原点なき「場所」へ
周防大島,「数学の演奏会+偶然の音楽」森田真生+キセル+中村明珍、寄り道バザールを訪ねて
ゆっくり温泉に入っていたせいもあって既に到着した時には森田さんが既にステージに立っていた。その演奏会の「場所」は素敵な飾り付けと照明によって、そして森田さんの言葉を聴き入る人達によって僕をとてもワクワクさせてくれた。その公民館はステージを見るための2階があり、座布団に座って見る事が出来るがその柵はとても低い。子どもがいると少しハラハラするくらい。僕は柵から3歩下がったくらいのところからお母さんの膝に顔を当てながらステージを見ている子ども越しに森田さんの演奏を聴いた。
大切な記憶ほど「再生」(play,replay)する度に変わっていく。何故かこの話を聴いた時に泣きそうになった。とても大事なこと、切実なことのはずだからのはず。こう書きながら、replayしながら思い出している。森田さんの奏でる「1,2,3,4」のリズムはまさに身体から出ている感じだ。スクリーンに「1」の感じを写す黒い点を出した時に、少し森田さんが黙ってその点を見た時間があって、その時の感じが1番戦慄したというか。ただの気のせいかもしれないけど。
1時間経ってから自己紹介を始めるというびっくりの展開だったが僕たちが無意識で使ってきた(いる)仮定について色々と話してくれた。place(場所)ニュートンの絶対空間、エドワード・クーシー、「ナツメグの呪い」、「場所性」を剥ぐこと…
後半は森田さんもステージに同席してのキセルのライブ。歌声が響いた時に「ああ来て良かったなあ…」とにんまりした。奥さんの方に向いて凄いよねと。僕は今までほとんど聴いた事がなかったのだけど、(多分)最初に演奏した「庭の木」はとても大事に聴いてからいきたいなと。(もしかしたらMCで言及してただけで違う曲だったかも…)
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演奏会で買ったユリイカ(売り場には熱の入ったPOPがあった)。
本当に微妙な違いだ。「要するに」でなくなってしまうもの。消えてしまうもの、聴こえなくなってしまうもの。すぐに忙しくなって感じなくなる。周防大島で感じたもの。