ロックの神様と息子と嫁

何も無いが、それが却って良いこの野原。
視界を遮る人工物が一つもなく、地平線と雲一つ無い青い空とが一体化している。群生している背の高い向日葵は、夏だと言うのに爽やかで涼しい風に吹かれ、気持ち良さそうに揺れていた。
「……何年前かな」
ここを教えてくれた"あの人"に想いを馳せ、たった七日程度の…しかし四十を過ぎた今も尚、人生で最も濃く鮮やかな夏は、どれ程昔の事だったかと。
カルノはらしくもなく、ノスタルジックに呟く。
「もう、何考えてるの?」
そう声を掛けられて漸く、共に大きな岩の上にシートを広げて座り、隣で頬を膨らませている彼女の存在をはっと思い出した。
「…ごめんごめん、出逢ったのはいつだったかな、って。…もちろんルーチェと。」
「…えぇ〜。ルノ君、アタシとのだいじなだいじな記念日も覚えてないの!?ショック〜〜……」
「違う違う!!ごめん!覚えてるって!!」
上手く取り繕ったつもりだったが、結果的により酷く機嫌を損ねてしまった。こんな時、あの同期だったらもっと上手い言い訳を思い付けるのだがと思ったが、それが出来ないからこそ、隣にこうして愛する彼女がいるのだと思い直す。
こんなにも幸せな毎日を送れているのだ。一つや二つの受難があったとて、寧ろお釣りは来る。
そもそも今のばかりは他の女の事を考えてしまっていた自分が悪いので("女"と大枠で分類してしまうには例外塗れの、寧ろ人でなくハリケーンだが)
ただ真面目に正直に反省しなければならない。
「……ごめん、初恋の人の」
「初恋の人…!?ルノ君最低!アタシが一番好きじゃないの…!?初恋の人って………あ」
十秒ほど荒ぶり、ぽこぽこと僕の肩を殴った後でルーチェはハッとした顔になった。
以前、話した事がある。彼女と出逢ったばかりの時に、"彼女"との思い出の話を。自分という人間の根幹が形成された瞬間を。そして切ない別れを。
自分を愛してくれているルーチェからすると決して面白くないだろうが、互いに隠し事はしないと約束をしたし、僕が彼女を愛する切っ掛けになった、今の僕の幸せにも、彼女の幸せにも不可欠な存在であったとは伝えておきたくて。
それこそ出逢ってばかりの頃は"彼女"の話ばかりをして不機嫌な顔をされてしまっていたので暫く口にしていなかったから、直ぐに思い出せなかったのだろう。というか寧ろ思い出してくれたのだ。
凄く申し訳無さそうに、しゅんと肩を落とす。
「…ごめんルノ君。アタシ寂しくなっちゃって。ルノ君の事疑ってる訳じゃないんだけど、でも世界一大好きなルノが他の人を愛してたらって……」
「……大丈夫だって!!今はルーチェの事が一番好きだもん!!愛してる!!世界一可愛い!!」
「……ホント?オルキスよりも可愛い?」
「オルキスより可愛い!!」
可愛いという尺度なので、嘘は言ってない筈だ。
「そっか……へへ……。オルキスより可愛いか…。」
こうやって褒められると直ぐに照れたり、機嫌を持ち直す所を加味するのなら。
「ホントだって。だって結婚する位なんだもん。」
「だったら手繋いでくれる?」
右手を差し出して、恋人繋ぎにする。
「だったら、チューしてくれる?」
彼女の頬に、そっと口づけをする。
「だったら、ここでえっちしてくれる?」
「ここで…!?」
ルーチェは僕の反応や要求への是非は気にしていない様で、優しくシートの上に押し倒して来た。
「…うん♡………こ・こ・で…♡誰もいないしぃ♡」
「此処は不味いよ!もしかしたら人が来るかも…」
「そうだよ。アタシが来てンだよ。」
僕とルーチェは思わず飛び上がった。
あまりの驚きに心臓がドクンドクンと五月蝿い。
辺りを見回したが、声の主の姿は見当たらない。
幽霊か妖精か何かだと一瞬思ったが、それにしてはやけに覇気があって鋭く低い女声である。
「え?誰?お化け?妖精?お義母さん?」
ルーチェも同じ事を思った様だ。……お義母さん?
「お化けでも妖精でもお義母さんでも無ェわ。」
人よりも背の高い向日葵畑の中から、ヒョコリと何かが突き出てきた。平たい木の棒…?に、刺刺しい形をした紫の鉄板がくっついた珍妙な物体だ。
その木の部分の先端を持って、掲げているのか。
声の主は自分の位置を知らせながら、向日葵の林を掻き分けて近付いて来る。ついに僕達が岩の元にそれが辿り着いた時、掲げられていた物体はひょこっと下げられて、代わりに人影が現れた。
「"アタシ"は隻眼のロックスターだ。」
何枚かの葉っぱを払い除けながら自己紹介をしたのは、背の低い二十代ほどの女性だった。
僕は、思わず息を飲む。
噂をすれば影、という事では無いが、有りもしない感動の再会をほんの一瞬期待したからだ。
それは他でも無く、その女性の格好が"彼女"そっくりだったからだ。黒いジャケットに同じく黒いダメージジーンズ。丸いサングラスまで瓜二つだ。
しかしまぁ、似ているとそれ位で、あとはレンズ越しに覗く眼光が鋭い位の共通点。単なる偶然であろう。髪色は赤紫ではなく真紫だし、顔も全然違う。声も低めと言ったが、標準より少しだけ。
それに……"彼女"に比べれば色々と小さい。
まぁ…身長は普通位かもしれないが。
「お義母さんじゃない…」
ルーチェもこう言っている。………さっきから言っているそのお義母さんって誰の事なんだ?
「人の事ジロジロ見やがってよォ。この丸い度付サングラスと服はサンタさんのプレゼントだ。
欲しがってもぜってェあげねェぞ。」
良かった。どうやら視線を向けた先は、辛うじて彼女にもルーチェにもバレていないらしい。
「よっと…」
不意に、紫髪の彼女が共に身体を岩の上に持ち上げてきた。靴を脱ぎ、断りも入れずにシートに座る。
「ンな所で白昼堂々何してんだよ、精液が植物に掛かったら枯れちまうんだから向日葵畑で屋外ファックは止めろって言って殺そうとしてんだが、未遂に終わったし赦してやるわ。」
流れる様に脅迫をしながら胡座をかいて、さも自然なことの様にバスケットからルーチェが手作りしたサンドイッチを盗んで食べ始めた。
「……あ…アタシ達のランチが……えっと、ごめんなさい、この向日葵畑の管理人さんですか……?」
「ひげぇよ、……ん゛っ…」
食べながら喋ったことで喉に詰まらせたのだろう。
また鮮やかなまでに水筒を引っ手繰り、お茶をぐびぐびと飲んでカランと音を立てて置いた。
多分一気に飲み干しやがった。
「冷えた紅茶は美味ェな。……あ、そうそう。此処はアタシの敷地じゃねェ。でも植物を守ンのが農家さんの役割だかんな。もう二度と屋外でヤるんじゃねェぞ。見掛けたら殺すからな。」
「…ごめんなさい……ロックスターじゃないの…?」
「最近なったんだよ農家さんに。神様の思し召しか分かんねェけどよ、軍辞めよっと思ってな。これがよ、実際始めてみると農業と"ロック"の共通項ってのが多くてな。でも農園のオーナーはロックが何か分かってねェから『ごじゅうし』だと思ってんだ。ここが可愛いんだがな、」
ただ黙っていても怒涛の様に情報が押し寄せて来るので、僕もルーチェも圧倒され飲まれている。無数のツッコミどころが眼前に現れるのだが、その速さに一つを捕まえる事すらさせて貰えない。
「そうそうお前さ、良いギザ歯してんな。サメみてェで"ロック"だわ。サメっつったら魚だけどよ、蛸は外国語でデビルフィッシュらしい。悪魔って"ロック"だもんな、蛸の妹がいるんだけどよ、コイツがまぁ男の趣味が悪くてさ、そうそう豪華客船には気をつけろよ、必ず怪しい水難事故に巻き込まれる会社があってな、そこの社長がどうも臭ェ。乃亜造船にだけは乗るんじゃねェぞ。この前もアタシ」
パチン。
長々一人で喋っていたかと思ったら、彼女はいきなり自分の頬を強く叩いて、すっかり口を閉ざした。
そして溌剌としたさっき迄とは打って変わって、やっちまったとばかりに自分の額に手を遣る。
「……悪ィ。最近偶に"こう"なるんだわ。どうしてなんだろうな……、軍を辞めてからその兆候はあったんだが……この服着てから何かに憑かれてる気が……」
「えっと……じゃあ、脱げば良いんじゃない…?」
面を食らった様子だが、ルーチェはおずおずと心配の表情を滲ませて提言をした。ハッキリ言って、彼女の言動は無茶苦茶だし支離滅裂で恐ろしかった。
"あの人"ならまだしも、そうでない人間がこんな振舞いをするのは、ハッキリ言って悪霊か何かに取り憑かれていないと説明が付かないだろう。僕もルーチェの勧めに大いに賛成だった。
「それがそうもいかなくてよ……」
「呪いがかかってるから脱げないとか……?」
「いや単純に気に入ってるし……」
だったら脱げよ。
しかしそんなつもりは毛頭無い様で、彼女は悩ましげな表情で頭を抱えている。そんなしょうもない事でもかなり深刻な事の様に、うーんと唸りながら。
「同じ物買えば良いんじゃないの…?」
「結構珍しいモンなんだよ!それに今まで悪い子だったらサンタさん来た事無ェんだぞ?これこそ、本当に"ロック"を体現した様な…"ロック"の神様の御召し物だと言って差し支えない様な…」
どうにも大切なものらしくて、手放せないらしい。
しかし参ったな……何かしら憑かれているともなれば生活も不便だろうし、根本をどうにかしなければ。
落ち落ち呪われた女性が目の前にいる以上見捨ててもおけないし、無視して帰るとどうも落ち着かなそうで、マトモにイチャイチャも出来ないだろう。
……うーむ、呪われた……憑かれている……悪霊……神様……勝手に喋る……ロックの神様………。
ここで一つ、僕は名案を閃いた。
「お祓いをして貰えば良いんじゃない?近くに腕の良い知り合いの神父さんがいるんだよ。」
「それだ!!」
"それだ"の模範回答の様な膝打ちフェイスを浮かべ、紫髪の女の子は僕の顔を指した。
「ありがとなギザ歯!!そのシンプソンズは?」
「神父さん、ね。黄色くて目がデカくないよ。この丘を下って行ったら真っ直ぐ行けば良い。それと」
「ありがとな〜!!」
ちゃんと訂正するよりも先に女の子は僕の視界から消えていた。きちんと教えた方向に、たなびく髪の紫を、残光として残して。
「………。」
いきなり過ぎて声も出なかったが、不思議と何故か猛然と走り去っていく背中を見ていると、好き放題していった名も知らぬ彼女に悪い気はしなかった。
「……なんだったんだろうね?ルノ君。」
不思議そうに、ルーチェは僕を見つめて来た。
「さぁ…、分かんないな。」
僕も首を傾げて、これに応える。
どうしてここにいたのかも分からないが。
案外、あの"悪霊"が僕達に逢いに来てたりして。
そう言えば、もうすぐお盆の季節だなと思った。







「あの子…靴忘れてる」




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