ダルビッシュ有の肘(浅野浩二の小説)
テキサス・レンジャーズの、ダルビッシュは、悩んでいた。トミー・ジョン手術を受けるか、どうかで。トミー・ジョン手術を受ければ、一年を棒に振る。自分としては、肘の靭帯に傷があると、言われたが、自覚症状はなく、投げられそうな気がする。テキサス・レンジャーズも自分に期待している。
ニューヨーク・ヤンキースの田中将大だって、部分断裂してまでも、手術しないで、やっている。2014年の、田中将大に対する、成績に、ダルビッシュは、嫉妬していた。
「オレの方が年上で、三年連続、防御率三割台におさえ、オレは、テキサス・レンジャーズの、ひいては、アメリカ、メジャーリーグの英雄なのだ」
ダルビッシュは、そう呟いた。
しかし、2014年から、いまいましくも、年下のくせに、メジャーのニューヨーク・ヤンキースに移籍した、田中将大の活躍は、ダルビッシュ以上だった。
「くそ。あいつが、メジャーの投手の人気をかっさらってしまった」
プロ野球選手なんて、ものは、うわべは、仲良さそうにしているが、本心は、全く逆なのである。ポジション争いにせよ、戦力外通告にせよ、トライアウトにせよ、成績の差が全てで、同じチームと言えども、強者が弱者を、蹴落とす、弱肉強食の、世界なのである。
「田中将大だって、部分断裂まで、しているのに、やっている。オレにも部分断裂があるらしいが、痛みの自覚症状は無い。トミー・ジョン手術の権威者である、トミー・ジョン氏にセカンド・オピニオンを聞いてみよう」
ダルビッシュは、婚約者とも、今年、テキサス・レンジャーズを、優勝させて、結婚しよう、と言ってしまった。故障者リストでは、格好が悪い。
広島東洋カープの前田健太も、日本ハムの大谷翔平も、メジャーを狙っている。
「顔だって、オレの方が、田中将大より、断然いい。あいつは、怒ってない大魔神のようなフラットな平面的な顔なのに。アメリカの全ての女は、オレに恋しているというのに」
ダルビッシュは、いつか、ロッカールームで、テキサス・レンジャーズの仲間が、前田健太か、大谷翔平の獲得を、考えている、と、いう噂をチームメートが言っているのを、聞いてしまっていた。
ダルビッシュは、焦った。
急いで、スマートフォンで、ニューヨーク・ヤンキースの田中将大に電話した。
田中将大に聞いたところ、
「ダルさん。無理しないで下さい」
と言った。しかし、ダルビッシュは、田中のアドバイスを疑った。
「あれは、本心じゃない。ヤツは、オレの活躍を怖れているのだ」
こうして、ダルビッシュは、セカンド・オピニオンを求めるために、トミー・ジョン手術の権威である、トミー医師のいるニューヨークに、飛び立った。
「先生。どうでしょうか?」
ダルビッシュは、聞いた。
トミー医師は、MRIの画像を、見ながら、おもむろに、
「うん。これは、トミー手術を受けた方がいいな」
と言った。
「田中将大だって、部分断裂したのに、やっているじゃないですか。僕は、自覚症状がなく、投げられそうな気が、どうしてもするんです」
「ああ。確かに、私は、田中将大には、部分断裂しているが、手術しないで、大丈夫だと、私は言った。しかし、田中将大の、靭帯の断裂の、割合いは、靭帯全部の内の、10%に過ぎなかったのだよ。しかし、君の場合、部分断裂の割り合いが、15%なのだよ。トミー・ジョン手術の適応基準は、靭帯の断裂が10%以上という医学的基準あるんだ。自覚症状は、ないかもしれないが、このまま、投げ続けると、完全断裂する可能性もあるんだよ。君の場合」
「完全断裂」この一言は、大きかった。
「わかりました。先生。トミー・ジョン手術を受けます。どうか、よろしくお願い致します」
ダルビッシュは深々と頭を下げた。
こうして、ダルビッシュは、トミー・ジョン手術を、受けることになった。
それは、翌日のニューヨーク・タイムズに大きく載った。
「くそっ。田中将大のヤツめ。今頃、喜んでるだろう」
ダルビッシュは、地団太を踏んで、口惜しがった。
△
ダルビッシュは、ニューヨークに数日、滞在した。
ダルビッシュは、マスクをして、サングラスをかけ、帽子を目深に被り、作業服を着て、ニューヨークの街を歩いた。
自由の女神に登り、汚いハドソン河を、見て、汚い地下鉄にも、乗ってみた。
そして、マジソン・スクウェア・ガーデンで、ボクシングの試合を観た。
その後、マンハッタン通りにある、ある喫茶店に、入った。
そこでコーヒーを注文した。
すると、二人の、ニューヨーク市民が話しているのが聞こえてきた。
「ダルビッシュは、トミー・ジョン手術だってよ。これで、今季は、テキサス・レンジャーズに優勝は、無理だな」
「そうだな。今年は、田中将大のいるニューヨーク・ヤンキースが優勝するだろう」
そんな噂話が聞こえてきた。
ダルビッシュは、忌々しい気持ちで喫茶店を出た。
そして、ヤンキースタジアムの田中を、訪れた後、テキサスに戻った。
△ △ △
一方、こちらは、ある日の、ヤンキースタジアム。
練習中の、田中を将大を、ニューヨーク・ヤンキースのキャプテンが呼んだ。
「おーい。田中。チームの監督が、話があるって、言ってたぜ。来いよ」
「おう。わかった」
田中は、キャッチボールをやめて、急いで、球団事務所に行った。
球団事務所では、ニューヨーク・ヤンキースの、ジョージ・スタインブレナー(オーナー)ジョー・ジラルディ監督が葉巻を燻らせながら座っていた。
「おお。田中。ピッチングの調子はどうかね?」
「はあ。順調です。球が良く走っています」
「それは、良かった。今季は、君に期待しているぞ。最高の敵である、テキサス・レンジャーズのダルビッシュが、トミー・ジョン手術を受けるから、今年は、我がニューヨーク・ヤンキースが、絶対、優勝するぞ。少ないが、これを、とっておいてくれ」
そう言って、オーナーは、カバンをドンと机の上に乗せた。
田中は、カバンをそっと、開けてみた。
びっくりした。
カバンの中には、札束が一杯、詰まっていた。
「100万ドルある。とっておいてくれ」
「で、でも。こんな・・・。まだ、シーズンが始まっていないのに・・・ちょっと、こんな大金は、受けとれません」
そう言って、田中は、カバンを、返そうとした。
「まあ。そういわず。僕の気持ちだ」
「はあ。わかりました。ありがとうございます」
そう言って、田中は、合点がいかないまま、カバンを受けとった。
「では、練習がありますので・・・失礼します」
そう言って、田中将大は、監督の部屋を去った。
途中。ある部屋で、小さな話し声がするので、田中将大は、ドアの鍵穴から、そっと中を見た。
見知らぬ、頬に傷のあるガラの悪い男と、田中将大の主治医の、トミー・ジョン医師が、話していた。
「ふふふ。ダルビッシュには、トミー・ジョン手術が必要と、言っておきましたよ。彼も納得しましたよ」
トミー・ジョン医師が、自慢そうに、長い白い髭を撫でながら言った。
「ありがとう。トミー君。一千万ドルは、君の銀行口座に振り込ませてもらったよ」
頬に傷のある訝しい男が言った。
「いや。アル・カポネさん。素人をだますこと、くらい、何でもありませんよ。ダルビッシュは、本当は、トミー・ジョン手術の必要はないんですが。素人には、MRIの画像なんて読めません。しかし、これで、今年は、ニューヨーク・ヤンキースの優勝、間違いなし、ですな」
トミー・ジョン医師が、笑って言った。
「ああ。そうして、貰わんと、我が、マフィアとしても、困る。アメリカのメジャー野球界は、マフィアの、思い通りに動いて貰わんとな。なにせ、膨大な金が動く、ギャンブルだからな」
「そうですな。アル・カポネさん」
あっははは、と二人は、笑い合った。
その時。
バーンと勢いよく、ドアが開いた。
田中将大が怒りを噛みしめて、手をブルブル震わせて、立っていた。
怒った田中将大の顔は、まさに、東映の大魔神だった。
「そういうことだったんですか。全ては聞きましたよ」
「おー。田中。今年は、お前が、優勝チームの勝利投手だ。喜べ」
オーナーが言った。
「これは、お返しします」
そう言って、田中将大は、100万ドルの入ったカバンを床に叩きつけた。
「どうしてだ?何を怒っているのだ?」
田中は、それには、答えず、急いで、ポケットから、スマートフォンを取り出して、ダルビッシュに電話した。
「ダルさん。あなたは、トミー・ジョン手術の必要はありませんよ」
「おお。田中か。何だ。いきなり」
「トミー手術の必要は、ないと、トミー・ジョン先生が、今、はっきり言いました。僕は、この耳で、しっかり聞きました」
「本当か?」
「本当です。アメリカの野球界は、マフィアに操られている、八百長です。今、僕の、目の前には、マフィアのボス、アル・カポネが、います。僕は殺されて、コンクリート詰めにされて、ハドソン河に沈められるかもしれません。その時は、FBIとCIAに連絡して下さい」
そう言って、田中は、スマートフォンを切った。
「さあ。僕を殺しますか」
田中は、堂々と、アル・カポネにせまった。
「田中。お前は、一体、何を考えているんだ。全て、お前のラッキーなように、なるんだぞ」
「僕こそ、あなた方の考えていることが、わかりません」
田中は毅然と言った。
「お前は、命が惜しくないのか?」
アル・カポネが聞いた。
「命、以上に大切な物を、我々、日本人は、持っています」
田中は堂々と答えた。
「おー。サムライ。ハラキリ。カミカゼ。日本人の考えていることは、全くわからん」
アル・カポネは、眉間に皺を寄せた。
「さあ。僕をころしますか?」
アル・カポネは、黙っている。
「トミー先生。ダルさんに、本当のことを言って下さい」
そう言い残して、田中将大は、グラウンドにもどった。
△
翌日、すぐさま、ダルビッシュが、テキサスから、ニューヨークにやって来た。
「田中。すまん。オレは、お前の気持ちを、ゲスに勘ぐっていた。お前は、オレの不幸を望んでいるのだと、思っていたんだ」
ダルビッシュが頭を下げて言った。
「いいんです。ダルさん。確かにダルさんは、僕のライバルです。しかし僕は、卑怯な方法では、勝ちたくない。あくまで自分の実力で、あなたに勝ちたいんです」
田中は、力を込めて言った。
「オレもだ。ありがとう」
そう言って、二人は、涙を流しながら、硬い握手をした。
翌日のニューヨーク・タイムズには、次のような四つの、大きな見出し記事が載っていた。
「テキサス・レンジャーズの、ダルビッシュ投手がトミー・ジョン手術を断った。かねがね、噂のあった、マフィアの野球賭博の関与をニューヨーク・ヤンキースの田中将大が暴露した。とうとうFBIは、アル・カポネの逮捕に踏み切った。ニューヨーク市長は、田中将大を、ニューヨークの名誉市民とすると、発表した」
平成27年3月11日(火)擱筆
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