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『性的同意』は大きな政府思考が世界の潮流

とある界隈で、ネオリベの話題や大きな政府と小さな政府の話題が盛んに議論されていますが…

今回は、『性的同意』に関して、大きな政府と小さな政府の思考からも考察できるな!(してみないといけない)と思い、noteを書いてみました。



◯嫌よ嫌よも好きのうち

今から考えると、暗黒時代かのように思えますね。

『女性が嫌よと言ってるのも、それは好きのうち』

だから、男は、押して押して、押しまくることが重要だみたいな言説がありませんでしたか?
つまり、マイルドに言うと、女性に対して嫌がられてもアプローチをし続けるということです。
(そういう観点だと101回目のプロポーズもストーカー的アプローチで鉄矢が温子を落とした?ということでしょうか。違うかー)

私の世代では、これを言われたことがある人はいないと思います。
しかし、年配の人の会話に節々に現れる、野蛮なホモソーシャル丸出しの言説を見聞きした人ならいるのではないでしょうか?

その典型例を一つ。

この人を覚えてますか?
(安心してください。死んでます。)

スーパーフリー事件が問題になっていた際に、

「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。 まだ正常に近いんじゃないか」

という発言をし世間の大きな非難を浴びた人です。


この時代の性的同意に関しては、小さな政府思考だと言えます。
なぜなら、恋愛に対して公が積極的に介入しない(違法か否かというジャッジを下さない)ので。

通り魔的に飛びかかるように襲わない限り犯罪にならない世界とでも言いましょうか。

◯No means No

時代は、変わりました。
そして、性的同意の考え方も変わりました。
当然なんですけどね…

つまり、嫌は、嫌ということ。

何回も言いますが、当たり前のことなんですけどね。

当たり前のことが、注目されてきたことは、女性の権利が向上してきたからなのでしょうか。
逆説的には、それほど女性の権利が軽く見られてきたことの現れだとも思えます。

ここで、男たち、次のように考えたはずです。

わかった。
嫌と言ってる女性を無理やり犯すのは、さすがに犯罪だ。
そりゃ、そうだ。
それを理解できなければ、文明人ではない。
犬畜生以下だ。(さっきの政治家は…)

であるならば、『女性が嫌と言ってなければ、OKっしょ!』という発想につながっていったのではないでしょうか。

この発想により、この後に問題になったケースとして、
・夫婦間
・上司と部下(一方が優越的地位にある場合)
・取引先の関係(芸能界の枕営業等)
・就職活動時のOB訪問
・意思表示が得意でない女性
・知的障害女性
が挙げられます。

そして、上記問題が起きるのは、明確な拒絶の意思表示がない時に、性的同意があるのか否かわからないことに原因があります。

つまり、

嫌という時は、嫌。
では、嫌という意思表示がない時はどっち?

ということです。

この問題を複雑にしているのは、性的同意を明確にしてから性行為をするのは、ムードを壊すみたいな風潮があることも一躍買ってしまっていると思います。

◯Yes means Yes

そして、最新は、Yes means Yes。
『Yes』がなければ、『No』の意味。

つまり、明確な性的同意の意思表示がなけれは、性的同意はないとみなして対応することになります。

例えば、男女がホテルに入り、シャワーを浴び、裸にになっても、どちらかがNoになった時点で性的同意はないとしてとらえていかなければなりません。

性的同意の『Yes』は、性行為の始まりと終わりまで、終始一貫してなければならないのです。

このように性的同意を捉えていくことで、『No』という明確な意思表示ができない方も守られるのです。

性的同意の範囲を明確な『Yes』まで求めようという考え方は、大きな政府思考といえると思います。

これは、恋愛に対して、公が積極的に介入するという考え方です。
なぜなら、明確な意思表示『Yes』がない性行為は、強制性交等として扱うことになるからです。

今後、性行為をする前は、鎌倉武士の名乗りような口上を述べる必要が出てくるかもしれません。(むしろ必要とされるかとしれません)

武士
『やぁやぁ、我こそは、◯◯の住人●●なり〜!』
『〜により、〜参った!』
みたいな。


『やぁやぁ、我こそは、◯◯◯◯←スペックを述べる』
『既婚者ではないw』
『あなたに魅力を感じ〜、一戦いたしたく候〜』


『やぁやぁ、私こそは、◯◯◯◯←スペックを述べる』
『美人局ではないw』
『あなたに魅力を感じ〜、一戦いたしたく候〜』

口上述べても、ムードとか言わないでくだしゃい!!(前田敦子風)

と、冗談はさておき、これは、両性が真剣に考えるべき問題だと思います。
男性だけ気をつければいいものでもありません。
女性も明確な意思表示をすることが求められますし、男性側にムード・雰囲気という抽象あいまいなものを負わせるのではいけないと思います。

両性がお互いを思いやれる社会の実現にどうしていくべきかの問題だと思います。
我々の認識のアップデート、さらに次世代への適切な教育が重要だと思います。


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