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おやさまたより
私の天理教修養科ものがたり パート9
このエッセイを書いている今現在は、令和5年の4月18日ですが、おやさまの225回目のお誕生日です。
おやさまが「かみのやしろ」になる以前に、亭主が手を付けた女中に毒殺されそうになったのを許し大事にしたことは先に紹介しましたが、その他にも近所で預かった乳飲み子が黒ボウソウという難病になった時に願掛けして自分の子供の命と引き換えに願いをかなえてもらったり、隣近所に困っている人がいれば誰彼かまわず助けるような信心深い念仏者だったそうです。
おぢば・天理の周辺は古来から群雄割拠の地でもあり、古墳や神社の多い地区でもあります。卑弥呼の墓という説もある箸墓古墳や、物部氏の氏神だった石上神宮もすぐそばに位置していて歴史的にも特異な場所にあると言えましょう。
そういう中で貧のどん底を通っておられたおやさまが、おびや許しからだんだん生き神様として評判を呼び信者が集まるようになってもその態度は少しも変わらないばかりか、偉い人と会っても乞食と話すときもその態度はいつも同じだったそうです。
信仰しているおかげで泥棒が風呂敷包みを置いて逃げていった信者が喜んで、お礼に参ってその由を話すと、
「そうかえ?欲しい人が持って行ってくれた方がもっと良かった」
と話され、その信者はおやさまの教えの深さに一層熱心な信仰をするようになったそうです。
そういう話は列挙にいとまがないのですが、私の特に好きな話に「ひと房の葡萄」というのがあります。
それは子供を連れて両親が参拝したときに、親は恐縮して平伏しているのに子供は平気でおやさまを見ていると傍らにあったブドウに目が行き見ていると、そのブドウを手に取られ
「世界はなぁ、この葡萄のようにみんな丸い心でつながり合うて行くのやで。この道は先永う楽しんで通る道やほどに」
と言って子供に葡萄をくれたというお話です。
また、商売をしているような人が来るとお話されるのに
「商売はなぁ、高う買って安う売るのやで」
ということをよく言われていたようです。聞いた商売人は一様にそんなことをしては損が出るからおやさまは商売のことはよく知らないのだなと一人合点すると、帰ってから突然身上に触りが出て駆けつけてくれた先輩にその真意を聞いて納得するとご守護いただいたという例が幾つもあったようです。
その真意というのは、問屋からは少しでも高く買って問屋を喜ばせ、売る時には少しでも値を低く設定し自分の利益を少なくすることで客を喜ばせることで評判を呼び皆が喜ぶ商いになるということだそうです。
これが今でも通用するのかどうかは、経済音痴の私にはよくわからなことではありますが、逸話伝に何回も登場する話です。逆転の発想というところが面白いと思います。
紹介したい逸話はまだ沢山ありますが、知りたい人は他の書物など当たってみてもらえればいいと思います。
それでも最後にこれだけは紹介したいと思います。
「ふしから芽が出る」というのは、よく言われたお言葉のひとつだと思いますが、修養科に集まるような人は殆どと言っていいほどこの節の中で引き寄せられてきた人たちでした。
木に例えての事ですが、節の部分から沢山の枝が分かれて巨木になるというので、人生の思わぬ難題苦難にあった時こそ心を倒さずにそれの中からどう自分の生き方を整えるのかが人生を大きく左右すると言うことだろうと思います。
節にも大中小様々な節があります。それを活き節に出来るかどうかが問われると思いますけど、あまり大きな問題を抱えているときは先の事も反省もできなくなります。そうなったときに藁をもすがる思いでやって来たのがおじばであり人類の故郷・親里だったというわけです。
私は今は毎日の生活の中で小さな節を見逃さずそれを活き節にすることが大きなアクシデントやトラブルを未然に防ぐ方法だろうと思うようになりました。
コロナ禍やロシア・ウクライナ紛争、核や原発の問題、暴力や虐待の連鎖などの節をまず我が事として自分の生活の中で自分の心を見つめ、何かそれにつながるような節にあった時その先の選択をどうするか思案することが大切な心掛けだろうと思っています。