#5 タモリ学
タモリ倶楽部が終わる。動揺。
1982年、私が産まれた年に、「笑っていいとも!」と「タモリ倶楽部」の放送が始まり、胎児の時からタモリは私の中に棲みついていたと思うのです。
産まれてからずっと、いつも同じ時間に変わらずに、過激でもなく、真面目でもなく、同じ温度であり続けるあの「いいとも!」の時間。
改めて振り返ると本当に不思議な時間だったと思いませんか?
私が住んでいる場所は、時空が歪んだごとく、なぜか隣の県のフジテレビの放送まで視聴でき、なんと平日は学校でしたが、生放送に加え日曜日に今週の創刊号!
土曜日は先週の増刊号まで視聴できるという、Youtube時代もびっくりの毎日タモリに会えるチャンスがある子供時代でした。
子供の頃は、タモリを面白いとかつまらないという概念で見ていた記憶がありませんでした。
お昼の12時に特に身にもならないけれど、重くもならない、ウキウキウォッチングできる時間。ギラギラもせず、日向のような生温かさのナンセンスな時間。
今、周りを見渡しても、こういう時間はあまり無く、振り返れば贅沢品のような番組だったなと思います。
流浪の番組は中高生になってから知ることになるのですが、そのいいとも!と対極するように、タモリ倶楽部は暗い、興味のない人は置いてけぼりの真剣なくだらなさ。
気持ち悪いなとさえ思う時期を通過して、あっぱれな突き抜け方にいつの間にか登場する人物をかっこいいと思うようになるから不思議です。オタクの誕生。
この本に書いてあることは、タモリが他のタレントとは何が違うのか、そういう事だったのか!が踏んだんに書いてあります。
毒を吐いても、感じない正体不明の穏やかさ。
物静かで恥ずかしがり屋、なのに全裸になることは厭わない。
偽善が嫌い、友だちはいなくてもいい、と言っていても、周りに人が寄ってくる魅力。
ずっと見てきたタモリのエピソードひとつひとつが、この作者の戸部田誠さんによって読み解かれ、タモリという考え方、思想に一貫性があり、この一言に優る言葉はない。
「これでいいのだ!」
感動します。
タモリを心の中に飼い続け、「適当」と言う言葉を座右の銘に、ありのままでいる勇気と工夫、アメーバのように何にでも変われる自由自在さ、全ては孤独から始まっている事をたまに思い出して、生きていこうと思ったのでした。