、それをT君に伝えたときT君は本当に僕を救世主を見るような眼で見て共に退院の決まったことを喜んでくれた。。

                             


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?